ヒッチハイク
市役所一階。
和泉は階段から頭を覗かせる。人っ子一人いなかった。感染者も、人間も。いくつかの死体を残して、他はどこかへ行ってしまったようだ。
「南川さんが言っていたように…ゾンビさんはどこにもいませんね」
「一体もいないというのは少々不気味ですが、まぁ彼が頑張ってくれたということでしょう」
バールのようなものを肩に担ぎながら、南川は和泉を置いて階段を下りていく。
「ちょっ…!ぁ…ま、待ってくださいよぉ…」
声を抑える。周囲をキョロキョロと見回しながら、音を立てないよう後を追った。
裏口を抜けると白のバンが一台。南川は迅速に車に乗りこみエンジンをかけた。
「さあ、そんな所でモジモジしてないで早く来てください」
窓から防犯ブザーを一つ、和泉に投げた。
「あうっ…はい、行きます…大丈夫です…!」
「なにがですか…」
低姿勢に移動し、助手席に乗り込む。
和泉がシートベルトをかけるのを確認すると、南川は車を発進させた。時速三十kmほど、一定のペースで走る。ライトは全て消した。音を限りなく削るため、暖房はつけない。
「エデが現れるまでは静かに移動しますので、少し低速です。まぁ…本当にこんな対策で気付かれなくなるのかは知りませんが」
「ま、まぁいいと思います。多分…多分大丈夫です…!」
肌寒い。冬に、暖房のついていない車内は少し堪える。音を最小限に抑えて、どこかのエデに気付かれないようにしているのは分かっているが、それでも、寒いものは寒い。
「ひぃぅ…それにしても寒いですね……冬って感じです」
待ってましたと言わんばかりに、南川は親指で後ろを指した。
「後ろに防寒着が積んでありますよ。良かったら使ってください」
「ほ、本当ですか…!?ヤバいですね…流石南川さんです」
身を乗り出して後部座席へと出る。最後尾にダウンが一枚置かれていた。親切なことに手袋にマフラー、更にはイヤーマフまで揃っていた。
「わ…流石どころではないですね…」
「気に入って貰えたなら嬉しいです」
「いやいやこれは本当に凄いですよ…これはいつ用意を?ゾンビさんが発生してから、このような準備をできる時間はなかったと思うのですが…」
「もちろん、暖房が効かなくなってしまった時用に、前々から置いていたものです」
「そんな時を想定して動いているとは…感服ですね」
ダウンを着る。用意してもらって使わないのは…と、マフラーに手袋、イヤーマフ、全て装着した。
暖かくはなったが、流石に冬だ。肌が見えている部分は冷えるし、寒さは伝わって芯まで凍らせてしまう。
「市長。そこの右、箱があるでしょう?開けてみてください、お菓子が入っていますよ」
「お菓子ですか…!?」
目を輝かせながら、座席の右側に置いてある箱を開けた。南川の言っていたように、中には和泉の好みの菓子がぎっしりと入っていた。
「こ、ここ、これは…!?私の好きなものがミチミチですよ…!」
「当たり前じゃないですか。市長が怯えている時に元気付ける用に、前々から集めていたんです」
「んぅ〜…!もうあなたは昇給です…!!」
袋を開けてもしゃもしゃと菓子を貪り食う。
「昇給ですか。市長、この世界は既に、金を必要としていませんよ」
「…そうですか」
金が不要になった理由は単純だ。人が消え、物資は奪取するものになった。そんな時に、金をこねくり回す人がどこにいる。
二袋目を開けながら和泉は考えていた。今の自分に価値はあるのか、と。
市長の権限は言わずもがな、もう機能はしない。一人の人間として見ても、和泉が自覚している限り、取り柄と呼べるものは身長くらいしかない。頭脳では南川に劣り、多分、戦闘能力も負けている。
拍車をかけるように、自己批判が多くすぐに落ち込む性格だ。これでは足手まといになることが確定しているようなものだ。
