EP16 焼き尽くされる盾
ドォォォォォンッ!!
何十、何百という蒼い雷が、一箇所に集中して降り注ぎ続ける。 その絶え間ない激震に、ついにドラゴの膝が、鈍い音を立てて折れるように沈んだ。
「ぐ……っ、ぁ……!」
鎧は限界を超えて真っ赤に焼き切れ、溶けた金属の雫が、焼爛れた腕を伝ってポタリ、ポタリと床の水晶板へ滴り落ちる。焦げた鉄の臭いと、肉が焼ける惨烈な匂いが空間を満たしていた。
それでも――ドラゴは、口の端を吊り上げて笑っていた。
(……隊長……)
ふと、雷鳴の合間に、懐かしい声が耳元を掠めた気がした。
(隊長……逃げてください……)
(俺たちは、もう……)
(隊長だけでも……っ!)
あれは昔、研究施設が火の海に包まれたあの日。 過酷な人体実験の末に死んでいった、若い部下たちの声だ。 目を閉じれば、すぐに思い出せる。あの日と同じ焦げた鉄の匂い。焼けた肉の異臭。逃げ惑う人々の悲鳴。
ドラゴは静かに目を閉じ、そして――深く惨憺たる笑みを浮かべた。
「……悪ぃな」
静かな呟き。
「また、遅刻しちまった……」
ドカァァンッ! 容赦なく落ちた雷がドラゴの肩を打ち砕き、血飛沫が空中に舞う。 だが、ドラゴの足は退かなかった。折れかけた膝に血を噴き出させながら、泥臭く、一歩前へ踏み出す。
「でもよ……今度は違う」
目の前に広がる背中。守るべき若い命たち。
「今度は……誰も死なせねぇ……ッ!!」
「ドラゴさん……っ!」
溢れ出る血と涙で視界を濡らす三人に向かって、ドラゴは肩越しにニッと笑ってみせた。
「おい……バグ娘」
「……っ! その呼び方、やめなさいって言ってるでしょ!!」
アラが激しい雷鳴を打ち消すほどの叫び声を上げる。涙で顔をくしゃくしゃにしながら、必死で魔法陣を維持しようと腕を振るっていた。
「へっ……そういう顔もできるじゃねぇか」
ドラゴの笑みが、少しだけ真面目なものに変わる。
「お前さ……先生のこと……」
アラの肩が小さく跳ねた。
「……っ!? 全部……知ってたの……?」
「ああ。毎晩……寝言で呼んでただろ」
「~っ……!」
崩れそうになるアラの膝を繋ぎ止めるように、ドラゴは穏やかに言葉を重ねた。
「空はな……見上げるもんじゃねぇ」
「え……?」
「飛ぶもんだ。……先生が見たかった空を……お前が見ろ」
アラは溢れる涙を拭いもせず、何度も、何度も強く頷いた。
次に、ドラゴは苦笑いを向けた。
「……嬢ちゃん」
「嫌よ……っ!」
ユウナは首を激しく振り、折れた短銃剣を握りしめたまま叫ぶ。
「嫌! まだ助かる……! 私も一緒に――」
「兵隊ってのはな」
ドラゴの声が、隊長としての静かな厳しさを帯びる。
「泣きながら前なんか、見えねぇんだよ」
「でも……っ!」
「泣くなら……全部終わってから泣け」
ユウナの手が、悔しさと愛おしさで激しく震えた。 ドラゴは優しく目を細める。
「……いい隊長になるぞ」
「隊長なんて……私には……そんなの無理よ……」
「なる」
断言だった。何ひとつ疑わない、絶対の信頼が込められた言葉。
「お前なら……絶対になれる」
そして――ドラゴの視線は、最後に一番静かな男へと向けられた。
「……監査員」
少しおどけるように笑い、そして初めて、その名を正しく呼ぶ。
「……違うな。カイエン」
カイエンがハッと胸を突かれたように振り返る。
「お前……ずっと一人で背負ってきたんだろ。……責任とか、贖罪とか……全部」
カイエンからの返事はない。ただ、魔剣を握りしめる拳が、白くなるほど強く震えていた。
「重かったろ」
言葉もない沈黙。 ドラゴは短く息を吐き出し、静かに言った。
「……笑え」
カイエンの瞳が、揺れた。
「辛そうな顔して勝っても……誰も救われねぇんだよ。……マヤも、そんな顔……望んじゃいねぇ」
「……っ!?」
初めてドラゴの口から出たその名前に、カイエンの冷徹な鉄の仮面が、明確に崩れ去った。
「だから……生きろ。ちゃんと笑って……帰れ」
ドラゴは三人を見回した。 三人とも、顔を涙で濡らし、言葉を失って自分を見つめている。
「なんだよ……」
ドラゴは苦笑した。
「俺の葬式じゃねぇんだぞ……」
ドラゴは残された左腕で、身の丈ほどもある巨大レンチを、床の水晶板へガツンと深く突き立てた。
「……さて」
もう、足に感覚はない。全身の肉が焼き切れ、命の灯火が消えかけている。 それでも、その背中は一度として揺らがなかった。
「俺の仕事は……ここまでだ」
――ドォォォォォォォォォンッ!!
直後、空間全体を白く染め上げるほどの、巨大な蒼い雷が全方位から降り注いだ。
ドラゴはその場から動かない。 仲間をその背に庇ったまま。
一度も倒れることなく、立ったまま――。 男は最期まで、絶対の『盾』としてその命を燃やし尽くした。
◇
ドバァァァァァンッ!!
限界を超えた蒼い雷が、容赦なくドラゴの身を焼き穿つ。 その熱量に耐えかね、彼が長年使い込んできた身の丈ほどもある巨大レンチに、メキメキと亀裂が入っていく。
バキンッ!
