EP136 皇帝の影
カイエンが練習用パワードスーツで滑らかな踏み出しを見せ、モエと歓声を分かち合っていたその時だった。
ガシャン、と工房の重厚な鉄扉が押し開けられ、喧騒に包まれていた『ガレージ・クラフツ』の空気が一瞬で張り詰めた。
「――おい、あれ……」 「クロムウェル代表じゃないか! なんでこんな大衆ガレージに……!?」
ハンマーを振るっていたドワーフ職人たちが手を止め、ざわめきが波のように広がっていく。
入口に立っていたのは、二人組みの男女だった。 先頭を歩くのは、見る者を圧迫するほどの存在感を放つ巨漢の男性だ。
背丈は六尺(約185センチ)を超え、筋肉の鎧のような無骨な体躯。顎には薄っすらと無精髭を蓄え、鋭い眼光は工房内の職人たちを一瞥しただけで黙らせるほどの威圧感を孕んでいる。作業着の上から羽織った、数々のスポンサーロゴが刻まれた黒革のレーシングジャケット。
ガレス・クロムウェル(42歳)。 かつてグランプリ優勝5回、年間王者3連覇、そして今なお破られていない「最速ラップ記録」を保持する伝説のレーサー。この国で『鋼鉄皇帝』あるいは『不屈の王者』と称えられたレジェンドであり、現在は大企業を背後に従える有力レーシングチームの代表を務める男だった。
「親方、頼んでいた高圧バルブの特注パーツは上がっているか」
重く低く響く声。挨拶もそこそこに、ガレスは冷徹な勝負師の目でガレージ奥の親方を見据えた。
「おう、上がってるぜ、クロムウェル代表。……相変わらず愛想のねぇ顔だな」
ドワーフの親方が奥から不機嫌そうに木箱を抱えて出てくる中、カイエンの視線はガレスの後ろに従うように立っていた一人の少女へと向けられた。
――ナナ・クロムウェル(18歳)。
白いレーシングスーツに、一筋の黒いラインが走るシンプルな装い。華美な装飾やアクセサリーは一切なく、肩まで伸ばした黒髪を後ろで一つに結んでいる。 細身でしなやかな体型は、過酷なG(重力加速度)に耐えうるよう鍛え上げられていることが、その立ち姿から伺えた。
目元は父親譲りの強い光を宿した、深い藍色の瞳。しかし、その瞳にはどこか感情を押し殺したような、静かな影が落ちている。
「あ……ナナ!」
モエが声を弾ませ、作業用手袋を外しながら駆け寄った。
「モエ……久しぶり」
ナナの唇が、ほんの僅かに緩んだ。 二人の間に流れる空気は、明らかに初対面のそれではない。
ガレス率いるトップチームの絶対的エースにして、今大会の優勝候補筆頭。愛機を駆り、寸分の狂いもない正確無似なライン取りと芸術的なコーナリングで観客を魅了する人気レーサー。それがナナだった。
「調整かい? 《ブラックバード》の調子は?」
「うん。エンジンシリンダーの同調は完璧。……お父様が提示した目標タイムも、昨日のテスト走行でクリアしたわ」
「すごーい! 流石ナナね!」
嬉しそうに笑うモエに対し、ナナの表情は固いままだった。
二人は幼馴染だった。 まだガレスが引退したばかりで、この街の路地裏で小さなチームを立ち上げたばかりの頃。モエとナナは、捨てられた廃材置き場で毎日のようにジャンクパーツを拾い集め、小さな試作機を作って遊んでいた。
モエが夢中になってドライバーを握り、ナナがそれを笑顔で試運転する。 「もっとスピード出るよ!」「ほんと!? じゃあ次はブースターの出力を上げなきゃ!」と、二人で顔を油だらけにして笑い合っていた過去があった。
だが――現在の二人の間には、目に見えない透明な壁が横たわっていた。
「……ねえ、ナナ」
モエは少し声を落とし、どこか寂しげな瞳で幼馴染の顔を覗き込んだ。
「最近……全然笑わなくなったね」
「……」
ナナは一瞬だけ藍色の瞳を揺らした。だが、すぐに視線を落とし、さざ波ひとつ立てない冷ややかな声で答えた。
「……そんなことないよ。ただ、集中しているだけ。グランプリ前だから」
「ナナ……」
「余計な無駄口を叩くな、ナナ」
重厚な圧力が、会話を断ち切るように割り込んできた。 特注パーツの入った木箱を受け取ったガレスが、冷徹な眼光で娘を見下ろしていた。
