眠り
「よし…まずは、アイツらについて調べるべきだな。うん。あ、でもスマホは…家だし。テレビか」
ここは随分と良い家だ。二階に、さらに三階まである。部屋は一つ一つが広く、天井も高い。数ヶ月滞在したとて、飽きはしないだろう。
千夏は一階、リビングに入った。ところどころカーテンが開いている。外から覗かれないよう、全て、きっちりと閉めきった。
あらゆる引き出しを開けた。二十個目の引き出しに、医療セットは入っていた。消毒液。ガーゼの後に包帯を巻く。裂傷はそれほど大きくはないが、完治までに二ヶ月はかかるはずだ。
「わお。良いテレビ」
千夏はソファに座り、大型テレビに電源を入れた。
映し出されたのはどこかの拠点。迷彩柄の服を着た人達が、襲い来る四足の存在を制圧しているライブ映像だ。
背後には民間人がいた。映像からは正確な数を特定できないが、最低でも百は超えていた。
「意外と生きてる人いるじゃん」
だが、次の瞬間には状況が一変していた。四足の存在は五百を超え、波のように拠点へと押し寄せていく。弾幕を無視した突進。数はさらに増えていき、ものの数十秒で、拠点は奴らによって制圧された。
「ああ…」
千夏は画面下に目をやった。無音で、テロップが右から左へと流れていた。
「こちらは、緊急災害対策本部です。
全国民に向けて、重大なお知らせと避難要請を繰り返します。
現在、世界各地で未知の菌の発生が確認されています。
噛みつきや、感染者の体液が体内に入った場合、いかなる処置を行っても生存の確率はゼロです。感染者は確実に死亡します。
死亡後、遺体は菌に神経系を掌握され、再び動き出します。限界を超えた身体能力で四足歩行し、周囲の人間を執拗に襲って、感染を拡大させます。
政府は、この状態を『エデ』と定義しました。
以下の指示に従い、直ちに行動してください。
一、外出を控え、施錠できる頑丈な屋内に留まってください。
二、負傷した者や『エデ』の兆候がある者には、決して近づかず、救助を試みないでください。
三、室内では音や光を出さず、救援物資の配給まで静かに待機してください。
繰り返します。噛みつきや体液により菌が血中に入れば、確実に死亡します。
次のアナウンスまで、冷静に、身の安全の確保に努めてください。」
「エデ?現象のこと?それとも…まぁいいや、めんどくさい。エデね。よく分からないけど、エデの体液が体内に入ると…死ぬのね。え?やばいじゃん。私大丈夫だよね?」
体のあちこちを確認した。傷は足の一つのみ。返り血は数滴、その全ては傷とは無関係な服に吸収されている。
「ふう…良かった良かった。てことは、厚着しといた方が良さげか?後でいろいろ着ちゃおっと」
番組を変えると国外の映像が映し出された。国外も同様に、あらゆるところに奴らが蔓延っていた。番組を変え、変え、変え。どこを見ても、死した人だけが映っている。だが、ソレは突然に映った。
「……ん、なんだこれ?」
二足歩行の、極めて人に近い佇まいだが、背丈は優に二メートルを超え、肩からは触手のようなものが無数に生えていた。
ソレは王の如く。四足の奴らを、下位、と言わんばかりに統率していた。その顔には、愉悦の表情すら見える。
「…なん、え……なんっ…えぇ?」
その時、カリカリと、掻くような音がリビングに響いた。
千夏は音の発信源、つまりはリビングの扉に目をやった。
確か、この家には三人の人間がいた。大人の男女と、一人の少女。その少女以外は感染しており、千夏により排除された。だが、少女は違う。
初対面で既に少女は死亡していた。エデと呼ばれるものに、殺害されていた。その死体は現在、廊下に転がっているはずだ。
「エデに噛まれると……エデになる…だっけか。でも私は既に二体も倒してるんだぞ。少女一体倒せないわけがないでしょ」
その音は大きくなる一方で、扉は奥にいる存在の力により、ガタガタと震え出した。
そして、くぐもった声がした。女の、若い声質だが、喉の焼けたような声だった。
「ぁす…たぁ…すけ……」
