EP144 裂け目からの歪み
深夜――グランプリ熱に浮かされる工都の煌びやかなネオンの裏側、地下深く隠された帝国直属の特別研究施設。
静寂に包まれていたはずの通路に、鉄の匂いと焦げ付いた肉の臭いが充満していた。
「ぐ、あ……っ……!」
重厚な胸甲を貫かれた帝国の警備兵が、血の海の中に崩れ落ちる。 警備にあたっていた十数名の精鋭兵たちは、反撃の暇すら与えられず全員が息絶えていた。
セキュリティ扉は融解し、奥の最深保管庫に展示されていた「ある代物」――封印されていた未解明の帝国アーティファクトが、台座ごと消え去っていた。
そこへ、闇に紛れて足音を殺した人影が現れる。 カイエンだ。
彼は血の海となった現場に立ち、紅い魔眼を静かに発光させた。 その瞳には、殺害された警備兵たちの死体ではなく、空間そのものに刻まれた不吉な「亀裂」が映っていた。
事象の崩壊痕。世界のエラーコード。 それは、かつてカイエンが帝国で何度も目にしてきた災厄の痕跡に他ならなかった。
「……空間の事象解析値が狂っている。この残留エネルギー……『使徒』か」
盗まれたのはただの骨董品ではない。世界に歪みをもたらす致命的なバグの種だ。 カイエンが険しい表情を浮かべたその時――。
『ガガガッ……ズズズズズズズズッ!!』
工都の市街地の方角から、空気を直接擦り減らすような嫌な怪音が響き渡り、施設全体の金属パイプが激しく振動し始めた。
◇
「な、なにこれ……!? 空間が……歪んでる!?」
グランプリ前夜の賑わいを見せていた中央街区で、モエが叫び声を上げた。
突如、市街地の中央上空でバチバチと黒い稲妻が走り、目に見える形で『空間が裂けた』のだ。 そこから漏れ出したのは、紫色に濁った使徒の残滓。
その残滓が、街中に展示されていた試作型パワードスーツや、整備中だった各チームのレース機体へと一斉に降り注ぐ。
『ギギギギギギギガガガガッッッ!!』
「ヒッ……!? マシンが……マシンが勝手に動き出したぞ!?」 「暴走だ! 制御が効かない! 逃げろーーっ!」
過熱した魔導コアが異様な赤黒い光を放ち、乗手のいないパワードスーツたちが怨念を宿したかのように暴れ始めた。装甲をきしみませ、周囲の建物や悲鳴を上げる観客たちへ向かって無差別に腕を振り下ろす。
「きゃああっ!」
「くっ……離れろ!」
路地裏から一足早く駆けつけたナナが、すぐさま自機の装甲一部を腕に装着し、崩れ落ちてきた鉄パイプを弾き飛ばした。
「ナナちゃん!」 「モエ! 状況は!?」 「最悪よ! 使徒の残滓が機械の魔導回路に直接干渉して、安全装置を全部焼き切ってる! このままだと街の炉心まで誘爆するわ!」
暴走機体は一機や二機ではない。十数機の重装甲パワードスーツが狂乱し、市街地を破壊しながら増殖するかのように歪みを撒き散らしていた。
そこへ――シュウゥゥと灰色の蒸気を吐き出しながら、低く通る声が響く。
「下がるんだ、二人とも」
暗がりから歩み出たカイエンの手には、すでに黒き魔剣が握られていた。
「カイエン!」「無事だったの!?」
「あぁ。だが、これはただの機械トラブルではない。使徒の残滓による事象の『暴走』だ。核を絶たねば止まらない」
カイエンは紅い魔眼で暴走機体群を凝視する。 だが、過剰な残滓のノイズによって機体内部の構造解析が阻害され、弱点であるコアの正確な位置が一瞬で見極めづらくなっていた。
「チッ……ノイズが酷いな……」
「カイエン、待って!」
すかさずモエが、落ちていた整備用アナライザーを起動し、カイエンの背後から叫んだ。
「あの機体たちは《G-7型》のフレームを流用してる! 心臓部の魔導コアは胸部中央じゃない……左肋骨下の第三バイパス奥よ! 装甲を剥がさなくても、そこを叩けば一撃で機能停止できる!」
さらに、ナナも黒い小型ブースターを足に装着し、素早く暴走機体の隙を突いて跳躍した。
「私が引きつけるわ! 構造の隙間……右側の冷却バルブを狙って!」
「理解した」
専門知識を持つ整備士のモエと、機体の動きを知り尽くしたレーサーのナナ。 二人の的確なサポートと情報介入が、カイエンの魔眼の精度を爆発的に跳ね上げる。
「構造特定(解析完了)――『断ち切る』」
カイエンは灰色の風となって踏み込んだ。
漆黒の魔剣が描く一筋の閃光。 モエの指示通り、暴走機体の左肋骨下の隙間――装甲の継ぎ目わずか数ミリのポイントを、寸分違わず一閃する!