「…私は必要なのでしょうか」
三袋目を食べ進めながら壁に頭を預ける。
「一人でブツブツ言っていないで前に来たらどうですか?後ろにいると、もしもの時に対応できません」
「あ、そうですよね…すみません」
お菓子を手一杯に抱えた。
「…開けてくださ〜い」
「ん?何をですか」
南川の座る席を見た。暗くなり始めた室内では、南川の顔がよく見えない。
和泉の返事に間髪入れず、同じ調子の声が返ってくる。
「…開けてくださ〜い」
「だから何をですか…?」
車がスピードを上げた。音を気にせず、四十、五十と雪を掻き散らす。
「ちょ…急にどうしたんですか?」
「市長…それは私ではありません」
南川は少し上擦った声で言った。
「え…?じゃあ誰で……」
コンコン。和泉の座るすぐ横の窓が、軽く叩かれる。
「…開けてくださ〜い」
顔を窓に密着させた平べったい身体の人型の生物。歪んだ笑顔を貼り付けて、虚ろな瞳が和泉を見つめている。
ソレは車と並走していた。上半身を一切動かさず、時速六十kmに達した車に悠々と追いついていた。
「っ………!!」
身を捩りながら飛び退く。心臓が止まりそうになった。意味がないと分かりながらも、跳ねた心拍を両手で抑える。
思えば、声の発生源は前方ではなかった。静かな車内。外部からの干渉など、想像することもできないほどに他のことを考えていた。南川との会話の直後だったせいで、同じ声だと錯覚してしまった。
「み、みみ南川さんっ…!!」
「限界までスピードを上げます。市長はブザーを外に投げてください!」
エンジンが唸る。八十、百と速度は上がる。速度維持がどれだけ有効かは分からない。だが、走り続けなければならない。あの存在から発せられる空気の質感は、そう思わせてくる。
曲がりの少ない道路だが、数分もすれば否応なしにカーブが来るだろう。
「ま、まだ着いてきてますというか隣にいます…!!!」
「早く投げてください!」
「ぁう…はい投げます投げるっ…!」
和泉は助手席に移った。未だ並走するソレとは反対側、左の窓を開けようと扉に手をかける。その瞬間、コンコン、と和泉の目の前の窓が叩かれる音。
「…開けてくださ〜い」
和泉は顔を上げた。目線の先。さっきまで反対側にいたヤツが歪な笑顔を貼り付けながら、走っていた。
「あぶたぅ…!?!」
ひっくり返りながらブザーのピンが抜け、どこかへ消えた。空気を引き裂くような音が鳴り響いた。
「何をしているんですか!早く消してください!」
エデの移動が速すぎることに驚きながらも、南川は冷静を装い、窓の外を確認した。まだわずかに残る陽の光や、街灯等からのごくわずかな情報。エンジンが轟々と。ブザーは締め切った室内からも漏れている。この音に何かが集まってきている気配がしているが、南川は車を走らせることしか出来なかった。
「ど、どうしましょうどうしましょう!消えませんこれ消えませんよ音…!!」
ブザーを震えた手で弄るが、音は鳴り止まない。再びピンを差し込まねば止まらないらしい。
南川は下唇を噛みながら和泉を見る。
「チッ…考えますから、ちょっと静かに待っててください」
南川の眼光に、和泉は咄嗟に手で口を塞いだ。椅子の上に逆さまの体勢で、静かに停止した。
「…そうですね。とりあえず、時間はかかってもいいので、市長はブザーを止めてください」
「は、はい…」
暗い車内に落ちた一粒のピンを手探りで探す。コンコンと、未だ窓の外にはアイツがいる。
そろそろ道路も見えなくなる時間帯だ。南川は道を外れないように目を凝らしながら、どうにかあの存在を撒く、又は排除する方法を考えていた。
「仕方ない…」
