EP115 紡がれる星の記憶
アゼルの背後に広がる「夜空の翼」が、無限の宇宙を吸い込んだかのように激しく明滅した。 星々の粒子を纏った魔剣が、上段から一筋の漆黒の閃光となって振り下ろされる。
「おおおおおおッ!!」
漆黒の魔力を爆発させ、『深淵の断罪者』と化したカイエンが、禁忌の魔剣を両手で掲げてそれを受け止めた。
ギィィィィィィィン――ッ!!!
音のない世界。しかし、衝突の瞬間に生じた凄まじい衝撃波が、目に見える空気の歪みとなって四方に炸裂した。 聖堂の床がクモの巣状に砕け散り、巨大な石柱が根本からへし折れて崩落していく。互いの闇の魔力が、互いを侵食し合おうと狂暴に渦巻いていた。
押し潰されそうなほどの質量。 アゼルの魔剣から伝わるのは、かつて王国を構成していたすべての正義、そして滅びの歴史そのものの重さだ。
鍔迫り合いの最中、至近距離でカイエンを見つめるアゼルの左右異なる双眸が、静かに細められた。 彼の穏やかな声が、カイエンの脳裏に直接、深く響き渡る。
『若き剣士。お前は何のために剣を振るう』
「守るためだ……ッ!」
カイエンは歯を食いしばり、全身のバグ・コードを強制励起させてアゼルの刃を押し返した。 だが、アゼルは表情一つ変えず、ただ静かに首を横に振った。
『誰を』
「――っ」
アゼルの短い問いかけに、カイエンの魔眼が一瞬、揺らいだ。 誰を? これまで、ただ世界の崩壊を整理し、目の前の歪みを解体することだけを目的としてきた。 自分の肉体が世界の一部として解体されるリスクを背負いながら、なぜ自分は進み続けるのか。
その一瞬の迷いを見逃さず、アゼルは冷徹に、しかしどこか哀しげに問いを重ねていく。
『仲間か』
一撃。魔剣がさらに重さを増し、カイエンの膝がわずかに折れる。
『民か』
二撃。夜空の粒子が爆発的に吹き荒れ、カイエンの漆黒の衣を切り裂く。
『国か』
三撃。第一騎士の「鉄壁」の圧力が、カイエンの全身の骨を軋ませる。
『王か』
四撃。第二騎士の「黒赤の炎」が、カイエンの視界を赤く染め上げる。
『世界か』
五撃。第三騎士の「絶対零度」の冷気が、カイエンの足元を凍りつかせ、その自由を奪う。
一つ一つの言葉とともに、アゼルの剣撃は質量を何倍にも膨らませ、カイエンの肉体を容赦なく叩き潰そうと迫り来る。
『すべては守れない』
アゼルの声は、冷酷な現実そのものだった。 何かを選べば、何かを失う。かつての王国がそうであったように、個々の正義は必ず衝突し、破滅を呼び寄せる。それがこの世界の絶対的なシステム(理)なのだと。
だが、カイエンは凍りついた地面を踏み締め、血を吐き出しながらも、紅き魔眼をカッと見開いた。
「それでも――俺は全部守る!!」
咆哮とともに、カイエンの身体から禍々しい深淵の闇が爆発的に噴出した。 アゼルの冷気を、炎を、圧力を、そのすべてを強引に喰らい尽くし、押し戻す。
その様子を見たアゼルは、一瞬、驚いたように目を見開き、そして――少しだけ、愛おしむように笑った。
『……昔の私と同じだ』
再び、両者の魔剣が激しく斬り結ばれる。 無音の空間を、黒と夜空の軌跡が縦横無尽に切り裂いていく。
『私は。全てを守ろうとした。王も。民も。騎士も。だが』
アゼルが夜空の翼を羽ばたかせ、空間を転移するかのような神速でカイエンの死角へと回り込む。 魔剣から放たれた、絶対的な闇の斬撃。
『結果は。何一つ守れなかった』
黒い斬撃がカイエンの脇腹を深く切り裂き、鮮血が舞い散る。 それでもカイエンは怯まない。傷口から溢れる漆黒の魔力をそのまま刃に纏わせ、アゼルの首元を狙って強烈な一撃を叩き込んだ。
「違うッ!!」
カイエンの叫びが、アゼルの魂に直接叩きつけられる。
「あんた達がいたから……! 王国は、今も語り継がれているんだ!!」
「――っ!?」
初めて。 数百年もの間、この常闇の底で静寂を保ち続けていたアゼルの表情が、劇的に揺らいだ。 黄金と深紅の瞳が大きく見開かれ、彼の完璧だった魔力の調和が一瞬だけ乱れる。
『……語り継がれることが。救いになると、思うか』
アゼルの声に、初めてかすかな「迷い」と「震え」が混ざっていた。 滅び去った国。残されたのは、狂気とバグに侵された守護者たちの哀れな残響。そんなものが語り継がれることに、一体何の意味があるのかと。
カイエンは大きく後退し、地面に魔剣を突き立てて踏みとどまると、再びまっすぐにアゼルを見据えて剣を構え直した。
「少なくとも。忘れられるよりはいい」
カイエンの言葉は、冷徹な監査官としての理路整然としたものではなかった。 かつて看取った少年のこと。救えなかった過去。それでも、彼らの生きた証をこの胸に刻み、進み続けてきたカイエン自身の、魂の叫びだった。
アゼルは、静かに目を閉じた。 吹き荒れていた猛吹雪も、黒赤の炎も、黄金の光も、すべてが彼の内に静かに収束していく。
『そうか。……それが、お前の正義か』
その問いに、カイエンは小さく首を振った。
「違う。正義なんて、俺には分からない」
カイエンは『深淵の断罪者』の力を維持したまま、一歩、アゼルへと歩み寄る。
「でも。後悔したまま、何百年もこの暗闇に縛られる人生だけは。……俺は、誰にも歩ませたくない」
アゼルの背負う絶望を、その哀しみを、カイエンは「解体」するのではない。 すべてを背負ってここに立ち続けるアゼルという男を、この呪縛から、今度こそ救い出す。それがカイエンの出した答えだった。
その瞬間。
アゼルは、初めて、心からの笑みを浮かべた。 それは王の影として、王国のすべての正義と滅びを見届けてきた彼が、数百年もの孤独の果てに、ようやく手に入れた「救い」の表情だった。
『……その答え』
アゼルは魔剣をゆっくりと下ろし、夜空の翼を優しく揺らめかせた。
『陛下も、気に入るだろう』
正義ってなんだろうと思いながら書いておりました。
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