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水原 和泉は、物心がつく前に親を無くしていた。
その後、父方の祖母に引き取られた。祖父は既に他界しており、ひとつ屋根の下、和泉は祖母と静かに暮らしていた。
とはいえ、生活は非常に豊かだった。和泉がやりたいと思ったことは、なんでもやらせてくれた。その度に褒めて伸ばし、和泉は絶対的な自信を身につけていった。
大学入学時、祖母の訃報を受けた。元より両親がいなかった和泉にとって、祖母はかけがえのない人であった。同時に、絶対であったはずの自信も崩れてしまった。
和泉が本格的に立ち直ったのは、大学二年の初めあたりだったか。南川 真央と出会ったのだ。彼女は和泉の心境を知り、自分のことのように気にかけてくれた。それ以降、和泉の傍には、常に南川がいた。
夕暮れ。美しい外観を持っていた市役所は悲惨な状態だった。ガラスは粉々、壁も一部欠けている。ロビーチェアが不自然に折れ曲がり、周囲一帯に血の池ができていた。
ダークブルーの髪をした長身の女性は市長室にいた。その凛々しい顔立ちからは想像もつかぬような、怯えた様子で机の下に隠れていた。水原和泉だ。
「み、南川さん……どうされたのですか?」
その和泉の前方には、淡い紫髪の女性が立っていた。スーツを着こなし、佇まいには隙がなく。メガネのレンズを通しても、その瞳の鋭さが柔らかくなることはなかった。
「市長。先程、田中太郎が死亡しました」
ピクリと、机の下で震えが止まる。和泉は顔を上げた。
市役所がエデに襲われた時、南川と田中を含む計十五名は、和泉を守るため前線に出ていた。職員は次々に倒れ、最後に残ったのは、南川と田中の二人だけだった。
その田中すら散ってしまった。南川が生き残っていたことには安堵したが、仲間が死ぬのは辛かった。
「っ……それは本当ですか?」
「事実です。一階から音が何も聞こえなくなったのは市長でもお分かりかと。田中は単独にて特殊個体計十二体、及び統率個体一体の討伐を果たしました」
淡々と告げた。
「…は?」
和泉の脳は停止してしまった。田中の死を弔うよりも、困惑が先に来た。
市役所を襲った特殊個体は、和泉が見ただけでも、大型、飛行型、散布型、粘液型がいた。それらは一体だけでも一拠点を破壊できる力を持つ。それを、単独で十二体。さらに統率個体まで討伐となると。
「しかし、その代償は重く、彼はエデに噛まれてしまいました。彼は大声を出してエデを誘き寄せ、市役所から離れる判断を下しました。そのため、現在市役所周りにはエデがおりません」
「ちょ…え?」
「今が逃げるチャンスかと。いえ、逃げるべきだと私は考えます」
かがみ、強引に和泉を机の下から引っ張り出した。
「わぁあ…!痛いです酷いです強引ですぅ!」
「静かにしてください。エデは音にも反応します。この近くにいないとはいえ、控えるべきかと」
和泉は力強く抱擁された。身長差により、胸が南川の顔面に直撃している。
「わ、分かってますけど…!その原因は南川さんじゃないですか…!」
「はぁ…?よく聞こえませんでした。私最近耳が弱くてー」
南川は目を逸らしながら、あーあーと声を出した。
「なっ…!も、もう…ぅ!」
和泉は、南川にこれ以上言っても無駄だと、よく理解していた。
南川の抱擁から脱し、ゆっくりと服を整えた。髪は乱れ、未だ心臓は高鳴っている。
「その…聞きたいのですが」
「はい、なんですか」
「いや…その、特殊個体を討伐って…しかも十二体を。それは本当ですか…?」
個体によって強さは異なるが、その全ては異常な硬度と膂力を持つ。ゆえに特殊。稀にではあるが、人語を介する個体もいるとか。
「はい。ここを襲ってきた全特殊個体を、彼が一人で討伐しました」
「田中さんって何も武器持ってなかったですよね…?す、素手でしたよね…?」
田中太郎の体躯は良い方だった。筋骨隆々とは言えなくとも、確かに、他の男性よりは強くあった。とはいえ…だ。特殊個体は、素手で勝てるような相手ではなかったはずだ。
南川は顔色一つ変えない。和泉の髪を梳きながら、涼しく言い放つ。
「はぁ…?まぁ、それはどうでもいいことだと思いますけど。私達は彼が切り開いた道を行かねばなりません。犠牲を無駄にする気ですか?」
和泉を守った人達がいる。ただ安全な場所で隠れて、泣きながら蹲っていた和泉のために、命をかけて道を切り開いた者がいる。その犠牲が、足場となって和泉を立たせていた。
「えっ、い、いやそ、そそ、そういうわけではなくて…その、っ…えぇあ……はい…んう……行きます」
「偉いですね。では、向かいましょう」
南川は微笑み、再び和泉を抱き寄せた。
「向かうって…どこにですか?」
「私の実家です。近くという訳ではありませんが、市長や私の家よりかは遥かに近いです」
「あ、そうなのですか?知りませんでした…南川さんのご実家には、確かに行ったことがありませんでしたね…」
「そんなことはどうでもいいんです。予定を話します。まず、裏に止まっている私の車で目的地まで走ります。その間のエデは適当に轢き殺します」
「轢き…っ。まぁそうですよね…仕方ないことなん…ですよね」
未だにエデを、生きた人間として認識してしまう。人を襲うソレを、人の形をしているだけのソレを、どうしても人間として見てしまう。
エデがどれだけ人の形を崩そうと、元は人間であり、一人一人に過去がある。和泉は考えてしまうのだ。
「目的地までは三十分ほどで着きます。途中で特殊個体に遭遇した時は、この防犯ブザーを鳴らし、適当にぶん投げて気を引き、その隙に逃げちゃいます」
尻ポケットから、ピンク色の小さな防犯ブザーを三つ取り出し、少しだけ見せ、すぐに戻した。
「ほ、ほほう…」
「なんですかその反応…まぁいいですよ。はい、話は終わりです。行きましょうか」
「わ、わかりました…!」