ついに壊れた鉄塊。半分から先が吹き飛び、ドラゴの手元には短くなった柄だけが残された。 視界も、意識も、すでに黒く塗りつ潰されかけている。それでも――ドラゴの瞳には、まだ鋭い光が残っていた。
「う……オアアアアアッ!!」
ドラゴは血を吐きながら、折れたレンチの柄を、ありったけの力を込めて投げつけた。 放たれた鉄塊は、玉座の前で浮かぶソラリスの顔面へ向けて一直線に飛ぶ。
ドガッ!
圧倒的な光の障壁に阻まれ、レンチはソラリスに届くことなく弾き飛ばされ、虚しく床を転がった。攻撃としては、何の意味も成さない無駄死にのような一撃。
だが――ほんの一瞬。 ソラリスの標準システムが飛来物を認識し、全方位へ放っていた蒼い雷の照射角が、わずかに、数ミリ単位で逸れた。
(……よし)
ドラゴの血濡れた唇が、満足げに吊り上がる。
「……一秒……稼いだぞ……」
直後、全方位から戻った雷光がドラゴの全身を飲み込んだ。 皮膚が焦げ、肉が焼き切れ、鎧が溶け落ちる。 それでも、男の足は一歩も引かなかった。巨大な背中で仲間を庇い、血塗られた顔にニッと笑みを浮かべたまま――ドラゴは立ったまま、静かに絶命した。
「……ドラゴ……さん……?」
ユウナの声が震え、涙がぼろぼろと溢れ出す。 アラは言葉を失い、口元を両手で覆ってその場に崩れ落ちた。
「ア……ッ……」
カイエンの喉から、掠れた声が漏れ出た。 血に染まり、立ったまま動かないドラゴの背中。その姿に、あの日、崩れたラボの瓦礫の下で冷たくなっていったマヤの姿が重複する。
昔、守れなかった相棒。 今、目の前で守れなかった仲間。
冷徹な計算で世界を『解体』してきたはずの監査官の胸の中で、押し殺してきたはずの過酷な感情が激しく逆流した。
「あああああ……ッ!!」
怒号ではない。怒りすら超えた、痛切な苦しみと慟哭の叫び。
「……また……まただ……っ! また……守れなかった……ッ!!」
カイエンの瞳から、一筋の血と涙が頬を伝う。 その瞬間、彼の腕に宿る「魔剣」が異様な脈動を始めた。黒い邪気が爆発的に膨れ上がり、使徒を喰らってきた禁忌の力が狂乱してカイエンの全身を侵食していく。
『……?』
ソラリスの単眼が、かつてない不規則な明滅を見せた。
『理解、不能。侵入者カイエンの感情波形……測定限界を超過。……エラー、エラー』
これまで一切の感情を見せなかった絶対のシステムに、初めて明確な混乱が走る。
「ソラリスァァァァッ!!」
狂気と悲痛を交錯させたカイエンが、一瞬で空間を置き去りにした。 魔剣が撒き散らす黒閃が、ソラリスを護る絶対の防御回路を、床の幾何学模様ごと一瞬で切り裂き、破砕する。
「お前の『永遠』を……ここで解体する!!」
深紅の閃光がソラリスの胸元を貫いた。
ズドンッ……!!
衝撃波がドームを揺らし、ソラリスの白銀の仮面に幾重もの亀裂が走る。 幾何学模様の光が次々と消灯し、神の如き巨躯が光の粒子となって崩れ始めていく。
パリィン……!
仮面が完全に砕け散ったその時――。
『……カイエン』
スピーカーからではない。懐かしい、温かな声がカイエンの耳元に響いた。
カイエンの剣が、ピタリと止まる。
「……マヤ……?」
光の粒子の中に、一瞬だけ、かつての相棒――マヤ・コヨリノの幻影が重なった。ソラリスの最深部に残されていた、開発者の最期のログデータ(心)。
『……失敗……だったか』
マヤの残影は、穏やかに苦笑いを浮かべた。
『守れ……なかったな。……ごめんな、カイエン』
狂気に侵され、すべてを拒絶していた守護AIの最期。そこに遺されていたのは、友への贖罪と、守りたかった夢の欠片だった。
「マヤ……っ!」
カイエンの手から魔剣が零れ落ち、光の粒子が夜空へと溶けて消えていく。 友の死、ソラリスの悲劇、そしてドラゴの犠牲。三つの魂の最期を看取ったカイエンは、静かに溢れ出る涙を拭おうともせず、崩壊する空間の中に佇んでいた。
静寂が戻った最上階。 黄金のドームは消え去り、頭上には静かな星空が広がっている。
カラン……。
静寂の中、短くなったドラゴのレンチの残骸が、虚しく床に転がった。
カイエンはゆっくりと歩み寄り、その焼け焦げた鉄塊を拾い上げた。 ずっしりと手に残る重み。もう、この持ち主が軽口を叩きながらこれを振るうことはない。
振り返れば、ドラゴは笑った顔のまま、立った姿勢で静かに眠っていた。 最期まで仲間を背負い続けた、誇り高き『盾』の姿。
カイエンは、ドラゴの焦げたレンチを静かに自分の肩へと担ぎ直した。
「……帰ろう」
その短く、枯れた一言。 だがそこには、亡き友たちの意思を背負って生き抜くという、揺るぎない覚悟が宿っていた。
「……はい」
「……ええ」
涙をこらえ、ぐっと拳を握りしめたユウナとアラが、力強く頷いて立ち上がる。
ドラゴが命を懸けて繋ぎ止めた、たった「一秒」の時間。 その一秒が手繰り寄せた未来を胸に、三人はドラゴの背中に深く一礼し、夜空の下へと歩み出した。
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