第5話 翌朝
身体を軽く揺すられる感覚が、ユウマの眠りに入り込んでくる。それを払いのけるように寝返りを打つ。
「…………さい」
何かが聞こえた気がする。すると、もう一度肩を揺すられた。「うーん」とユウマは呟き、布団を頭まで深くかぶる。
「……起きないわね」
「アイリは……優しすぎる」
沈んでいた意識が、少しずつ浮かび上がってくる。瞼は重く、まだ目を開ける気にはなれない。
けれど、眠りの向こうから聞こえる声、衣擦れの音。それらが少しずつ鮮明になっていく。
「ちょっとユラ。そんなのダメよ」
「男の子にはこれくらいがちょうどいい」
そんな声が聞こえたかと思うと、突然、布団が強い力で引っ張られた。その勢いのまま、ユウマの体は床へ叩きつけられる。
「ぐぇ」
昨日もこんなことがあった気がする。
床に転がったまま目を開けると、心配そうにこちらを覗き込むアイリと、してやったりといった表情のユラがいた。
そんな二人を見て昨夜のやり取りがぼんやりと蘇ってきた。
「ダメ」
三人の会話に割って入るように、それまで黙っていたユラが唐突に口を開いた。
「どうしたのよ、ユラ」
「ダメったらダメ」
眠たげな目をわずかに細め、ユラはじっとアイリを見つめる。その視線が一度だけユウマへ向けられた。
ほんの一瞬。それだけだったが、そこに込められた意味はなんとなく察することができた。どうやら、未だ信用されていないらしい。
もっとも、今日突然現れた得体の知れない男を、家族と同じ部屋で寝かせると言われれば当然の反応だろう。
しかし当のアイリはというと、そんなユラの心配など露ほども理解していないらしい。
「だから、何がダメなのよ」
心底不思議そうに首を傾げる。エリアスはそんな二人のやり取りをしばらく眺めていたが、やがて困ったように笑った。
「ユラはアイリが心配なんでしょうね。私も正直、少し心配ですよ」
「どういうことよ」
どうやら本当に分かっていないらしい。さすがにここまで察しが悪いと、父親であるエリアスが少し気の毒になってくる。というより、このままでは自分まで居たたまれない。
「えっと……俺、下の礼拝堂の長椅子とかでも大丈夫ですよ」
ユウマが助け舟を出すように口を挟む。屋根があって横になれるだけでも、今の自分には十分すぎるくらいだ。
「そうはいきません」
しかし、エリアスは間髪入れずに首を横に振った。
「ですが……」
「夜の礼拝堂は冷えます。それに、子供を固い長椅子で寝かせるわけにはいきませんよ」
穏やかな口調ではあったが、有無を言わせないものがあった。
中身はともかく、今のユウマは十一歳ほどの子供にしか見えない。エリアスからすれば当然の判断なのだろう。
「今日は私の部屋で休んでもらうとしても、明日からどうするかですねぇ」
エリアスは腕を組み、眉間にわずかに皺を寄せる。教会とはいえ、好きに使える部屋がいくらでもあるわけではないらしい。
「空いている部屋でもあったらよかったのですが……」
「私がアイリと一緒に寝る」
エリアスの言葉を遮るように、ユラが呟いた。
「え?」
ユウマが聞き返すよりも早く、アイリの表情がぱっと明るくなる。
「いいわね! そうしましょう」
「……ん」
警戒を滲ませていたユラの目元が、ほんの少しだけ緩んだ。
アイリと一緒に寝られることは、ユラにとっても満更ではないらしい。
「では、当面はそうしましょう」
エリアスも二人を見て柔らかく笑う。
「ユウマ君にはアイリの部屋を使ってもらいましょう。今後のことは、こちらでも考えておきます」
「でも——」
「気にしなくていいわよ。ユラとはよく一緒に寝てたのよ」
ユウマの言葉を遮り、アイリはあっけらかんと答える。
「それに、久しぶりにかわいいユラを抱き枕にして寝られるしね」
そう言いながらアイリはユラの肩に手を回し、ユラのほうへ身を寄せる。アイリが気を遣って言ってくれているのも分かる。これ以上遠慮する方が野暮というものだろう。
「……じゃあ、お言葉に甘えます」
その言葉に、エリアスはにこりと微笑んだ。
そうだ。そんなやり取りをしたんだった。
昨夜のことを思い出し、ユウマは床に転がったまま、うんうんと頷く。
微笑ましい二人の様子まで思い出して、自然と口元も緩んだ。
「大変だわ、ユウマが頭を打っておかしくなったかもしれないわ」
「元々なんじゃない」
「俺の扱いひどくない?」
ユウマが抗議すると、心配そうに曇っていたアイリの表情がふっと和らいだ。
「それだけ元気なら大丈夫そうね」
「ベッドから落とされたせいで、腰がちょっと大丈夫じゃないかもだけど」
「……起きたからいいでしょ」
「次からはもっと優しく起こしてもらえると助かります。えっと……ユラ」
悪びれる様子もなく言い切るユラに、ユウマは床に転がったまま小さく息を吐く。
一晩同じ屋根の下で過ごした程度では、まだ完全に警戒を解いてもらえるわけではないらしい。とはいえ、こうして遠慮なく扱われているあたり、最初よりは多少はマシになったと思ってもいいのだろうか。
昨日、アイリに言われたことを思い出す。
大丈夫。ユラだって、まだ今の自分と同じ幼い女の子だ。必要以上に構えることはない。無理に取り繕わなくていい。洋画に出てくる気さくな奴みたいに。明るく、自然に。
そんなことを自分に言い聞かせながら身体を起こしていると、部屋の外から香ばしい匂いが漂ってきた。途端に腹の虫が小さく鳴った。
「ちょうど朝ご飯できてるわよ」
ユウマの腹の音を聞き、アイリが待ってましたと言わんばかりに立ち上がる。
「エリアスが作ったのか?」
「私も手伝ったけどね」
アイリが得意げに言う。
「まさか……アイリが?」
「どういう意味よ」
「いや、別に」
「私だって料理くらいできるわよ!」
「……パン切っただけ」
「ユラ!」
余計なことを言うなとばかりにアイリが振り返る。ユラは意に介した様子もなく、さっさと部屋を出ていった。
「ほら、ユウマも早く来なさい!」
「はいはい」
「返事は一回!」
そう言いながら、アイリもユラに続き、部屋から出ていく。
「お母さんかよ」
「誰がお母さんよ」
ボソッとつぶやいたユウマの言葉をアイリは見逃さない。
「……冗談です。アイリさん」
部屋の外から顔だけを覗かせ、ユウマに鋭い視線を向けていたアイリだったが、ユウマの言葉を聞き、顔をひっこめた。
地獄耳なところまで母親っぽいなと思ったが、昨日の教訓を生かし、口には出さず、ユウマも急いでその後を追った。




