EP104 託された刃と、遺された面影
静寂に包まれた聖堂のような広間。 第四騎士『光の騎士 アルディウス』の黄金色の双眸が、ゆっくりと動き、カイエンたちの前に進み出たヒナの姿を捉えた。
その瞬間、アルディウスの厳格な表情が、微かに揺らいだ。 彼の視線の先にあるのは、褐色の肌を持つ半エルフの少女。その手には、かつてカイエンから手渡された、柄に硬質なドラゴンの角が使われ、淡い輝きを放つ透き通った刃の短剣が握られている。
アルディウスの脳裏に、数百年経っても色褪せることのない、一人の少年の面影が鮮明に蘇っていた。 ――十八歳。騎士になったばかりの、前途ある若い愛弟子。 その少年は、近衛騎士団長であるアルディウスを実の父親のように慕い、いつも彼の背中を追いかけていた。だが、あの滅亡の日、アルディウスは彼を守ることができなかった。胸当てに刻まれた大きな裂け傷は、その時に負った、生涯消えることのない悔恨の証だった。
目の前で短剣を構えるヒナの、恐怖に震えながらも、決して退かないと決めた強い眼差し。それが、あの日の愛弟子の姿と、あまりにも残酷なほどに重なった。
アルディウスは、悲痛さを秘めた重厚な声で、静かに語り始めた。
「……国民は、王を見捨てた」
その声は、聖堂の壁に反響し、重く響き渡る。
「彼らは自らの保身のために、国を、そして王を裏切り、背を向けたのだ。……だが、私は最後まで王を見捨てなかった。この命が尽き、魂がバグに侵されようとも、私の忠誠はあの御方と共にあった」
それが、彼の抱き続ける絶対的な信念。 王を人柱にしてまで生き延びようとした世界への、そして国民への、静かな、しかし深い絶望。
ヒナは、喉の奥が張り裂けそうなほどのプレッシャーを感じながらも、カイエンから貰った短剣を両手で強く握りしめた。ドラゴンの角の柄から伝わる、かすかな魔力の波動が、彼女の震える心を辛うじて支えていた。
「……あんたの気持ちなんて、私にはわからないよ」 ヒナは、一歩を踏み出した。 「でもね、私はカイエンにこの短剣を貰ったの。信じて託してくれた人がいる。だから、ここで逃げるわけにはいかない……ッ!」
ヒナの身体が、弾かれたように地を蹴った。 シーフとしての俊敏さを極限まで引き出し、残像を残しながらアルディウスの懐へと肉薄する。
「おおおおお!」
鋭い踏み込みと共に、淡く輝く短剣が、アルディウスの無防備な喉元へと放たれた。
キィン――!
澄んだ鐘の音のような響きと共に、黄金の聖剣が、ヒナの渾身の一撃を寸前で受け止めていた。 防がれた衝撃で、ヒナの手首に痺れるような衝撃が走る。だが、彼女はすぐさま身を翻し、低い姿勢からアルディウスの足元、そして鎧の隙間を狙って、目にも留まらぬ連続攻撃を繰り出した。
ドラゴンの角の短剣が、空気を切り裂き、幾重もの淡い光の軌跡を描く。
アルディウスは、その圧倒的な体格からは想像もつかないほど精密な剣捌きで、ヒナの放つ必死の刃をすべて最小限の動きで受け流していく。 彼の周囲に舞う金色の光の粒子が、ヒナの動きを先読みするかのように揺らめいていた。
しかし、アルディウスは反撃をしなかった。 ただ、ヒナの必死な剣技を、その黄金色の瞳で見つめ続けている。
(……似ている)
がむしゃらに、しかし大切な何かを守るために、必死に刃を振るうその姿。 かつて、自分の前で「あなたのような立派な騎士になります」と笑っていた、あの愛弟子の面影が、どうしても目の前の少女に重なってしまう。
「……見事な刃だ。だが、その迷いは己を滅ぼすぞ」
アルディウスが静かに呟くと同時に、聖剣から眩いばかりの金色の光波が放たれ、ヒナの身体を大きく弾き飛ばした
弾き飛ばされたヒナは、冷たい石床を何度も転がりながらも、必死にドラゴンの角の短剣を床に突き立てて制動をかけた。
