EP11 反転の回廊と『黄金の守護者』
未知の管理者にシステムを上書きされた重々しい扉を抜けると、そこは世界の天地が崩壊した異様な空間だった。
「――っ!?」
一歩足を踏み入れた瞬間、ユウナの視界が垂直に跳ね上がった。 今まで足元にあったはずの水晶床が、唐突に頭上へと移り変わる。一瞬の無重力感のあと、身体が真横――いや、「かつての壁」に向かって猛スピードで引きずり落とされそうになった。
「きゃああっ!?」
浮遊感に眩暈を覚え、足場を失って空中へ放り出されかけるユウナ。 その腕を、鋭い踏み込みとともに伸びてきたカイエンの手が掴んだ。
ガシッ、と強い力で引き寄せられ、ユウナの足が横倒しになった壁の突起に着地する。
「……落ち着け。重力は意思に反応する」
カイエンは視線をブレさせることなく、水平になったかつての壁面に立ちながら淡々と言った。
「ここは『重力操作回廊』だ。自分の重心をどこへ置くか、認識を固定しろ。戸惑えば空間の歪みに翻弄され、そのまま底知れぬ雲海へ落ちるのがオチだ」
「重力が……意思に……?」
ユウナは深く息を吐き出し、足裏がかみつくべき「床」の感触に集中した。脳の錯覚を力ずくで書き換えると、ふっと身体の浮遊感が収まり、壁面の上にしっかりと立つことができた。
背後から追いついてきたドラゴが、巨大なレンチを肩に担ぎ直し、苦々しい顔で喉を鳴らす。
「くそっ、毎回来るたびに気持ち悪い場所だな……。胃袋が上下逆さまになりそうだぜ。帝国の設計者は、三半規管ってものを知らないらしい」
「……文句を言っている暇はない。重力場の周期変動が始まる」
フードの奥からアラが淡々と割り込んだ。 彼女が細い指先をすっと滑らせると、空間に幾何学模様の魔法陣が何重にも広がり、重力ベクトルの流れが青白い光のラインとなって空間全体に浮かびあがった。
上下が逆転した巨大な橋、90度角度を変えて回転し続ける円形プラットフォーム、天照す星空に向かって垂直に伸びる回廊――それらすべてが、狂った時計の歯車のように変形を繰り返している。
「この回廊の重力線はランダムに見えて、一定のパルスで書き換えられているわ」
アラのプラチナブロンドの髪が、上から下へ、あるいは下から上へと不規則に流れる気流に揺れる。
「私の指示に従って。一秒の遅れが滑落に繋がる」
「頼むわ、アラ!」
ユウナは短銃剣を握り直し、身構えた。
「三秒後に右壁へ」
アラが無機質な声で告げる。
「えっ……? 右って、何もない空間よ!?」
「飛んで」
躊躇の猶予すら与えない短い言葉。 ユウナは歯を食いしばり、アラの演算を信じて右側の虚空へ向かって全力で跳躍した。
直後――パチンッ! と空間が弾けるような高音が響く。
「……っ!」
空中を飛んでいたユウナの身体が、目に見えない力に引かれて右方の空間へ引き寄せられた。 着地した瞬間、何もなかったはずの空間に新たな重力軸が形成され、剥き出しの壁面が「確固たる床」へと変貌する。
そのままユウナは勢いを殺さず壁面を駆け抜け、頭上から倒れ込んできた逆さまの橋を滑り込みで潜り抜けた。
「すごい……! 本当に道ができた!」
「ハッ、見事なアクロバットだねぇお嬢ちゃん!」
ドラゴが豪快に笑いながら、重力反転の波に乗って宙を舞い、巨大レンチの重みを利用して次の足場へと着地する。カイエンもまた、魔眼で重力の不連続点を完璧に見極め、一切の無駄がない動きで跳躍を重ねていく。
アラの完璧な先導と可視化、ユウナの果敢な踏み込み、ドラゴの力強い突破力、そしてカイエンの冷徹な状況判断。 接点のなかった四人の力が噛み合い、狂気的な重力の迷宮が確実に攻略されていく。
やがて、回廊の最奥――雲海を見下ろす最上階へと続く巨大な両開きの門が見えてきた。
だが、一行がその門へ踏み込もうとした瞬間。
ズズズズ……ッ!!
