EP117 正義の天秤
常闇の騎士アゼルが星々の粒子となって消え去り、聖堂に静寂が戻る。
カイエンは静かに自らの魔剣を収めると、アゼルが膝をついていた場所へゆっくりと歩み寄った。 そこには彼が遺した黒き魔剣が床に深く突き刺さっており、その根元には、アゼルの肉体が塵となった名残りの、かすかに光る灰が静かに積もっていた。
ふと、カイエンの魔眼が、その灰の山の中で微かに異質な魔力を放つ「何か」を捉えた。
カイエンはしゃがみ込み、灰をそっと手で払う。 現れたのは、装飾のない、しかし深淵の闇を吸い込んだかのように滑らかな、一つの「黒い指輪」だった。
指輪に触れようと手を伸ばした、その瞬間。 カイエンの脳裏に、アゼルのものとも、あるいはかつての老王のものとも取れる、静かで厳かな声が響き渡った。
『――王に会いなさい』
「……っ」
カイエンは微かに目を見開いた。 その声は、ただの幻聴ではない。指輪に宿る、かつての王国の強い意志の残響。 カイエンは迷うことなくその黒い指輪を拾い上げると、自らの左手の指へと嵌めた。指輪はまるで最初からそこにあったかのように、彼の指にぴったりと馴染み、冷たい魔力を微かに脈動させた。
「王、か……」
カイエンが立ち上がると、背後から足音が近づいてきた。 アゼルとの激闘の衝撃波で吹き飛ばされ、戦闘不能に陥っていたヒナ、アイフェリス、マキマの三人が、どうにか動ける程度に回復し、彼の元へと歩み寄ってきたのだ。
「ねえ、カイエン」
ヒナが、アゼルの灰と、床に突き刺さったままの魔剣を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「アゼルが言っていた『正義』って、結局何なのかな?」
カイエンは左手の黒い指輪をそっと見つめ、それから紅い魔眼を仲間たちへと向けた。
「……お前らはどう思う?」
逆質問され、最初に答えたのは、姿勢を正して杖を握り締めたアイフェリスだった。
「民を守ることです。弱き人々が理不尽に虐げられず、平穏に暮らせるようにすること。それこそが、正義のあるべき姿だと思います」
「ならば」
カイエンは淡々と、しかし容赦のない声音で言った。
「民を守るために、別の百人の無辜の民を殺せと言われたら、お前はどうする」
「それは……」
アイフェリスは言葉に詰まり、黙り込んだ。
次に、マキマがその豊かな胸を大きく張って、拳を突き出した。彼女の誇る圧倒的な巨乳が、その動作によって衣服の上からでもはっきりと強調され、大きく揺れる。
「自分はもっとシンプルに考えるであります! 悪い奴を倒すことであります! 悪者をぶっ飛ばせば、みんなハッピーであります!」
「悪とは、誰が決める」
カイエンの冷徹な追及が飛ぶ。
「法か、国家か、それともお前自身の感情か。お前にとっての悪が、その家族にとっては唯一の正義であることも珍しくはない」
「ぐぬぬ……相変わらず理屈っぽくて、意地悪な質問であります……!」
マキマは豊かな胸をさらに膨らませて抗議するが、反論の言葉が見つからずに唸るしかなかった。
最後に、ヒナが真っ直ぐな瞳でカイエンを見上げた。
「私は……仲間を守ること。大切な人たちが傷つかないように、一緒に笑っていられるように剣を振るう。それが私の正義だよ」
「仲間を守るために、一つの国を滅ぼすことになってもか?」
「――もう! さっきから意地悪ばっかりだよ、カイエン!」
ヒナは怒ったように両手を腰に当てて、カイエンを睨みつけた。
「そんなの、その時になってみないと分からないよ! でも、私は全部守りたいんだから!」
その言葉に、カイエンの口元から、微かな笑みがこぼれた。 彼が笑うのを見て、アイフェリスも、マキマも、そして怒っていたヒナも、釣られたように顔を見合わせ、ふっと表情を和らげて笑い合う。
「ふっ……。正解のない問いだ。だが、お前たちが迷いながらも、それぞれの答えを持っているなら、それでいい」
カイエンは床に深く突き刺さった魔剣を一瞥した。 その漆黒の刃は、主であるアゼルの墓標のように、静かにその場に佇んでいる。カイエンはその剣に手を触れることはせず、アゼルの誇りとともにその場に残していくことに決めた。
左手の黒い指輪をしっかりと握り締め、カイエンは最深部へと続く巨大な扉を見据える。
「行こう。王の御前は、もう目の前だ」
仲間たちは一斉に頷き、カイエンの背中に続いた。 それぞれの正義を胸に秘め、彼らはついに、世界の真実が待つ最後の扉へと足を一歩踏み出した。
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