EP137 歪む軌跡
「ちょっとカイエン……冗談でしょ!? なんなのその手先!?」
『ガレージ・クラフツ』の作業区画で、モエが目を丸くして大声を張り上げた。
カイエンの手元では、微細な魔導配線と高圧油圧のバイパス管が、まるで奇術のように無駄なく組み上げられていた。指先の正確な動き、精密ドライバーを扱う滑らかな手さばき、そしてミクロン単位の噛み合わせを一瞬で見抜く洞察力。
「よし、これで3番シリンダーの圧力ロスは解消されたはずだ」
工具を綺麗に作業台へ置いたカイエンに、モエは「すごい器用だよ!」と興奮気味に目を輝かせて詰め寄ってきた。
「手慣れすぎでしょ! あんた本当にただの旅人!? うちのベテラン職人でも、その細かいハンダ付けはハズキルーペ掛けなきゃ無理よ!」
「……元・監査員だからな。機体の構造を点検し、不正改造や欠陥を解体・特定するのが仕事だった。これくらいの手作業は叩き込まれている」
カイエンは静かに答えたが、胸中ではどこか呆れたような苦笑を漏らしていた。
(……それに、あいつの面倒を見ていたおかげでもあるな)
脳裏に浮かんだのは、ボサボサ頭のメカニック少女――マキマの姿だ。 旅の途中で自作のファンネルや電子銃を「であります!」と騒ぎながら壊しては、カイエンが呆れつつ修理を手伝わされていた。あの理不尽とも言える整備の日々が、巡り巡ってここで役に立つとは夢にも思わなかった。
「ふーん……まあ助かるからいいけど! じゃあ次は、この心臓部の調整を手伝って」
モエが慎重にドックの奥から運び出してきたのは、重厚な金属ケースに収められた球体状のユニットだった。 複雑な魔導回路が刻まれたフレームの中で、淡い紫色の光を放つ鉱石が静かに浮遊している。
カイエンが事象を解析する魔眼の視線を走らせると、視界に幾重もの多層構造と、現代の技術では再現不可能な古代の「理」が浮かび上がった。
「……これは、アーティファクト(古代遺物)か?」
「正解! これがパワードスーツの核になる『高出力変換炉』よ。いくらフレームを軽装化しても、動力がショボかったらレースにならないでしょ? だから発掘されたアーティファクトを組み込んでるの」
モエは愛おしそうにコアユニットを見つめ、誇らしげに語った。
「でもね、こういう魔導工学と機械技術の融合に関しては、やっぱり帝国が頭一つ抜けてるのよね〜」
「帝国がか?」
「そう! 今のパワードスーツの基本制御プログラムやコアのバイパス構造って、元々は帝国で何十年も前に開発された規格がベースになってるの。特に『マヤ』って天才技師が作ったと言われてる初期理論が凄すぎて……ほんと、そのマヤって人、人外レベルの天才よね! 会えるなら弟子入りしたいもん!」
「……」
モエの無邪気な言葉に、カイエンは一瞬、息を呑んだ。
マヤ。
その名を聞いた瞬間、胸の奥で眠っていた古い記憶の檻が、静かに開いた。
過酷な帝国の闇の中で、冷徹な監査員として孤立していた自分に、ただ一人、気さくに笑いかけてくれた男。自分の開発した無茶な機械を「カイエン、お前なら乗りこなせるだろ?」と少年のように無邪気な目で突きつけてきた、かけがえのない『親友』。
帝国を去り、己の肉体を解体する呪いのような魔剣を背負うことになったカイエンにとって、マヤと共に過ごした日々は数少ない「人間としての温もり」の記憶だった。
(……お前の作った技術が、こんな遠く離れた異国の地で、少女の夢を乗せる原動力になっているぞ、マヤ)
カイエンは胸中で静かに親友の名を呼び、目を伏せた。 己の過去が、そして親友の遺した光が、今もこの世界を支えていることに、奇妙な愛おしさと切なさを感じずにはいられなかった。
「……あぁ。お前の言う通り、そいつは正真正銘の天才だよ」
「え? なになに、カイエンもマヤのこと知ってるの!?」
「……噂程度にな。さあ、調整を続けるぞ」
「あ、誤魔化した! まぁいいわ、コアの充填完了! カイエン、ちょっと付き合って!」
「どこへ行く?」
「練習走行よ! 今日はグランプリ開幕前の公式試走日だから、全チームがサーキットに集まってるの。ライバルの動き、見に行かないとね!」
◇
工都の中央にそびえ立つ大サーキット。 鉄骨と高圧蒸気パイプが複雑に交錯する立体コースの観客席は、公式試走であるにもかかわらず、地鳴りのような歓声と熱気に包まれていた。
「へへっ、第1セクターの立体交差よ! さっきナナが言ってた通りの特等席でしょ?」
モエに連れられて手すり際に立ったカイエンは、眼下を爆音とともに駆け抜けていく色とりどりのパワードスーツ群を見下ろした。時速数百キロで鉄板のコースを削る金属音と、焦げたオイルの臭いが風に乗って吹き抜けていく。
その時――群衆の歓声が一際大きく跳ね上がった。
『来ました! クロムウェル・レーシング、漆黒の怪鳥!!』
実況の魔法音声が響き渡る。 コース上に現れたのは、黒の装甲に血のような赤ラインが走る細身の機体――ナナ・クロムウェルが駆る《ブラックバード》だった。
シュウウゥゥッ!