南川はライトを点けた。見つかってしまった以上、隠れる意味はない。他のエデが来る前に速攻で討伐すればいい話だ。それまでの安全を優先する。
ヤツが窓を叩き割って入ってこないのは、少しどころか、かなり不思議だった。時速百km程の車と並走できる身体性能を持ちながら、窓の一つや二つ壊せないのは無理がある。
もしかしたら走ることに精一杯で他のことができなくなっていた可能性も考えたが、ヤツの身体性能ならば車に飛び乗ることも可能だろう。でも、ヤツはわざわざ自分で走ることを選んだ。
いや、そんなことを考えなくとも、この車は初め、時速三十km程だった。合わせていた。ヤツは合わせて移動していた。
なぜかを考える必要はない。ヤツは感染し、異形と化した。それを正解として生きているだけだ。探すべきはヤツが攻撃してくる条件、ヤツが隙を見せるその瞬間だけ。そして、それは既に得ている。
「市長!窓を少し開けてください!」
一か八か、いや、もし相手が異様な技を使おうものなら十中八九死ぬ。しかしその可能性を考えているだけ無駄だ。相手が自分の想像通り動いてくれることを祈る。それだけでいい。
「はぁ!?な、なにをする気ですか!」
「いいから早く!」
「わ、分かりましたぅ…!!!」
和泉は涙目になりながら、窓を少し開けた。
外の存在の表情が変わった。歪んだ笑みが消え、捕食者のように瞳を見開く。
「…開けてくだ………開いたァ」
窓の隙間から平たい頭蓋が侵入した。ほんの数cm程の隙間から、頭を滑らせて入ってきている。
「はい、直ぐに閉めてください!」
南川は叫んだ。その顔に焦りはあるものの、絶望はなかった。
「えぇ!?ぁ、は、はいぃっ…!」
即座に窓を閉めた。ガラスがエデの目玉を押しつぶす。しかし、ヤツは窓に挟まれながらも、ズルズルと中へ流れ込んできた。目玉を潰し、鼻を折りながら、和泉に狙いを定めて迫っていた。
「市長を怖がらせた罪!その身で償うのです!」
南川がバールのようなものを取り出し、振り上げた。釘抜き部分が薄い頭蓋を貫き、天井に張り付けた。血が和泉の太ももに落ちる。
「にぅい…!あ、あったかい…」
それでもエデは生きていた。歪む口角。顔面を引っ張り、皮膚を裂きながら和泉へと迫る。
「さすが人でなし」
南川はハンドルを回した。時速百kmの車は歩道に乗り上げ、勢いもそのままに壁に突っ込んでいく。
車の側面が壁に接触した。車は速度を落とさず、ガリガリと音を立てながら、窓に張り付く人型の存在を、ヤスリがけのように擦り付けた。
「びぅうぃ…!?」
南川は和泉からブザーを奪い取り、窓を開けて捨てた。エデが壁と車に挟まれている今、窓を開けても南川のいる方へ飛んでこないと踏んだ。実際そうであった。
頭蓋を窓に挟まれ、身体は車に押し潰されている。そんな状態で動ける存在はいない。
「ひぃぃぃ…!!!」
その時、壁が消えた。先程押し当てていた壁は少し大きな家の塀だ。時速百kmで移動する車では、たとえ大きな家だとしても、塀は数秒ほどしか持たない。
薄ら笑みを浮かべたエデの背面は削れている。少なからずダメージは与えられた。それでも、エデとなった人間を殺すには足りない。
「み、南川さんどうしましょう…!というかこれ近いですゾンビさん顔…ちか、これやば、え、ちかちか近いです…!!」
「静かにしていてください。さっきはタイミングを考えていなかっただけです」
次の瞬間、新たな壁に身体が激突し、エデは首から下がもげて吹き飛んでいった。
飛散する血肉。肉の引き千切れる音を、和泉は耳元で体感する。
「え…?」
「特殊個体の死亡を確認。安全運転に移行します」
速度を下げながら、南川は身を乗り出して和泉側の窓を開け、バールごと頭だけになった死体を外へ投げ捨てた。
「えぇ……?」