回廊全体の重力波が激しく衝突し、密度の高まった空気が重く押し潰されるような圧力を生み出した。
門の前に横たわっていた巨大な金色の岩塊が、地鳴りのような駆動音を立ててゆっくりと起き上がる。
「……なにか、来るわ!」
ユウナが警戒を露わにし、短銃剣の過給回路を起動させた。
現れたのは、幾何学的な魔法文字が全身に刻まれた、あまりにも巨大な人型の兵器。 全身が純金のような硬質な輝きを放ち、その背中には空間そのものを歪ませる巨大な重力制御ユニットが蠢いている。これまでの防衛兵器とは、放つ威圧感の桁が違っていた。
兵器の胸部から青白い光が漏れ出し、仮面のような顔面の中央に冷酷な赤き単眼が点滅する。
『――侵入者ヲ、確認』
重低音の機械音声が、空間の重力を激しく揺らしながら回廊全体へと響き渡った。
◇
『――侵入者ヲ、確認』
機械音声が響いた直後、黄金の巨人がゆっくりと巨大な右腕をかざした。
ド……ンッ!!
空間そのものが押し潰されるような衝撃波が吹き荒れた。 高密度の重力波が全方位へと放たれ、四人の身体が巨大な見えない手に叩きつけられたかのように一瞬で吹き飛ばされる。
「くっ……! ぐわぁぁッ!?」
天地の概念が弾け飛んだ。 天井へと叩きつけられ、間髪入れずに左の壁へと叩き落とされる。さらには足元の床そのものが重力波で粉々に砕け散り、奈落の虚空へと消え去っていく。
「ふざけんなッ!」
ドラゴが強引に足裏を壁へ着地させ、巨大なレンチを両手で構えて地を蹴った。重力場を力ずくで破り、黄金の巨人の膝元へ肉薄する。
「叩き割れてくれよッ!」
渾身の力で振り下ろされた巨大レンチが、黄金の装甲を捉えた。
ガンッ―――ッ!!
澄んだ金属音が回廊に突風を巻き起こす。だが、手応えは皆無だった。衝撃は黄金の表面を伝う魔法文字によって完璧に拡散され、ドラゴの手首に強烈な痺れとなって跳ね返る。
「チッ……硬すぎる! 傷一つ付かねぇぞ!」
「次は私よ!」
宙に放り出されていたユウナが、壁の突起を蹴って空中で体勢を整えた。短銃剣の過給回路を極限まで励起させ、巨人の単眼へ向けて青い魔導弾を連続で叩き込む。
ババババンッ!!
だが、弾丸は巨人の数センチ手前で展開された黄金の重力障壁に衝突し、光の粒子となって虚しく弾かれ散った。
「弾丸まで弾くなんて……!」
「――解体する」
弾けた光の眩み(くらみ)を突き抜け、影のように踏み込んだのはカイエンだった。 黒閃を描く魔剣が、幾何学模様の刻まれた胸部装甲を正確に切り裂く。
ズバッ……!
凄まじい火花が散り、ようやく黄金の表面に浅い筋状の傷が刻まれた。 しかし、コアを破壊するには程遠い。
「浅いか……!」
巨人が左腕を振るうだけで、生み出された重力の渦がカイエンの身体を容赦なく弾き飛ばした。
「……ハッ、ハッ……ダメよ、正面からの攻撃が一切届かない……!」
何度目かの壁への激突に耐え、ユウナが肩で息をしながら叫ぶ。四人の身体はすでに無数の擦り傷と打撲で打ちのめされていた。
その時、後方で幾重もの魔法陣を展開していたアラが、苦しげに声を張り上げた。
「……弱点は背中! 重力制御コアが、あの装甲の裏にある!」
アラの指先が指し示すのは、巨人の背中で脈打つ小さな球体パーツだった。だが、そこは高密度の重力波が常に渦巻く絶対防壁の渦中だ。
「わかってても……届かなきゃ意味がねぇんだよ!」
ドラゴが吐き捨てると同時に、巨人が両腕を突き掲げた。
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
回廊全体の重力が狂い、天井から巨大な岩塊が雨のように降り注ぎ、足をすくうように重力波が何度も襲い来る。
「ぐあっ!?」 「きゃああっ!」
何度も失敗し、何度も全方位からの重力波に叩きつけられる。 床を滑り、宙を舞い、血の味が口の中に広がる。それでも四人の瞳から戦意が消えることはなかった。
「……一回でダメなら、泥臭くいくしかないわね!」
ユウナが血の滲む唇を拭い、短銃剣を強く握り直した。
「ドラゴ、正面を抑えられるか!?」
「ハッ! 監査官様に命令されるより百倍マシだ! 任せときな!」
ドラゴが巨大レンチを床に突き立て、大柄な体を沈めた。
「来いよ鉄くず! 俺の腕を折ってみろッ!」
ドラゴが正面から巨人の注意を引きつけ、その重力拳を自身の身体とレンチで泥臭く受け止める。凄まじい圧力がドラゴの骨を鳴らすが、巨躯の技術少佐は歯を食いしばって踏み止まった。
「今よ、ユウナ!」
「はいっ!」
ユウナが跳躍した。壁から壁へ、浮遊する岩盤の破片を足場にして、視線を引きつけるように巨人の頭上を高速で駆け回る。過給弾を足元へ撃ち込み、単眼の照準を揺さぶり続けた。
「……重力波の周期、解析完了」
二人が作ったわずかな時間。アラのプラチナブロンドの髪が逆立ち、彼女の全魔力を注ぎ込んだ幾何学魔法陣が巨人の背後へと展開された。
「一秒だけ……重力の波を止める……!」
パシィィンッ――!!
