EP108 静寂を纏う常闇
アルディウスが黄金の粒子となって消え去った聖堂には、ただ一振りの大剣が石床に突き刺さったまま、静かに残されていた。
ヒナは袖で乱暴に涙を拭うと、ドラゴンの角の短剣を鞘に収め、ゆっくりと立ち上がった。 「……行こう、カイエン」 「ああ」 カイエンは短く応じ、大剣を一瞥してから、さらに奥へと続く重厚な扉へと歩みを進めた。アイフェリスが静かに魔法の灯火を掲げ、マキマが「油断大敵であります」と電子銃を構え直してそれに続く。
扉の先は、これまでのどの階層とも異なっていた。 そこは、光という概念そのものが拒絶されたかのような、底知れぬ「闇」に満ちた回廊だった。アイフェリスが掲げる灯火の光すらも、周囲の濃厚な闇に押し潰され、足元を辛うじて照らすのが精一杯だった。
その闇の奥から、静かな、あまりにも静かな足音が響いた。
サク、サク、と冷たい砂を踏みしめるような音。 だが、その足音に連動するように、周囲の闇がうねり、まるで生き物のように床を這い回っている。
一行が足を止め、警戒の視線を向けたその先――。 闇を切り裂くようにして、一人の男が姿を現した。
「――っ、大きい……」 マキマが思わず息を呑む。
そこに立っていたのは、身長一九五センチメートルに達する、この塔で出会ったどの騎士よりも巨大な男だった。 背中まで伸びた黒銀の長髪が、微かな風に揺れている。 纏っているのは、一筋の光も反射しないほどに深い漆黒の鎧。しかし、アイフェリスの灯火がその表面をかすめた瞬間、鎧の奥から、かつて栄華を極めたであろう「王国」の紋章が、幻影のようにぼんやりと浮かび上がった。 その鎧は、無数の剣創や打撃痕で傷だらけだった。一度も修復された形跡のないその傷群は、彼が王と共に戦い抜いた、最後の戦いの過酷さを物語っている。
肩からかけられたマントは、夜空そのものを切り取って仕立てたかのように黒く、そこには無数の銀糸で星々のような煌めきが刺繍されていた。彼が一歩を歩むたび、マントの裾から伸びる影が、生き物のように床を這い、周囲の闇と同化していく。
そして何より異様なのは、その双眸だった。 左右で色が異なる、奇妙なオッドアイ。 右の瞳は、消滅したアルディウスと同じ、気高い「黄金」。 左の瞳は、血を凝固させたかのような、深い「深紅」。
男は、襲いかかる素振りを見せることもなく、ただ静かにカイエンたちを見つめていた。その表情には、怒りも、憎しみも、悲しみすらもない。完全に感情が削ぎ落とされたかのような、静謐な顔立ち。 だが、その佇まいには、冷酷さとは真逆の、奇妙な「温かさ」が満ちていた。
男は、ゆっくりと口を開いた。 その声は、低く、深く、耳元で囁かれるように優しかった。
「……ようこそ、異邦の旅人たちよ」
「え……?」 ヒナが呆然と声を漏らす。 これまで出会った守護者たちは、誰もが狂気や忠義に狂い、あるいは侵入者を排除すべき「バグ」として容赦なく襲いかかってきた。歓迎の言葉を口にした騎士など、一人もいなかったのだ。
「俺はアゼル。かつて『常闇の騎士』と呼ばれ、王の影として生きた者だ」
アゼルと名乗った大男は、静かにカイエンを見据えた。 「君たちが、これまでの同胞たちを眠らせてくれたのだな。……感謝する。彼らは皆、自らの誓いに縛られ、あまりにも長い間、苦しみ続けていた」
カイエンは魔眼を細め、アゼルの全身を観察する。隙がない。王国最強、そして王の影。誰よりも王の本心を知る男という肩書きは、彼の放つ圧倒的な存在感が証明していた。
「お前は、俺たちと戦う意思があるのか」 カイエンの冷徹な問いに、アゼルは静かに首を振った。
「戦うのではない。ただ、私は私の役割を果たすだけだ。……私は王の影。王が最後まで抱き続けた絶望と、そして救いを、ここに留めるための楔」
アゼルは、腰に佩いた一本の剣の柄に、ゆっくりと手をかけた。 それは、漆黒の刀身を持つ大剣。魔剣。
彼がその剣を鞘からわずかに引き抜いた、その瞬間。
――世界から、すべての「音」が消失した。
風の音も、衣擦れの音も、自分たちの呼吸音すらも。 魔剣が放つ絶対的な闇の波動は、空間の光だけでなく、大気の振動である「音」すらも完全に吸い尽くしてしまったのだ。 完全なる静寂。耳が痛くなるほどの無音の世界の中で、アゼルの左右異なる双眸だけが、妖しく光り輝いている。
アゼルは、音のない世界の中で、口の動きと、魂に直接響くような精神感応をもって、静かに語りかけてきた。
『かつて、この国が滅びた時。多くの者が誰かを責めた。王を、国民を、あるいは運命を』
アゼルの左の深紅の瞳が、哀しげに細められる。
『だが、私は思うのだ。……全員が悪かった。国を守れなかった王も、王を見捨てた国民も、そして、何も救えなかった私自身も。全員が、等しく罪を背負っていた』
彼の言葉は、告発ではない。ただ、事実を淡々と受け入れた者の諦念。
『全員が悪かった。……だからこそ、誰も悪くない』
それが、王国最強でありながら、誰よりも優しかった「王の影」が、数百年の末にたどり着いた答え。 すべてを許し、すべてを包み込む、常闇の如き慈悲。
アゼルは魔剣を完全に引き抜き、両手で構えた。 音のない世界で、漆黒の刃が、カイエンたちの未来を遮るように静かに佇んでいる。
最後の騎士です!とても思いれがあるものです!
また、本日お盆最後ですので、一挙放送それ以降は1日2話更新していきます!
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
「続きが気になる!」「面白かった!」と思っていただけましたら、
☆☆☆☆☆評価やブックマークで応援していただけると、とても励みになります!
皆さまの応援が、執筆を続ける大きな力になります。
また次話でお会いしましょう!