「我々に必要なのは結果だけだ。過去の思い出に浸る時間など、今の貴様には一秒たりとも存在しない。次回の公式試走までに、コーナリングの旋回速度をあと0.2秒縮めろ。分かっているな?」
「……はい、お父様」
ナナは背筋を伸ばし、深く頭を下げた。そこに「父親と娘」の温かい関係性は存在しない。ただの「代表と、勝利を義務付けられた走者」という冷徹な契約関係だけが存在していた。
昔のガレスは、走ることそのものを愛する熱血漢だったという。 だが、過酷なプロの世界、スポンサーからの容赦ない圧力、そして自身の現役時代の悲惨なクラッシュ事故を経て、男はいつしか変わってしまった。
『勝てばすべて許される』
勝利こそが正義であり、結果を出せないレーサーには価値がない。その苛烈な信念を、実の娘にまで課しているのだ。
ナナは本当は、年相応の少女らしく街を散歩したり、甘いものを食べたり、モエとくだらない話で笑い合いたいと思っている。しかし、父の期待と圧迫、チームの重圧の前に、すべての感情を押し殺して「完璧なレースマシン」であることを自らに強いていた。
「行くぞ」
「はい」
ガレスが翻したジャケットの裾を追いかけ、ナナが歩き出そうとした時――彼女の足がピタリと止まった。
ドックの脇で、一連のやり取りを静かに見つめていたカイエンと目が合ったのだ。
黒い衣を纏い、ただ者ではない気配を消し去っている男。 ナナは立ち止まり、カイエンの全身を一瞬だけ観察すると、丁寧なお辞儀とともに声をかけた。
「……旅の人?」
「まあな」
カイエンは腕を組み、短く答えた。
「この街は、初めて?」
「あぁ。独特な活気のある街だな」
「そう……」
ナナは一瞬だけ、その険しい表情を柔らかく緩めた。それはレーサーとしての「完璧な顔」ではなく、18歳の少女としての素朴な素顔だった。
「もし……グランプリ観戦するなら、第1セクターの『S字立体交差』の一番前がおすすめだよ。マシンが一番綺麗に風を切る場所だから」
「覚えておこう」
「ナナ! 遅れるぞ!」
遠くからガレスの怒号が飛ぶ。
「……それじゃあ」
ナナは再び表情を「冷徹な走者」の仮面で覆い隠すと、背筋をピンと伸ばしてガレスの後を追ってガレージを去っていった。
静まり返るガレージの中で、モエはポツリと溜息を吐き、腰の工具ベルトをぎゅっと握りしめた。
「……バカナナ。あんなの、ちっとも楽しそうじゃないじゃない……」
悔しそうなモエの横顔を見つめながら、カイエンは去っていった父娘の背中を脳裏に思い浮かべていた。
事象を解析するカイエンの魔眼は、少女の背中に覆いかぶさるような巨大な「重圧」の歪みを捉えていた。そして父親であるガレスの放つ、勝利への異常な執着と暗い情念。
「勝てばすべてが許される、か……」
カイエンは冷めた声で呟いた。 帝国でも、そうやって「効率」と「成果」のために人の心を踏みにじる者を嫌というほど見てきた。
「カイエン……」
「気にするな。どんな重圧を背負っていようと、サーキットの上で決着をつけるのが、あの者たちのルールなのだろう?」
カイエンは練習用機体の胸部装甲にぽんと手を置いた。
「だったらお前は、あいつを力づくで正気に戻せるような『最高の機体』を作ればいい」
カイエンの言葉に、モエはハッとしたように目を見開いた。 そして、拳で自分の頬をパチンと強く叩くと、エメラルドグリーンの瞳に再び強い輝きを取り戻してみせた。
「……そうね! そうよ! 泣き言言ってる暇があったら整備よ整備! あの《ブラックバード》をギャフンと言わせるくらい、完璧な《カーピー》に仕上げてやるんだから!」
「あぁ。手伝えることがあれば言え」
「言ったわね! じゃあまずは、この3番シリンダーの分解から手伝ってもらうわよっ!」
ギアフォージの熱狂が最高潮へと向かう中、カイエンたちの真の戦いもまた、静かに熱を帯び始めていた。
父親ですが、豪快な人か線が細いか迷ったんですけど前者になりましたね…。
皆様はどのヒロインが1番魅力的でしたか?コメントで教えてくださいませ、
評価ブクマおねげーします!




