65. レオヴォルド調書
65. Leovold's Report
王城への帰還を果たした僕が、Sebaの妹にどんな顔で帰還を告げれば良いのか、困り果てたのは言うまでもない。
少なくとも、お帰りなさいませ、ご領主様、とはなるまい。
それこそ、衛兵に取り押さえられ、彼女の元に引き出されるような羽目になるのではと恐れ始めたのは、再び馬車に乗り込み、膝の上にずっしりとした頭の感触を横たえた直後のことだった。
「兄上…!!良かった…ほんとに、ほんとにもう…っ!!」
しかしそれは、ある種稀有に終わったのだった。
無事の知らせほど、それ以外を払拭するものはない。
廊下の衛兵や侍女からの痛い視線を感じながら、抱擁に応じる。
率直な感想を述べるなら、僕は城内に再び通された時、心底ほっとしたのだ。
磨かれた床石が、夕刻の危うい光を返す不気味ささえ、あの地下世界が醸し出す魔性には遠く及ばない。
乾いた香の匂いも、靴音が澄んで響く音も、自分には慣れ親しむことのできないそれらすべてが整っていて、人間によるものだった。
だから、彼女をマントで包み込むような所作に、決してぎこちなさは見せていなかったと思いたい。
「もう許さないわ、あのフットマン…首よ!今すぐにっ!!」
膨れっ面で野苺のように赤面するエマは、自分が可愛いことを知っている人がするそれだった。
リフィアにも、よくそうして拗ねられたっけ。
埋められた胸元から上げられた両目は、うっすらと熱っていた。
「お願いだ、余り彼を、責めないでやってくれないか。」
多分、このように庇うことは、立場上、不自然なのだろう。
しかし、僕の味方をしてくれる、またとない人間なのだ。窮地を救ってくれただけでなく、何故か領主として仕えようとする彼を手放すわけには決して行かない。
「わ、私が無理を言って、お願いしたことなんだ…」
「わかってる…わかってるわ、けど…」
彼女はゆっくりと首を振り、半ば諦めたように、溜息を吐く。
「……。」
「ええ。ちょうど、さっき、此方に届いたの。」
…?何が?
僕に吐ける尤もらしい嘘を到頭思いつかないままだった僕は、一瞬面喰らった。
退屈な王城より、地上での元の暮らしに現を抜かしていたい、居心地の良い家が恋しくなった。いっそそんな怠惰な弁明がSebaという人物像に相応しいのではとさえ思い、開き直ることも辞さないつもりだった。
「運が良かったとわね、あの男も。あと少し届くのが遅かったら、折檻どころじゃ済まなかったわ。」
余りにもそれは可哀想だ。薄々と感じていたことではあるが、フットマンの使用人として役割の一つに、雇い主のストレスの吐口というのがあるらしい。
「ごめんなさい。私、兄上のこと、ちょっと疑っていたわ。てっきり、退屈凌ぎに抜け出してしまったのかと…」
「兄上が、領主としての職務を全うしようとして下さっているのは、本当に嬉しいの。でも…」
そ、それで何が届いたんだ?
「これでしょ?兄上が王城を抜け出してまで、用意したかったもの?」
これは…?
「確かに、これは、マルボロ家の領主、今の兄上にしか出来ないことね…」
「確かに、この調書があれば、私たちは格段に動きやすくなる。」
「流石にございます。ご領主様。これほどまでに、この国を愛し、統治を全うする使命をされようとしていたとは…」
彼女の手に広げられていたのは、羊皮紙だった。
書物など、まず市井の民の間では価値のつかぬ高級品だった。
決して高尚さが分からぬと言うのではなく、官民が、小難しい言葉を操って税を取り立て、兵を徴するためだけの道具、と言う意味で、嫌われているだけの話だ。
しかしその値段は、一時の快楽で済まされる飲食が虚しく思えてくるほどだとか。
丁寧に巻かれていた麻紐を解くと、真っ先にその文字が飛び込んでくる。
「……!」
立会人として書かれていた名前の綴りには、はっきりと面識があった。
―――
第六・第七管区治安回復に関する緊急実務報告兼上申
Adeline Chatar
Seba Von Marlboro
1月12日午後11時
スターヴ教会修道女立ち会いの元、ヴァイキング侵攻を指揮したとされる首謀者への尋問を実施。
国王の許可証を伴わないコンスタンツァ港入船、領土への侵入、侵攻、商業地区での市場独占、人身売買を含む違法取引、並びに違法な賭場会場の設営、運営の罪に問う。
名を、テュール・アズガルドと自白。第3者からの裏付けは取れず。
自身が侵攻作戦の首謀者であること、またより多くのヴァイキングの移住を計画していたことを認めている。前者は、第8期迎撃作戦時より以前のヴァイキング進軍に関わっていたかは聞き出せていない。
被告の供述の裏付けが取れた場合、植民地化によるヴァイキング移住民の受け入れ体制が整った旨を伝令する偽装文書の作成が可能であると思われる。
現在、報告書2892に記載の捕囚と同様の手順により無力化済み。
具申
覚醒次第、被告より更なる聴取を行い、潜伏中のヴァイキング軍の情報収集を試みる。
ひいては国内のヴァイキング殲滅作戦を指揮する許可を頂きたく。騎士団の再招集の協力を仰ぎたい。
―――
もう一つの調書には、彼女の名前は無かった。
―――
第七管区内治安事案 Marlboro邸侵入者制圧並びに収容報告