「く、はっ……!」 口内に広がった鉄の味を吐き捨て、彼女はふらつく足で再び立ち上がる。全身の骨がきしむような衝撃。それでも、彼女の黄金色の瞳――奇しくもアルディウスと同じ色の瞳は、まっすぐに目の前の大騎士を見据えていた。
その不屈の闘志、そして大切な者のために命を賭して刃を振るう姿が、アルディウスの強固な仮面を内側から爆破するように、封じ込めていた記憶を完全に呼び覚ました。
彼の視界が、にわかに赤く染まっていく。 現実の聖堂の光が消え、脳裏に蘇るのは、数百年前の――あの滅びの日の光景だった。
王都は、天を焦がすほどの炎に包まれていた。 崩落する王宮の柱、逃げ惑う人々の悲鳴、そして空間そのものがバグによって侵食され、黒いノイズとなって崩れていく終末の光景。
「団長!!」
瓦礫の向こうから、聞き慣れた若い声が響いた。 まだ十八歳。騎士に任命されたばかりの、アルディウスの愛弟子だった。彼は崩れ落ちる天井の破片を避けながら、必死に手を伸ばし、涙と煤で顔を汚しながら叫んでいた。
「団長!! 一緒に行きましょう! ここから逃げるんです!!」
アルディウスは、その場で立ち止まり、ゆっくりと振り返った。 彼の前方、崩落していく通路の先には、世界を繋ぎ止めるための「人柱」となるべく、地下の玉座へと一人歩んでいく王の背中があった。 そして彼の後方には、自分を父のように慕い、助けを求めている最愛の弟子がいた。
玉座へと向かう王は、振り返ることなく、厳かに、しかしどこか哀しげに告げた。
『来なくていい、アルディウス。お前にはまだ、守るべき未来があるはずだ。生きなさい』
王の言葉は、騎士としての、そして一人の男としてのアルディウスの魂を激しく揺さぶった。 王を一人で奈落へ行かせるわけにはいかない。しかし、ここで引き返せば、まだ若い弟子を救い出し、共に生き延びることができるかもしれない。
究極の二者択一。
アルディウスは、震える拳を握り締め、黄金の瞳に涙を湛えながらも――王の背中に向かって、一歩を踏み出した。
「……お断りいたします、陛下」
その声は、驚くほど静かで、揺るぎなかった。
「騎士とは。主君の背を守るものです」
彼は、愛弟子に背を向けた。 自らの意志で、弟子の未来を切り捨て、王と共に奈落へ沈む道を選んだのだ。
「師匠ォォォォォォ!!」
背後から、引き裂かれるような弟子の絶叫が響き渡る。 アルディウスはその声を、その絶望に満ちた悲痛な叫びを、鼓膜に、そして魂に、生涯消えない消印のように刻みつけながら、ただひたすらに前へと走り続けた。 崩れ落ちる瓦礫が彼の胸当てを激しく引き裂いたが、その痛みすら、彼にとっては弟子を見捨てた罪の軽さに思えた。
彼は、弟子を守れなかったのではない。 己の忠義を貫くために、自らの手で、弟子を見捨てたのだ。
「……そうだ」
現実の聖堂に、アルディウスの低く、地を這うような声が戻ってきた。 彼の周囲に舞う金色の光の粒子が、まるで彼の心の痛みに共鳴するように、激しく明滅している。
「私は、守れなかったのではない。……私は、自らの意志で彼を捨て、王を選んだのだ」
胸当てに刻まれた、数百年経っても修復されることのない大きな傷跡。 それは、彼が「忠義」という名の怪物のために、自らの人間性を、そして最愛の弟子を切り裂いた、決定的な罪の象徴だった。
「お前を見ていると、あの日の選択が、私の犯した罪が、どれほど重いものであったかを突きつけられる……」
アルディウスは聖剣を両手で握り直した。 その黄金の刃が、これまで以上の神聖な、しかしどこか悲哀を帯びた輝きを放ち始める。
「半エルフの少女よ。お前のその真っ直ぐな刃で、私のこの歪んだ忠義を、撃ち破ってみせよ」
王への絶対的な忠誠と、弟子を捨てた深い悔恨。その二つの感情の狭間で、最強の騎士は、静かに、そして苛烈に、ヒナに向けて剣を構えた。
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