EP106 騎士の矜持、少女の選択
「おおおおおッ!」
ヒナは叫びながら、再び地を蹴った。 全身の痛みを、ドラゴンの角の短剣から伝わる微かな魔力の波動でねじ伏せる。彼女の身体は、限界を超えた速度で石床を滑るように駆け、アルディウスの懐へと肉薄した。
キィィィン! キィン!
凄まじい金属音が聖堂に連続して響き渡る。 ヒナが放つ、目にも留まらぬ死角からの刺突。しかし、アルディウスはそのすべてを、黄金の聖剣の最小限の動きだけで完全に弾き返していく。 彼の背後に広がる「黄金の翼」が羽ばたくたび、強烈な光の圧力がヒナの身体を押し潰そうと襲いかかる。
圧倒的な実力差。 どれだけ鋭く刃を振るおうとも、そのすべてが光の中に吸い込まれ、届かない。 その絶望的な壁を前にして、ヒナは悔しさに歯を食いしばりながら、喉が張り裂けんばかりの声で叫んだ。
「あんたは……ただの裏切り者だ! 自分を信じて、助けを求めてた弟子を……見捨てたんだろ!」
それは、アルディウスの胸の傷に直接爪を立てるような、残酷な問いかけだった。
だが、アルディウスの黄金の瞳は揺らがなかった。 彼は、聖剣でヒナの短剣をいとも容易く受け止め、至近距離で静かに、しかし地鳴りのように重い声で答えた。
「違う」
「……え?」
ヒナは、至近距離でぶつかり合う刃の向こう側、アルディウスの厳格な顔を見つめた。 その瞳には、卑屈な言い訳も、過去への逃避も、一切存在していなかった。
「私は」
アルディウスは、一歩を踏み出し、聖剣の重圧でヒナを押し戻しながら言った。
「王を選んだ」
「……っ!」
「見捨てたのではない。私は己の意志で、弟子の命を切り捨て、我が主君を護る道を選び取ったのだ。誰に強制されたわけでもない。私自身が、そう決断した」
それは、あまりにも傲慢で、あまりにも悲しい、剥き出しの意志だった。 ヒナは弾き飛ばされながらも、必死に体勢を立て直し、ドラゴンの角の短剣を構え直して吠えた。
「それが騎士か! 自分の大切な人一人救えないで、何が最強の騎士よ!」
叫ぶヒナに対し、アルディウスは黄金の聖剣を正対させ、その神々しい光の粒子をさらに激しく舞い上がらせた。
「そうだ」
彼の声には、一片の迷いもなかった。
「王を守る。……それが騎士だ」
主君のためにすべてを捧げ、たとえその過程で自らの人間性を失おうとも、誓いを全うする。それこそが彼の生き様であり、彼が数百年経ってもなお抱き続ける、不変の「忠義」だった。
ヒナは息を荒くし、その圧倒的な覚悟の重さに圧倒されそうになる。 カイエンもまた、無言でその光景を見つめていた。アルディウスの言葉は、冷徹なシステムのように合理的でありながら、同時に狂気的なまでの純粋さを孕んでいた。
しかし。
次の瞬間、アルディウスの厳格な口元が、わずかに、本当にわずかに、優しく綻んだ。 それは、数百年もの間、彼が一度も見せることのなかったであろう、穏やかな、一人の「師」としての笑みだった。
「……だが」
アルディウスは、胸当ての大きく割れた傷跡に視線を落とし、それから再びヒナを見つめた。
「弟子を助けたお前も。……きっと正しい」
「――――」
ヒナは、驚きに目を見開いた。
自分を否定されると思っていた。 冷酷な忠義の前に、自分の甘さを、迷いを、一刀両断にされるのだと。 だが、歴代最強と謳われた光の騎士は、自分の歪んだ忠義を貫きながらも、目の前で必死に抗う少女の「優しさ」を、その「選択」を、確かに認めたのだ。
「私は王を選び、そして、すべてを失った。……少女よ、お前は私のようにはなるな。お前のその刃は、大切な者を守るためにこそ振るわれるべきだ」
アルディウスの背後にそびえ立つ黄金の翼が、最大級の輝きを放ち始める。 それは、彼が全霊を懸けて放つ、最後の試練の兆しだった。
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