重力の渦が一瞬だけ激しく打ち消し合い、巨人の背中に完全な「隙」が生まれた。
「見えた」
誰よりも速く、カイエンが跳躍していた。
アラが固定した一秒の静寂。 カイエンの魔眼が、重力制御コアの核を明確に捉える。
「解体―――ッ!!」
暗雲を切り裂く黒き一閃。 魔剣の刃が、黄金の背中深く――重力制御コアの真芯へと突き立てられた。
ズドォォォンッ!!
内部から溢れ出す狂乱の魔力が巨人の巨躯を内側から破壊していく。 幾重もの爆発が黄金の装甲を弾き飛ばし、やがて『黄金の守護神』は地鳴りのような音を立てて膝をつき、そのまま回廊の床へともつれ込むように倒れ伏した。
「ハッ……ハッ……ふぅ……」
ドラゴが膝に手をつき、荒い息を吐き出す。
「勝った……のか……?」
ユウナが短銃剣を構えたまま、慎重に距離を詰める。
静寂が戻ったかに思えた。
――だが。
倒れ伏した守護神の残骸から、太陽よりも眩い、禍々しい青白い光が溢れ出し始めた。
チ……チチチ……キィィィィン……!
空間を揺るがす不吉な電子高音。 周囲の漂う魔石や導管から、膨大なエネルギーが残骸へと逆流していく。
『――警告。第1防衛線、突破サレマシタ』
無機質で冷酷な機械音声が、壊れたスピーカーのように重低音で共鳴する。
『――防衛機構、第二段階起動』
残骸の光は収まるどころか激しさを増し、階層全体の魔力を吸い上げながら、破滅的な密度で膨張を始めていた。
◇
『――警告。防衛機構過負荷。崩壊シークエンスヘ移行』
倒れた『黄金の守護神』の残骸を中心に、吸い上げられた過剰な魔力が膨張していく。空間が歪み、足元のプラットフォームが次々とひび割れ、雲海へ崩落し始めた。
「ダメ……止められない……!」
アラが必死に幾何学魔法陣を組み替えながら、絶望に満ちた声を張り上げた。
「塔中の魔力がここに逆流してる……! このままじゃ爆縮して、回廊どころかこの階層ごと完全に消滅するわ!」
「そんな……ッ! ここまで来て……!」
ユウナが強く歯を食いしばり、壊れかけた短銃剣を握り直して前に躍り出た。
「私が行く! 過給回路を逆流させて、コアの魔力を相殺してみせるわ!」
「待て、ユウナ! 無茶だ!」
カイエンが制止しようと手を伸ばす。だが、その二人を突き破るようにして、巨大な影が前に踏み出した。
「おいおい、お嬢ちゃん」
ドラゴだった。 いつも浮かべていた薄っぺらで飄々とした笑みは消え、彼には不釣り合いなほど静かで、真面目な瞳をしていた。ドラゴは大柄な手でユウナの肩を力強く押し戻した。
「……若い奴に、そんな真似はさせられねぇよ」
「ドラゴ少佐……!?」
ドラゴは巨大なレンチを地面へ投げ捨てると、ボロボロの帝国軍外套を脱ぎ捨てた。
(帝国で、俺は無数の兵器を造った。) (『鉄の処刑場』なんて呼ばれてな。俺の作った機械で、無数の命がゴミみたいに死んでいった。) (……誰ひとり、救えなかった。)
ドラゴはフッと短く息を吐き、自爆の過負荷を起こしている狂乱の光へと歩み寄る。
「……今度くらいは、誰か守らせろ」
「ドラゴ、やめろッ!」
カイエンの叫びを背に受けながら、ドラゴはためらいなく両腕をコアの爆心地へと突き入れた。
バチバチバチッ――ッ!!
