EP42 第一脊髄の激闘
リリアの祈りが光となり、二人の傷を強引に縫い合わせていく。
「……リリア、無理をするな」
「ジン様、カイエン様、どうか……っ!」
二人の呼吸が整うのと同時に、頭上の触手が巨大な影となって彼らを飲み込もうと迫る。ガザムがゆっくりと前に出た。
「……ここからは私が通さない。三人で核を叩け。時間を稼ぐ」
「バカ言え! 一人で受け切れる数じゃねぇぞ!」
「やめろ、ガザム!」
ジンとリリアの制止をよそに、ガザムは無造作に愛用していた大盾を泥濘の中に捨てた。
金属音が鈍く響く。彼は両手を組み、静かに瞼を閉じた。
「……ああ、盾はもう不要だ。私の身そのものが、彼らのための聖域となれば良い」
ガザムが祈りを捧げると、彼の背後に、光り輝く『小さな天使』の幻影が浮かび上がった。
天使の羽ばたきと共に、ガザムの筋肉が異常な熱を帯び、血管が鋼のように浮き上がる。
「――っ!?」
次の瞬間、ガザムが泥を蹴った。
巨漢とは思えない速度で懐に飛び込むと、襲い来る触手をステゴロ(素手)で粉砕し、溶解液の奔流を掌で弾き飛ばす。クマノミの爆弾さえも、叩き落とす衝撃波で霧散させた。
「……神官が、インファイターだと!?」
カイエンは思わず魔剣を握る手を緩め、その光景を呆然と見上げた。
聖職者特有の静かな祈りとはかけ離れた、荒々しくも研ぎ澄まされた拳の連撃。一打ごとに庭の主の本体が揺らぎ、触手が根こそぎ引き千切られていく。
「嘘……あんな動き、人間ができるはずが……」
「おいおい、嘘だろ……あんなの、見たことがねぇぞ」
リリアとジンが言葉を失う中で、カイエンだけは鋭い眼光をガザムの背中に向けていた。
(天使を降ろしているのか。……だが、あんな負荷を肉体に与えれば、心臓が持たない。ガザム、お前は自分を何だと思っている……)
ガザムの皮膚からは、限界を超えた熱気が湯気となって立ち上っている。
守護の盾を捨て、自らが凶器となって敵を蹂躙する神官の姿に、消化管の庭は初めて「獲物」ではなく「天敵」を見たかのように、悲鳴のような脈動を上げていた。
「――なぜだ! なぜ貴様らのような下等な存在が、我らが偉大なる『使徒』ディーヴァ様に抗う!?」
庭の主が悲鳴のようなノイズを発し、粘膜の壁が醜悪に痙攣し始めた。余裕を失った庭は、無数の触手を乱雑に叩きつけ、酸性の雨を降り注がせる。ディーヴァという絶対的な神を汚されたことへの焦燥が、敵の動きを荒くさせていた。
ガザムは背後の天使の幻影をさらに輝かせ、迫りくる触手の嵐を一切無視して本体へと肉薄する。
「貴様は勘違いしている」
ガザムの声は、かつてないほどに力強く、そして冷徹だった。
彼は核を覆う分厚い肉の壁を見据え、右手に純白の神聖魔法を極限まで収束させる。
「信仰とは、神のためにあるのではない。……儚き人間が、人として歩み続けるためにあるのだ!」
ガザムの右拳が、光の楔となって肉の壁に深々と突き刺さる。爆発的な神聖力が内部から肉を抉り出し、これまで決して露出することのなかった、赤黒く脈動する「庭の核」がその姿を現した。
「――っ!!」
庭の主が断末魔のような叫びを上げる。核を剥き出しにされた恐怖と激痛に、庭そのものが崩壊を始めた。
しかし、主も最後の悪あがきを止めることはない。
ガザムの目前、抉れた肉の隙間から、通常の個体を遥かに凌ぐ規格外の巨体――『巨大クマノミ』が猛スピードで射出された。
「ガザムッ!!」
カイエンの叫びも届かない。
ガザムは核を抉ったまま回避できず、至近距離から直撃を受けた。その巨体は庭の奥深くまで吹き飛ばされ、赤黒い汚泥の中へと沈んでいく。
「――がはっ……」
ガザムの姿が消え、核が再び閉じようとする。
その光景を見て、ジンはボーガンを握る手に力を込めた。
「ガザムの命を無駄にするんじゃねぇぞ……カイエン!!」
ジンの怒号が鼓膜を突き抜ける。ガザムが抉じ開けた傷口を、庭は即座に再生させようと触手を津波のように押し寄せてきた。
「――渡さねぇ! 『ホーリーショット』ォッ!!」
ジンが放ったのは、リリアの加護を纏わせた神聖炸裂弾だった。触手の群れに突き刺さったボルトが、神聖な爆光と共に敵の肢体を内側から粉砕する。
爆煙が晴れた先、そこには一瞬だけ生じた「道」があった。
「終わりだ!」
カイエンが魔剣を渾身の力で握り込み、一直線に突撃を開始する。
だが、肉体は限界を超えていた。先ほど受けた消化酵素の毒が神経を蝕み、踏み込む足が致命的に鈍る。
(……くそ、痺れが抜けていない。このままでは――)
波状攻撃のように、第二、第三の触手がカイエンの死角を狙って襲い来る。斬り払うには、あまりに数が多い。
「……させませんわ!」
リリアがその場に跪き、両手を大きく広げた。彼女の瞳が黄金色に輝き、庭の法則そのものを書き換える。
「……速度――!」
空間がねっとりと重くなる。リリアが放った強力なデバフにより、襲い来る無数の触手の速度が、まるで水飴の中を通るように緩慢になった。
凍り付いたような時間の中、カイエンの魔剣が青白い軌跡を描く。
「――終わりだ!」
カイエンは鈍る足を引きずりながらも、その剣先を加速させた。
逃げ惑う核の脈動を魔眼が捉え、魔剣がその深淵を一閃する。
「あ……ああ……ディーヴァ様……慈悲を、どうか……」
消えゆく意識の中、庭の主が縋るようにその名を呟く。
「ディーヴァ様……お守り、ください……ッ!」
断末魔の叫びと共に、庭の本体がガラス細工が砕け散るように音を立てて崩壊していく。赤黒い粘液の壁は急速に色を失い、腐敗臭は爽やかな風と共に霧散した。
崩れ落ちる胃袋の庭。その泥沼の中に、血まみれになったガザムが倒れ伏しているのが見えた。
「――ガザム!」
カイエンとジンは、泥を跳ね飛ばして相棒のもとへと走り出した。
神殿の深層に、静寂が戻ってくる。戦いは終わった。だが、彼らの「整理」はまだ、その先へと続いていく。
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