EP145 純粋なる疾風
工都グランプリ決勝、直前。
昨夜の使徒の残滓による暴走事件は、カイエンたちの迅速な対処と工都の警備隊によって表向きは「極秘裏に収束」されたこととなり、メインサーキットは変わらぬ熱狂と大歓声に包まれていた。
パドックの緊張感は最高潮に達している。予選を勝ち抜いた8機の異形・異能のマシンたちが、排気煙と重圧感を撒き散らしながら出走の刻を待っていた。
ピットエリアの静けさの中、ナナ・クロムウェルは自機の黒き翼の前に立っていた。 そこへ、水色の短髪を揺らした青年――ゼノス・ヴァイスが静かに歩み寄ってくる。
前年度チャンピオンの無表情な青い瞳が、まっすぐにナナを見つめた。
「……昨日の予選、見事だったな」
ゼノスが低く口を開く。周囲を敵機に囲まれ、壁に押し付けられながらも、限界の隙間を潜り抜けたナナの走行を称える言葉だった。
ナナは一瞬驚いたように瞬きをしたが、すぐに強い眼差しを返した。
「ゼノス……」
「俺は、お前に勝つ。だが……昨年のように、スポンサーの圧力や汚い妨害で掴んだ勝利など、もう要らん」
ゼノスは拳を握り締め、真っ直ぐな言葉をナナにぶつけた。
「今年こそ、本当の意味でお前に勝ちたい」
その言葉に、ナナの瞳がパッと輝く。 重圧と抑圧に苛まれてきた少女の心に、純粋なレーサーとしての熱い火が灯った。
「……私も。あなたを倒して、本当の王者になりたい!」
かつてスポンサーの道具として、ただ競わせられていた二人。しかし今、この一瞬だけは他者の思惑など関係ない――互いを認め合う純粋な「ライバル」として、二人は視線を交わしたのだった。
◇
だが、その高潔な空気を踏みにじるように、重々しい足音が近づいてきた。 ナナの父親であり、クローバー社の重鎮であるガレス・クロムウェルだ。その後ろには、ゼノスの所属する巨大コンツェルンの幹部が、冷酷な笑みを浮かべて控えている。
「ふん、無駄な傷舐め合いか」
ガレスは吐き捨てるように言い放ち、娘であるナナを冷たく見下ろした。
「ナナ、昨日の走りは不合格だ。今度の決勝では余計な機避など考えるな。障害となる敵は全て叩き潰せ。『勝つためなら何でもする』……それがクロムウェル家の、そして勝利者の鉄則だ」
勝つためなら相手を破壊し、ルールを歪め、手段を選ばない。 ガレスの吐き捨てた言葉に、ゼノスの所属するスポンサー幹部も深く満足そうに頷く。
「その通りだ。ゼノス、貴様も分かっているな? 我が社の新製品の売上は、この決勝の『結果』にかかっている。邪魔な機体は力づくでコース外へ弾き飛ばせ」
大人の醜い欲望と、勝利至上主義の冷血な価値観。 ガレスたちが押し付けるその理屈に対し、ゼノスは静かに、しかしはっきりと首を横に振った。
「……違う」
「何だと……?」
スポンサー幹部が不快そうに眉をひそめる。 ゼノスは逃げることなく、大人たちの醜悪な顔を青い瞳で射抜いた。
「勝つためになんでもするんじゃない。……『速い方が勝つ』。それがレースだ」
真逆の価値観。 ゼノスの胸の奥で、長年押し殺されてきた「一人のレーサーとしての誇り」が、はっきりと拒絶の声を上げたのだ。
◇
『さあ――大変お待たせいたしました! 工都グランプリ決勝! スターティンググリッドに8機が揃いました!!』
場内に轟く実況のアナウンス。 大観衆の地鳴りのような歓声を前に、8機のマシンがグリッドに着く。
最前列に並ぶのは、前年覇者ゼノスの《フロスト》、ナナの《ブラックバード》、モエの《カーピー》、そしてカイエンの乗る重装甲の異端機。
コクピットの中で、ゼノスの耳につけた通信インカムが、耳障りなノイズとともに跳ね上がった。 ピットエリアからの、スポンサー幹部の怒号だ。
『ゼノス! 聞こえているな! クローバー社の娘……ナナ・クロムウェルを潰せ! 第1コーナーの手前で横から突っ込み、二度と走れんようコースの壁へ叩きつけろ! これ命令だ!!』
露骨な破壊工作の強制。 昨夜までのゼノスなら、葛藤しながらも首を縦に振っていたかもしれない。
だが、今のゼノスの青い瞳に迷いはなかった。
ゼノスはインカムのスイッチを指先で静かに押し込むと、低く、しかし鉄のように硬い声で言い放った。
「……断る」
『な……何だと!? 貴様、自分が誰に口を利いているのか――』
「俺は、俺の速さで勝つ」
パチンッ。
通信を一方的に遮断し、インカムを耳からむしり取ってコクピットの床へ投げ捨てた。
『な、何だとぉぉぉぉっ!? ゼノスの奴、命令を無視しやがった!!』
モニターの前で、スポンサー幹部が顔を血の形相に染めて激怒し、机を力まかせに叩き割る。
そんな大人たちの怒号も、今やゼノスの耳には届かない。 澄み切った心で操縦桿を握り締め、フロントガラスの向こうに広がる直線コースを見つめる。
隣のグリッドには、漆黒の《ブラックバード》に乗り、前だけを見据えるナナ。 そして、その背後で静かに蒸気を吐き出すカイエンの灰色の巨体。
シグナルランプが、赤から黄色へ。
『運命の決勝レース――カウントダウン開始!!』
翼を縛られた鳥たちが、それぞれの誇りを胸に、ついに自由な空へと飛び立とうとしていた。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
「続きが気になる!」「面白かった!」と思っていただけましたら、
☆☆☆☆☆評価やブックマークで応援していただけると、とても励みになります!
皆さまの応援が、執筆を続ける大きな力になります。
また次話でお会いしましょう!




