EP110 凍てつく波濤
マキマが壁際に崩れ落ち、そのバイタルサインが危険域まで低下していく。 無音の世界の中、彼女の落とした電子銃だけが、虚しくパチパチと火花を散らしていた。
「マキマ……ッ!」
ヒナが声にならない悲鳴を上げ、駆け寄ろうとする。しかし、その行く手を阻むように、アゼルが静かに一歩を踏み出した。
彼の右の黄金の瞳が、凍てつくような冷徹さを帯びる。 漆黒の魔剣の刀身に纏わりついていた黒赤の残り火が、一瞬にして掻き消えた。代わりに、剣の周囲の空気がキリキリと悲鳴を上げるように収縮し、白い霧が立ち込め始める。
アゼルの唇が、静かに動いた。 その声が、アイフェリスの脳裏に直接、冷酷なまでに響き渡る。
『――これは』
アゼルが魔剣を頭上へと掲げる。その刃が、瞬く間に巨大な青白い氷の結晶に覆われ、禍々しい「氷剣」へと変貌していく。
『第三騎士の氷』
「ヴァルド……ッ!」
アイフェリスは息を呑み、美しくも鋭い双眸を激しく見開いた。 かつて、この遺跡の奥深くで自らと一騎打ちを繰り広げ、王国の真実を知って精神を崩壊させた、あの「氷の騎士 ヴァルド」。その絶対零度の魔力が、今、アゼルの手によって再現されようとしていた。
凄まじい猛吹雪が、無音のまま聖堂を吹き荒れる。 触れるものすべてを瞬時に凍土へと変える、死の冷気。床の石畳がバキバキと音を立てて凍りつき、アイフェリスたちの足元まで白い霜が超高速で這い寄ってくる。
「……やらせない。彼の氷を、そんな風に道具のように使わせるものですか!」
アイフェリスの内に、激しい怒りと、かつて戦ったライバルへの敬意が混ざり合った感情が爆発した。 彼女は愛用の杖を強く握り締め、エルフの秘術たる魔力を限界まで解放する。彼女の背後に、巨大な魔法陣が幾重にも展開され、まばゆい光を放ち始めた。
アイフェリスの波状攻撃が始まった。
まず放たれたのは、絶対零度の冷気に対抗するための、超高温の炎の弾幕。 十数個もの火球が、無音の空間を赤く染め上げながらアゼルへと殺到する。
しかし、アゼルは氷剣を軽く一振りした。それだけで、吹き荒れる猛吹雪が火球を包み込み、熱量ごと完全に凍らせて粉砕する。
「まだです……!」
アイフェリスは間髪入れず、第二波を放つ。 今度は光の術式。鋭い光の槍が雨のように降り注ぎ、アゼルの足元の影を縫い留めようとする。さらに、第三波として重力を歪める空間魔法を展開し、アゼルの動きを強制的に拘束しようとした。
これまでの敵なら、この苛烈な魔法の連撃の前に防戦一方となっていただろう。 だが、アゼルは「王国最強」の影。
アゼルは、無数の光の槍が自身に突き刺さる直前、魔剣を地面へと突き立てた。
ドォン!
視覚的な衝撃波とともに、アゼルの足元から「氷の城壁」が爆発的に隆起した。 アイフェリスの放った光の槍は、その極厚の氷壁に阻まれてことごとく弾け散る。さらに、空間魔法による重力の歪みすらも、アゼルが放つ「絶対零度」の冷気によって、魔力の流れそのものが凍りつき、術式が強制的に解体されてしまった。
「魔法の構造そのものを……凍らせた……!?」
アイフェリスが驚愕に目を見開いた瞬間。
アゼルは氷壁を自ら踏み砕き、猛吹雪を纏いながら突進してきた。 その巨躯からは想像もつかない神速。
アイフェリスは咄嗟に最強の防御結界を展開する。エルフの守護魔力を幾重にも重ねた、強固な光の盾。
だが、アゼルの放った一撃は、かつてヴァルドがアイフェリスを追い詰めた、あの「感情を排した第二形態」の氷剣そのものだった。
キィィィン――!
音のない世界で、アゼルの氷剣がアイフェリスの結界に直撃する。 接触した瞬間、アイフェリスの結界の表面に、みるみるうちに青白い氷の亀裂が走った。守護の魔力ごと、結界が「凍りついて」いく。
「くっ……、あああああッ!」
アイフェリスが魔力を注ぎ込んで抗うが、アゼルの魔剣から放たれる質量と冷気は、彼女の許容量を遥かに超えていた。
パリィィィン!!!
ガラスが砕けるような視覚的エフェクトとともに、結界が完全に粉砕される。 吹き飛んだ破片とともに、絶対零度の衝撃波がアイフェリスの華奢な肉体を直撃した。
「――っ、が……はっ……!」
アイフェリスの身体が宙を舞う。 彼女の美しいエルフの肌は一瞬で霜に覆われ、その四肢は冷気によって完全に麻痺していた。 そのまま冷たい石床を激しく転がり、彼女の杖が手元から離れてカラカラと転がっていく。
アイフェリスは意識を失い、ピクリとも動かなくなった。
「アイフェリス!」
カイエンが叫び、魔眼で彼女のバイタルを確認する。マキマに続き、アイフェリスまでもが完全に戦闘不能に陥った。
アゼルは、氷剣を静かに構え直す。 その背後に漂う闇は、今や冷気と混ざり合い、より一層深い絶望となってカイエンとヒナの前に立ちはだかっていた。
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