EP99 蒼氷の執行者
レオナの赤い花びらが舞い散る広間を後にしたカイエンたちは、さらに奥へと進んだ。次にたどり着いたのは、第三の間と呼ばれる場所だった。
第三の間へ足を踏み入れた瞬間、空気が一変する。 吐く息は白く凍りつき、床一面には鏡のように研ぎ澄まされた氷が広がっていた。壁には、凍りついた水が流れるような紋様が刻まれ、部屋全体が巨大な氷の彫刻のようだった。 玉座へと続く一本道の、その中央。 一人の騎士が、静かに立っていた。 剣を鞘に納めたまま、まるで何百年もの間、微動だにしていない彫像のようだった。
カイエンたちがその騎士に近付いても、彼は一歩も動かない。その姿は、周囲の凍てついた空気と一体化しているかのようだった。
騎士の年齢は35歳前後に見えた。身長は185cmほどで、銀に近い白髪を後ろで一つに束ねている。肌は雪のように白く、切れ長の青い瞳は、感情を一切映さない氷の湖のようだった。表情は終始変わらず、唯一印象的なのは、左目の下を一本だけ走る古傷。それは、かつて宰相を捕らえ損ねた日の、消えない痕跡だということを、カイエンは直感的に理解した。
彼が纏うのは、白銀の全身甲冑。氷の結晶を模した装飾が施され、肩当てには王家の紋章が輝いている。しかし、胸当てだけは、剣で大きく切り裂かれた跡があり、修復されているものの、その傷跡は決して消えることはなかった。深い青のマントは、その裾が氷になって砕け続けており、彼が歩くたびに、氷の粒が静かに床へと落ちていく。
彼の腰には、魔剣が提げられていた。透き通る蒼い長剣で、刀身の中には、まるで雪が降り続けているような光が揺らめいている。
カイエンたちが彼に近付くと、体温が奪われるような感覚に襲われた。 「寒い……」 マキマが思わず身震いする。
しかし、アイフェリスは首を振った。
「違う。」
彼女の澄んだ声が、凍てついた空気に響く。 「これは魔法じゃない。」
アイフェリスは、ヴァルドの周囲に満ちる冷気を魔力で感じ取り、その本質を見抜いた。 「彼自身が悲しみを閉じ込めた結果よ。」 その言葉は、ヴァルドの内に秘められた、計り知れない悲しみの深さを物語っていた。
ヴァルドは、ゆっくりと、しかし確固たる意志を秘めた声で、静かに語り始めた。
「王は間違っていない。」
彼の青い瞳は、遠い過去を見据えているかのようだった。
「間違えたのは、人間だ。」
あるいは、その言葉の裏には、別の信念が隠されているのかもしれない。
「王国を滅ぼしたのは、宰相だった。」 彼の言葉は、凍てついた部屋の中で、重く響き渡った。
ヴァルドの言葉に、カイエンは眉をひそめた。王の過ちを認めながらも、あくまで王の側に立つレオナとは異なる、冷徹なまでの論理。しかし、その根底にあるのは、王国への、そして王への揺るぎない忠誠心であることに変わりはない。 マキマは、ヴァルドの表情から一切の感情を読み取ることができず、警戒心を強めた。ヒナは、その張り詰めた空気に、ただ息を潜めることしかできなかった。
「……愚か者め。」 アイフェリスは、ヴァルドの言葉に、静かな怒りを滲ませた。エルフである彼女にとって、人間が引き起こした悲劇を「人間が間違えた」の一言で片付けられることは、許しがたいことだった。ヴァルドの悲しみを閉じ込めた冷気が、彼女の心にも凍てつくような感覚をもたらす。
ヴァルドは、アイフェリスの怒りにも、表情一つ変えない。まるで、感情というものが存在しないかのように。 彼は、静かに鞘に収められた魔剣に手をかけた。剣を抜く音はしない。代わりに、空気が凍りつく、微かな音が響き渡る。
「私が相手をします。」 アイフェリスは、カイエンたちの前に進み出た。ヴァルドの冷気を、魔力で感じ取った彼女は、彼が単なる剣士ではないことを理解していた。
アイフェリスは、その場で詠唱を始め、十を超える魔力弾をヴァルド目掛けて放った。翠色の光弾が、氷の広間を縦横無尽に飛び交う。しかし、ヴァルドは動じない。
一歩。 彼は、ただ一歩、静かに踏み出した。そして、鞘から抜き放たれた蒼い長剣を、最小限の動きで、ただ一太刀、横に薙いだ。 ヒュン、と空気を切り裂く音と共に、巨大な氷柱が、アイフェリスの放った魔力弾の軌道を寸断するように、瞬時に生成された。氷柱は、アイフェリスの魔力弾を次々と弾き、まるで最初からそこに存在していたかのように、広間の中央にそびえ立つ。
アイフェリスが十撃放っても、ヴァルドは一撃で返す。 彼の動きには、一切の無駄がない。剣技も魔法も、全てが最小限の力で、最大の効果を発揮していた。彼の魔力は、炎のように派手ではないが、その一撃一撃が、触れるもの全てを凍てつかせる絶対零度の威力を秘めている。
「なぜ、そこまで……!」 アイフェリスは、ヴァルドの冷徹な戦闘スタイルに、苛立ちを募らせた。彼女の感情が昂るほど、放つ魔法も強力になるが、ヴァルドは表情一つ変えない。その無表情さが、アイフェリスの怒りをさらに煽る。
ヴァルドは、再び静かに剣を構え直した。彼の蒼い瞳は、依然として感情を映さず、ただ静かに、アイフェリスの次の動きを待っている。それは、まるで、この一騎打ちが、彼にとって定められた「執行」であるかのように。
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