「え、ちょ。は?」
「たぁすけて……ぁ助けて…」
扉の上半分にはすりガラスが付いている。すりガラスを通すことで、それは姿を現した。背丈150ほどの小柄な少女。ぼんやりとだが、確実に、二足で立っていた。
理解が追いつかないまま、千夏はバットを取り立ち上がった。人語を介する存在が目の前に現れた今、さっきまでの自信は揺らいでいた。
「しゃべ……生きて…る?い、いやいや待て待て、待つんだ。テレビで言ってただろ。あんな状態になったら確実に死ぬって……なぁ?」
奥にいるのはなんだ。これまで見てきた奴らは、エデは、四足の口も利けないような理性なき存在だった。先の放送でも、エデは四足であると、周囲を襲うほどに凶暴化すると言われていた。
「助けてぇ…助けぇて…」
しかし、奥にいる存在は違う。声を出し、対象に自分の居場所を教えながら、静かに、誘うように扉を掻いているだけ。
「なんなのなんなの…やめてよ。怖いからやめてって…!」
「助けて助けて…助けて助けて助けて助けて助けて」
バンバン。掻く音は、次第に叩く音へと変わり。奥にいる存在も、息継ぎをせずに延々と救助を求めている。
「自分で開ければ良いでしょ…生きてるなら自分で入ってきてよぉ……!!」
「助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて」
扉が外れる勢いで揺れる。ガラスにヒビが入った。
「っ…!ああもうわかったから!私が開ければ良いんでしょ…!!」
右手にバットを持ち、足音も気にせずに扉へと向かった。
数分もすれば、どうせ壊される。ならばと、千夏は躊躇いなく扉を開いた。
ソレは倒れ込むようにリビングへと入った。両目が垂れ、首は不自然な方向へと折れ曲がり、腹からは内臓が溢れていた。
「クカガァァ……!!」
「やっぱり死んでんじゃん!!!」
バットを振り上げた。少女の顎を打つ。それは確かにダメージを与えた。が、少女は異常に硬かった。人の形をしていながら、コンクリートほどの硬度を持っていた。千夏の腕が反動で痺れる。
「え……かった」
刹那ほどの思考の末、千夏は片手持ちから両手持ちに切り替えた。即座に少女の頭頂部へとバットを振り下ろした。床を叩くような感覚。それでも、確かに先ほどよりは攻撃が効いていた。
少女はうつ伏せに倒れた。しかし死なない。ソレは生きず、同時に死なず。まさに、死を招く怪物であった。
「ちょ、ほんとに!ほんとにほんとに!早く死んでくれ!!」
頭蓋へと、バットを何度も振り下ろした。今出せる最大火力での撲殺。
「あぁもう!私は刀鍛冶じゃないっての…!!」
エデは唸る。既に数十も頭を殴られているのだが、その硬度は死ぬことを許さなかった。幾度もの殴打による衝撃は、エデを地面から離さなかった。
「もってくれよ私のバットォ!!壊れたらゆるさなぁい!!」
数分に渡る一方的な暴行。エデが死んだのは、千夏の体力が切れたのと同時だった。
頭部を完全に破壊しないと、エデは死ななかった。頭蓋が割れようと、脳が多少損傷しようと、ソレは生き続けていた。
「はぁ…はぁ……やっと終わった。硬すぎた…なんだこれ…」
バットを捨てる。ソファに沈むように転がった。
「…さっきのテレビのやつと同じ。特殊個体ってやつなのかな」
横目にテレビを見た。まだ電源がついている。ただし、巨躯の触手のエデはもういない。一通り番組を変えた。他の特殊な個体は、一体も観測できなかった。
「人間みたいに…いや、元は人間だけどさ。菌の濃淡?それとも感染時の状況とか宿主の素質……あー、何にもわかんないや」
千夏の服を確認する。返り血が多量に付着していた。
「…体内に入ってなきゃいいんだよね、確か」
偶然にも、血液は傷に入ってはいない。千夏は着ていた服を全て脱ぎ捨てた。
「…そういや音出すなとかも言ってたっけな。だいぶ騒いだけど……まぁいいや。起きたら…次のことをしよう」
テレビを消し、静かなリビングで、千夏は眠りについた。