スパァンッ!!
爆発を起こすことなく、紫色に濁っていた魔導ノイズが黒い煙となって消失し、暴走していた大型機体が力なく膝から崩れ落ちた。
「次だ」
「了解! 次の三機は旧式の二重構造! 背面の排気口を塞げば一秒でオーバーヒートするわ!」 「左の小型機は私が足を止める!」
カイエンの絶対的な戦闘力と、モエとナナの知識・操縦技術が見事に噛み合い、狂乱する街の中で暴走機体たちが次々と鎮圧されていく。
だが――カイエンの魔眼は捉えていた。 この街中に撒き散らされた暴走は、単なる前触れに過ぎないということを。
「(盗まれた帝国のアーティファクト……そして、この空間の亀裂……。奴らの本当の狙いは、明日のグランプリ本戦か……!)」
暗雲が垂れ込める工都の夜空の下、明日訪れる決戦は、もはや単なるレースではなくなりつつあった。
幕間
暴走した機体たちが静まり返り、焦げ付いた煙が夜風に吹き散らされていく。
街を埋め尽くしていた混乱と恐怖は、三人の息の合った連携によってあっという間に収束していた。カイエンが黒い魔剣を鞘へと収めると、背後から足音が近付いてくる。
「っはー……! びっくりした……! でも、カイエンってば凄かったじゃない!」
モエが肩で息をしながら、興奮冷めやらない様子でカイエンの背中をパシッと叩いた。
「魔剣でバッサリ一閃なんて、噂には聞いてたけど本物ね! ちょっと見直しちゃったわ!」
「ええ……本当に驚いたわ」
ナナもまた、荒い息を整えながらカイエンの顔を見上げて目を丸くしている。
「あの絶望的なノイズの中で、あんなにも正確に核を撃ち抜くなんて……あなた、本当にただの元・監査員なの……?」
二人に代わる代わる見つめられ、感心したように褒めちぎられるが、カイエンの表情はいつものように波一つ立たない。彼はふっと短く息を吐くと、二人の顔を順番に見つめた。
「俺の力だけではない。……お前らの指示のおかげだ」
「え……?」
「モエの正確な構造分析と、ナナの的確な誘導がなければ、ノイズを叩き割るのに倍の時間がかかっていた。助かった」
そう言うと、カイエンはごくごく自然な動作で手を伸ばした。
ポン、ポン。
モエの短い髪と、ナナの繊細な黒髪。 それぞれの頭の上に大きな手のひらを置き、労うように優しく撫で下ろした。
「――っ!?」
その瞬間、ナナの体がピシッと氷のように固まった。
父親であるガレスからは冷酷な命令と罵倒しか受け取ったことがなく、男からこんな風に優しく頭を撫でられた経験など一度もない。優しさというものに対する耐性が皆無だったナナの顔面は、一瞬で耳の先まで真っ赤に染め上がった。
(な、なになになに今の……!? 頭、撫でられた……!?)
胸の奥がドクンと激しく脈打ち、頭の中が真っ白になる。 パニックを起こしたナナは、自分でも理由の分からない衝動に突き動かされ、とっさにカイエンの左腕に抱きつき、ぎゅっと腕を組みつけた。
「カ、カイエン……っ」
「ん? ナナ、どうした」
上目遣いでカイエンの腕にしがみつくナナ。顔は真っ赤なままだが、その手はカイエンの腕を絶対に離すまいと強く握りしめられている。
しかし――。
「……。」
その光景を目の当たりにしたモエの顔から、一瞬で笑顔が消え去った。
頭を撫でられて一瞬フニャッとしかけた表情が、一転して不機嫌そうな「ムスッ」とした表情に変わる。
「……モエ?」
カイエンが首を傾げると、モエはプイッとあからさまに顔を背けた。
「どうした、モエ。どこか怪我でもしたのか?」
「……別に」
「だが、急に顔色が――」
「別に! 何ともないって言ってるでしょ! ほら、さっさと工房に戻って明日の『仕事』の続きをするわよ! パーツの最終チェックが残ってるんだから!」
あからさまなヤキモチ。あまりにも分かりやすすぎる態度で、モエはツンツンと地面を蹴りながら歩き出してしまう。
「……? 仕事か。あぁ、そうだな」
女性陣の微細(?)な感情の変化に全く気づいていないカイエンは、腕にすがりついてくるナナを引きずりつつ、不機嫌そうに歩くモエの背中を静かに追いかけるのだった。
今回のヒロインは2名です。えぇ2名です。
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