Seba Von Marlboro
1月13日午前3時
屋敷への不法侵入を図ったヴァイキングを捕縛、17名全員、捕虜としての無力化を確認。所定の手順を経ることにより、覚醒後も安全に収容することが可能である。投獄後12時間経過現在、囚人らに死亡者なし。抵騒擾再発の予兆なく再拘束の必要なし。
―――
「……。」
僕の、名前だけだった。
「流石ね、兄上。でも、一体どうやって、あんな屈強なヴァイキングの兵士を…何といえば良いのかしら、」
「調伏、なさったの?」
調伏、まさに人間を脱し、黒革の束に作り替えられた、あの惨めな物体を指して呼ぶのに相応しいだろう。
紛れもなく僕の目の前で繰り広げられていた出来事を示している。
心臓の周りを、冷や汗がだらりと伝う。
それが意味するところは、紛れもなく、布告だったからだ。
「……。」
間違いなく、Sebaは、僕の存在に気がついている。
それは覚悟しいていたことだ。その場凌ぎの演技を優先したが為に、彼が受け取るはずの戦利品を横領し手元に撫でているのだから。
同時に送られて来た2通の調書。
特に2通目の内容を知るものは、僕以外に、あの狼頭の拷問吏しかありえない。
この報告は、あの人外の装いのうちのどれかによるものだ。
そしてこれらをSebaが直接認めていなかったとしても、少なくとも彼の印が本人によって付けられている以上、目を通してはいるはずだ。
…敢えて、僕がした仕事を、Seba侯爵に依るものとして、自ら報告している。
どういうつもりだ。
何故、僕への|Appreciation《把握》だけを示し、告発せず、看過する器量を見せたのか。
大局的には、良い知らせと見るのが良い気がした。
今は、僕が主導権を握っているから。そう判断したのであれば、僕がまんまと収まった地位は覆し難いことの証左だ。
これが、Fenrir様の指示によるものだから。それは、爵位に甘んじている僕に利用価値を見出したということだからだ。
どう転んでも、この静けさは、嬉しいだろう。
今は。いずれ、報復の時がやってくる。その時は、返り討ちにしてやれるよう、僕がますます超え太れば良いだけの話。
もしこれを、悪い知らせと取らなければならない事情があるとするならば。
Sebaが、この状況が自分にとって此れ幸いとばかりに、僕をマルボロ家領主としての理想像に仕立て上げようとしている可能性だ。
そこにFenrir様の意思も絡んでいたなら、もっと悪い。
お陰で自分は、地下牢に鎮座するあの玉座に居座っていられる、都合の良い身代わりとして。
それ自体は、王城区と第7管区との間での一方的な断絶状態をそちらから保ってくれる限り、勝手にしてくれという感じだ。相手の趣味にとやかく宣うつもりは毛頭ない。
だが、その結果として、僕があの地獄から締め出されるというのは、不味いのだ。
二度と目にしたくない。あの人間が消えていく世界からできる限り距離を置き、それで済むのなら、地上を見下ろす貴人として、末長く妹想いの領主として振る舞っていたい。
でも、それじゃあFenrir様は側にいてくれない。
僕は、僕も、あそこに座っている必要がある。
彼から、あの玉座さえも、奪える。
いや、違う。
もっと踏み込める。
そう思ったから、僕は、狼の頭の剥製を、手元に置くことに決めたのだ。
次にSebaの立ち会いの元、行われる拷問はいつだ?
そのうち、Fenrir様が同席されるのは、いつになる?
必ず、運命は巡ってくる。
その時に、今度は、僕はうまくやる。きっと上手くやって見せる。
「兄上…?どうされたのです?」
「そんな、神妙な顔をなさらないで?別に、穿鑿するつもりは無かったの。」
僕が意味ありげに示したのは、微笑だった。
「ごめんごめん。」
「こんな私でも、神的な体験には、翻弄されぱなしになるものなのだよ。」
「…と、仰いますと?」
彼女は、僕に与えられた役割を理解しているのだろうか?
そうでなければ、先の発言は出てこない。
その上で、僕がこの王城という箱庭で自分と過ごすことを望んでいる理由は、一つしかない。
薄々、感じ取っていたことだ。
過去のSebaの、それも都合の良い部分だけを、今の僕に求めている。
あの、地下世界へ、再び足を踏み入れたことを、尤もな理由として認めつつ、内心では快く思っていない。
だから、今なんだ。
彼女を失念させないまま、それでも僕が甘味な対話に固執すべき、真っ当と言うより、争い難い理由へ結びつける時だ。
「あのお方が、いらっしゃったのだ。」
彼女は、表情を強張らせることを隠さなかった。
それが、君が、あの狼を初めてみた時の目なのだね。
さぞかし、軽蔑的な態度を示されたことだろう。
「…私の命を救い、そして導いてくれた。」
「報いなくてはならない。それが、神の思し召しだと言うのなら、」
「私は喜んで、身を汚す。血生臭い世界で、ヴァイキングとの戦いに身を投じようと思うのだ。」
僕はエマの肩を抱き、まるで戦地に赴くことを許そうとしない彼女に囁くようにして言い聞かせた。
「聞いてくれ、エマ。私はこの調書を持って、ヴァイキング殲滅作戦を国王へ進言する。」
「きっとあの狼も、その席に降臨なさるだろう。」




