EP38 夢の澱、神の囁き
野宿の夜。遺跡の冷たい石畳の上で、リリアはうなされていた。
――あの日。父は、神殿の奥から戻らなかった。
「お父様?」と駆け寄ったリリアが見たのは、神々しい光を放つディーバの祭壇の前で、空虚な目で座り込む父の姿だった。父の指先から、黒い泥のような「音」が流れ出し、周囲の信徒たちの口や耳へと浸食していく。
信徒たちは一瞬にして狂った。祈りの言葉は叫びに変わり、隣にいる者の肉を喰らい、自らの身体を引き裂き始めた。その光景の最後には、父自身がディーバの触手に取り込まれ、消えていく姿があった。
「あぁっ……やめて、こないで……!」
リリアが跳ね起きた。冷や汗で法衣が肌に張り付いている。
篝火の傍らで静かに瞑想していたガザムが、ゆっくりと目を開けた。彼は教団の法衣とは異なる、質実剛健で重厚な鎖帷子を纏っている。
「……また、あの光景を見ましたか」
リリアは荒い息を整えながら、ガザムを見つめた。
「……ガザム、貴方はなぜそんなに平気でいられるの? 貴方も聖職者でありながら、なぜこの狂った教団には属さず、私のような異端を連れて歩いているの? 貴方の宗派は、一体何なの?」
ガザムは背負った大盾を地面に突き刺し、静かに答えた。
「私は北方の『鉄の聖座』の教えを、この閉ざされた島に布教するために来た宣教師です。我らの教義は単純だ――『神の威光は、迷いを断ち切る鋼の刃に宿る』。この地を支配する教団のような、血で血を洗う欺瞞とは根本から相容れない」
ガザムは炎のゆらめきを見つめながら、静かな声で続けた。
「教団の教義は弱者を縛り上げる鎖だが、我らの信仰は己を鍛えるための鎧だ。私は貴方の属した教団を否定はしない。だが、リリア様が絶望の中でも神を問い続け、運命に抗おうとするその信仰心は、我が宗派の『鉄の意志』にも劣らぬほど気高い。私はただ、その輝きを最期まで守り抜くために、貴方の盾となっているに過ぎない」
ガザムは慈愛に満ちた手つきで、リリアの肩に自分の硬質なマントを掛けた。
「今は休みなさい。明日になれば、また血と硝煙に満ちた戦いが待っています。神の刃を振るうその時まで、英気を養うのが信徒の務めです」
場面は変わり、神殿の深層――『楽園の檻』。
白亜の壁に囲まれた空間で、使徒ディーバが優雅に宙を舞っている。彼女の歌声は、空間そのものを震わせるほどの魔力を帯びていた。
「侵入者が、第一階層の深層までやってきたみたいね」
ディーバが優しく呟くと、足元の影から、脈動する巨大な肉塊――『貪食する触手の庭』が姿を現す。
その異形は、床に広がる触手の庭から立ち上がり、口から粘液を垂らしながら、歪んだ笑みを浮かべた。
「……感じます。汚らわしい、人の気配を。我が庭の触手が、獲物の血を吸いたがって震えています」
「そう。なら、行ってらっしゃい。素直に私の歌声に魅入られれば、魂を灰にして、楽園へ誘ってあげるのに」
ディーバは満足げに、くすくすと笑い声を響かせた。
彼女の歌声が、遺跡全域に、血を凍らせるような旋律を奏で始める。
カイエンたちの目の前には、一面がぬるりとした粘液の触手で覆われた、悪夢のような「庭」が広がろうとしていた。
触手に足を取られれば、そこから逃れるのは至難の業。リリアの信仰心と、カイエンの魔剣がこの異形の庭をどう切り開くのか――決戦の時は刻一刻と迫っていた。
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