黒い機体は、他のマシンとは一線を画す異次元の滑らかさで直線を滑走した。 無駄な揺れが一切ない。過不足ない完璧なブースター噴射、最小限の姿勢制御。まるで黒い一筋の閃光がコースを切り裂いていくかのようだった。
「すごい……! やっぱりナナの走りは別格だわ……!」
モエが思わず感嘆の声を漏らす。 観客たちも「芸術的だ!」「今期の王者もクロムウェルで決まりだな!」と大興奮で口々に叫んでいた。
しかし――
直線から、急角度のS字立体交差へと突入した瞬間。
(……ん?)
カイエンの紅い魔眼が、わずかな「歪み」を捉えた。
《ブラックバード》がコーナーへアプローチする際、左脚のアクチュエーターに異常なまでの高負荷がかかっていた。滑らかなコーナリングに見えるが、実際には旋回限界(限界値)を超えた速度で強引に機体をねじ込んでいる。
ほんのコンマ数ミリの旋回軌道のブレ。 普通の人間の目には「完璧な旋回」に見えるだろう。だが、カイエンの目には、装甲の隙間から吐き出される過剰な白煙と、フレームが悲鳴を上げている微振動が見えていた。
「……無理をしている」
カイエンがポツリと漏らした。
「え? 何が?」
モエが振り向くのと同時に、ピストンの爆音を突き破って、ピットエリアの通信用スピーカーから無情な声がコース上に響き渡った。
『甘いぞ、ナナ! 第1コーナーの脱出速度が0.08秒遅い!』
モニターに映し出されたのは、ピットの通信機を握りしめるガレス・クロムウェル――『鋼鉄皇帝』の厳格な顔だった。
『完璧なラインを走るだけでは勝てん! コーナー手前でブレーキをかけるな! もっと踏め! 命を削ってでも最高速を維持しろ!』
それは、機体の限界も、操縦者の安全も無視した狂気の指示だった。 一瞬の沈黙の後、走行中の《ブラックバード》から、細く吐息を殺したような声が返ってくる。
『……はい。お父様』
ブワッ!!
《ブラックバード》の背部ブースターが過負荷の赤光を放ち、マシンはさらに狂暴な速度でS字コーナーへと突っ込んでいった。 タイヤ(金属脚)がコースを凄まじい音で削り、火花が夜空のように舞い散る。
観客席からは「おおっ!」「さらに縮めた!」と大歓声が上がる。 しかし、モエの顔からは完全に笑みが消えていた。
「ナナ……そんな無茶な走り方……機体がもたないよ……」
「機体だけじゃない」
カイエンは冷徹な眼差しで、火花を散らして去っていく黒い機体を見つめた。
「操縦しているあいつの肉体も、精神も……限界だ。あの父親は、娘を勝利のための『部品』としか見ていない」
華やかなサーキットの熱狂の裏で、重く立ち込める歪んだ空気。 モエは悔しそうに唇を噛み締め、カイエンは静かに魔眼を閉じた。
狂騒のグランプリ開幕まで、あとわずか。
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