EP27 閑話休題
霧が濃くなり、船の周囲を不気味な静寂が包み込む。船体と海が擦れる音だけが、やけに大きく響いていた。
リリアは甲板の端に座り込み、うつろな瞳で濃霧の先にあるはずの巨大な影を見つめていた。彼女の髪の青色が、霧の白さと混じり合ってどこか儚げに揺れている。
「……ねえ、カイエン。聖騎士様」
リリアの声は、歌うように、しかし悲痛な響きを帯びていた。
「この島が、なぜ亀の背にあるのか、本当の話を知ってる? 教団の古い書物にも載っていない、代々の教団長だけが継承する『真実』よ」
ガザムは盾を抱えたまま、無骨な角刈りの頭をリリアの方へ向けた。カイエンも作業の手を止め、静かに耳を傾ける。
「……伝承では、神が民を救うために亀を遣わしたと聞くが」
「それは、外に向けた綺麗な物語よ」
リリアは自嘲気味に笑った。
「本当はね、亀は救いのために現れたんじゃない。この世界が『死』に絶えそうになったとき、唯一生き残れる場所を求めて、神がこの巨大な生き物に『世界の記憶』を詰め込んだの。だから亀の背にある真珠は、ただの宝石じゃないわ。……過去に滅んだ文明の、断片的な『魂の残滓』なのよ」
彼女は震える指先で、自分の胸元にある教団の紋章をなぞった。
「初代の教団長たちは、その記憶を読み解くことで、明日を生き抜く術を学んだ。……それが『宗教』の始まり。飢えや病から人々を救うための、知識の共有システムだったの」
「知識の共有、か。……それが今では、魂を食い殺す『歌』の共鳴器になっているわけだ」
カイエンの言葉に、リリアは深く頷いた。
「ええ。最初は純粋な知恵の貯蔵庫だった。でも、時代を経るごとに人は忘れていったわ。知識は『奇跡』になり、奇跡は『神格』になり……いつしか私たちは、亀そのものを神だと崇めるようになった。……感謝する対象を間違えてしまったのね」
彼女は拳を握りしめ、霧の向こうを見据えた。
「だから……使徒が来たとき、私たちには抵抗できなかった。だって、亀の背に眠る『魂の残滓』たちは、歌に飢えていたから。……使徒が歌を奏で始めた瞬間、島中の人間が『待っていました』とばかりに、自分たちの魂を捧げようとしたのよ。……あれは侵略じゃない。歴史が、己を終わらせるための『自死』だったの」
「自死……か。歴史が自分を終わらせるために、人間を使い捨てにするというわけだ」
ジルは操舵室から顔を出し、皮肉混じりに口を挟んだ。
「お高く留まった文明の末路だね。せいぜい、俺たち泥臭い人間が、その終わりを邪魔させてもらうよ」
「そうね……」
リリアは力なく、しかし決意を込めた眼差しで前を向いた。
「私は、教団の娘として、この歴史の帳尻を合わせたい。……あの子たちが、ただの『使徒の餌』として消えるのは、あまりにも悲しすぎるから」
亀の背に築かれた神殿のシルエットが、霧の中から巨大な肉塊のように浮かび上がる。
真珠の輝きは既に失われ、島全体がどす黒い脈動を打っている。
歴史を飲み込んだ亀の上で、最後の戦いが始まろうとしていた。




