EP41 解体監査(レギュレーター・コンディション)
広大な胃袋の庭。そこは赤黒い液溜まりが波打ち、生き物のように脈動する空間だった。 ジンの怒りは、もはや理性を焼き切っていた。
「仲間の仇だ……ッ、糞食らえ!!」
ジンが腰のポーチから二つの瓶を抜き放つ。フリーズグレネードと焼却グレネード。相反する特性を持つ二つを同時に投げ込み、敵の消化液が煮えたぎる中心部へ叩きつけた。 爆音と共に、極低温の霧と灼熱の炎が庭をかき回す。粘液が激しく飛散し、胃液の海が荒れ狂った。
「愚かなる侵入者よ」
粘膜の壁が裂け、重く、ねっとりとした声が響き渡る。
「我が『庭』に踏み入るとは、ディーヴァ様の慈悲を拒絶する背信行為。貴様らの血肉は、この庭で永久の平穏に還るのだ」
次の瞬間、粘液の渦から無数の『凶暴クマノミ』が弾丸のように射出された。標的は、先陣を切ったジンだ。 高速で泳ぐ魚のような異形たちが、ジンの四肢に噛みつく。
「ぐっ、ちっ……!」 「ジン、大丈夫か!」
カイエンが瞬時に踏み込み、魔剣でクマノミを一刀両断してジンを庇う。 ジンは血の滲む腕を押さえ、ニヤリと不敵に笑った。
「へっ、余裕だぜ……。かすり傷だ」
だが、カイエンの魔眼は、その背後でひどい違和感を捉えていた。 (……おかしい。切り傷の深さの割に、出血量が異常だ)
カイエンは内心で冷徹に分析する。クマノミが噛みついた跡から、ただの血液ではない、粘液混じりの赤い水が止まることなく噴き出している。 (組織の凝固を阻害する酵素か。……この敵は、獲物の血をさらさらと流し、最後まで余さず啜る気だ)
「皆、気を抜くな!」
カイエンの警告と同時だった。地面を覆う粘液の沼が大きく波打ち、巨大な触手が牙を剥く。 ガザムがその巨躯を挺してリリアの前に立ちはだかる。
「リリア様、私の背後から一歩も出るな!」
ガザムが盾を地面に叩きつけ、触手の突撃を真正面から受け止める。衝撃が迷宮に響き渡る。 リリアは怯えを振り払い、両手を空に掲げた。彼女の微かな祈りが、空間の理をわずかに書き換える。
「粘液の……乾燥を! クマノミの速度を、落とします!」
リリアの放った光の加護が、周囲の湿り気を奪い、粘膜の滑りを強制的に中和していく。クマノミの群れが空中での推進力を失い、動きが鈍った。 防波堤と化したガザム、そして支援するリリア。
カイエンは魔剣の切っ先を、脈動し続ける庭の中心へと向けた。
「……よし、俺が奴の核を仕留める。ジン、道を作れ!」
カイエンが魔剣を構え、粘液の海を切り裂いて敵の本体へ強襲をかける。
「おうよ! 俺の援護、しっかり受け取りやがれ!」
ジンは冷静さを取り戻し、弾倉を全速で回転させた。リリアの加護で鈍重になった空中のクマノミを、ボーガンのボルトで次々と空中爆破していく。飛び散る粘液を避けながら、カイエンの進むルートに「凪」を作った。
「そこだ!」
カイエンが空中で魔剣を振るう。獲物の中心、核があるはずの場所へ放たれた必殺の斬撃――。 しかし、魔剣の刃が敵の表皮に触れた瞬間、剣先が奇妙な軌道で弾かれた。
「何……!?」
衝撃が殺される。その隙を逃さず、死角から無数の太い触手がカイエンを襲った。
「ぐっ……!」
魔剣で二本の触手を切り払うが、残りの一撃がカイエンの脇腹を捉え、勢いよく吹き飛ばす。
「カイエン様、無事でしたか!?」
ガザムが大盾を掲げながら、地響きを立てて駆け寄る。カイエンは泥沼の中から魔剣を杖代わりに立ち上がり、口端の血を拭った。
「……あぁ、問題ない」
カイエンは再び敵の表皮を見据える。先ほどの一撃を思い返し、苦々しく呟いた。
「……装甲ではない、粘膜の流動で衝撃を逃がしているのか」
「チッ、俺の射撃もいまいち効いてる感じがしねぇな! だが、怯んでる暇はねぇぞ!」
ジンが叫び、再びボルトを装填する。 「もう一度アタックだ!」というカイエンの合図に、「おうよ、俺の援護だ!」とジンが応じた。
しかし、その瞬間だった。 無数の触手が鞭のようにしなり、ジンとカイエンの両名を追い詰める。防衛に回ったカイエンの足取りが、ふらりと大きく乱れた。
(……足が、重い。消化酵素の麻痺効果か……)
一瞬の判断ミス。カイエンの動きが止まった隙を突き、巨大な鞭状の触手がカイエンの胸を直撃した。
「がはっ……!」
カイエンが後方へ吹き飛ばされる。その隙にジンが「おい、カイエン!?」と叫び、視線が逸れた。 次の瞬間、ジンの首筋に、先ほどまで爆発を免れていた小型のクマノミが食らいついた。
「っ――!?」
次の瞬間、ジンの首元でクマノミが赤い閃光を放ち、爆ぜた。 至近距離での爆発にジンが吹き飛び、先に吹き飛ばされていたカイエンと重なるように地面へ叩きつけられる。
粘液の沼が二人を飲み込み、紅い鮮血が、黒い消化液と混ざり合って汚泥を染め上げていく。
「ジン様! カイエン様!!」
リリアの悲鳴が庭に響く。二人は立ち上がる力すら残せず、呼吸を荒くしていた。重症――。庭は、ようやく獲物を完全に消化するための準備が整ったとばかりに、さらに巨大な触手を天へと伸ばした。
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