一瞬で凄まじい衝撃波と熱線がドラゴの肉体を襲う。 皮膜が吹き飛び、肉が黒く焼き切れ、白く剥き出しになった骨が覗く。激痛に全身の筋が狂ったように強張る。だが、巨躯の技術少佐は脚を踏ん張り、コアの回路を力ずくで引きちぎろうと指を食い込ませ続けた。
そして、焼き尽くされる苦悶の中で――ドラゴはニヤリと笑った。
「ぐ……あ、ガッ……! ハッ……こんなの……あの頃よりゃ、痛くねぇよ……ッ!!」
「ドラゴッッ!」
「この馬鹿が……!」
カイエンが跳躍した。影のように肉薄し、黒閃を放つ魔剣をドラゴの焼かれた腕に並べて突き立てる。
「アラ! 魔力回路の放流経路を固定しろ! ユウナ、出力を回せ!」
「……っ、了解!!」
アラは目元に涙を浮かべながら、全魔力を注ぎ込んで巨大な強制排熱用の魔法陣を展開させた。ユウナもまた、短銃剣から絞り出せる限りの魔力をカイエンとアラへ注ぎ込む。
四人全員の力が、爆発の渦中で一つに重なり合った。
「ディスコネクト―――ッ!!」
カイエンの魔剣が過負荷の膨張を切り裂き、アラの魔法陣が過剰魔力を別空間へと強制放流する。
チュドォォォン……ッ!!
不気味な高音が弾け飛び、眩い光が徐々に収束していった。
……静寂。
崩落しかけていた回廊が動きを止め、空間の歪みが嘘のように静まり返る。
「はぁ……はぁ……」
熱気が引いた空間で、ドラゴの巨躯が膝から崩れ落ちた。肩から右腕にかけて真っ黒に焼き焦げ、荒い息を吐いている。
「ドラゴ少佐!」
ユウナが駆け寄ろうとした瞬間、動いたのはカイエンだった。
カイエンは無言で近づくと、倒れそうになるドラゴの左肩を力強く掴み、己の肩へと担ぎ上げた。
かつてのカイエンであれば、力尽きた者に冷たく「立て」とだけ言い捨てていただろう。そんな男が見せた不器用な情に、ドラゴは虚ろな目を丸くし、苦笑を漏らした。
「……へっ。監査員様が……随分と優しいじゃねぇか……」
カイエンは視線を前方に向けたまま、冷淡な口調で返した。
「勘違いするな。……貴様には、まだ利用価値がある。ここで死なれては計算が狂うだけだ」
「ふふっ……」
その頑固な言い回しに、ユウナは不意に短く吹き出し、心の底からの笑みをこぼした。
「何がおかしい、ユウナ」
「ううん、なんでもないわ。……行きましょう!」
ボロボロになりながらも、四人は肩を組み、並んで歩き出す。
回廊の最奥に立ち塞がるのは、幾重もの古代禁術で封印された、巨大な黄金の二重扉だった。
カイエンが残骸から回収した管理用コアをかざすと、重厚な駆動音とともに、扉の封印が一斉に解かれていく。
ズズズズ……ッ!!
「ここから先が――本当の最上階だ」
カイエンの言葉とともに、ゆっくりと、巨大な門が開かれていく。
門の向こうから溢れ出すのは、空間を真っ白に染め上げるほどの眩い光。 その光の中心――世界の理を統べる最深の領域に、静かに鎮座する『玉座』の影が、ぼんやりと浮かび上がっていた。
本日も『灰の監視員』をお読みいただき、ありがとうございます!
塔の守護者、ゴールド・ガルディアンとの死闘。そして、ドラゴの右腕を賭した決死の防壁展開。いかがでしたでしょうか。
物語はついにクライマックス直前!
次回からは、この塔に隠された最大の秘密と、最上階の「ホスト」との対峙が待ち受けています。ここから先の展開は、私自身も書いていて手が震えるような熱いものになっています。
今後の展開が気になる方は、ぜひ「ブックマーク」をして、明日の更新を楽しみにお待ちください!
皆様のブックマークや評価が、物語の完結まで走り切るための何よりの力になります。引き続き応援をよろしくお願いします!




