第4話 家族
両脇に規則正しく並べられた木製の長椅子を横目に、中央の通路を進む。
奥には祭壇が設けられていたが、その壁に掛けられた聖印は、ユウマの知る十字架とは似ても似つかないものだった。信仰する神の違いといったところだろう。
まさか、あの悪戯好きの美少女が祀られているわけじゃないよな。
そんなことを思いながら、右へそれたところにある扉を開けると、上の階への階段が現れた。礼拝堂とは違い、壁には照明がついており、やわらかい光が階段を照らしていた。
「上に私たちの暮らす部屋があるわ」
アイリがユウマへの軽い紹介を挟みながら階段を上っていく。
階段を上りきったところで、一番手前の扉が開き、中から人が出てきた。服装を見たところ、神父様だろうか。
「お帰りアイリ。それにレインも遅くにありがとう」
そう言いながら、大きく手を広げたその顔には、優しい微笑みと深い皺が刻まれていた。
「ただいまエリアス」
そう言いながらアイリは、大きく広げられた手に飛び込んでいく。レインはそんな家族のやり取りを、微笑ましそうに眺めていた。
「レインは行かなくていいのか?」
「まぁ、俺は本当の家族じゃないからな」
そう言いながら肩をすくめる。
「何言ってんのよ、あなたも家族みたいなものじゃない。エリアスだってそう思ってるわ」
「もちろんですよ」
そう言いながら、エリアスは、アイリを受け止めていた右手に加え、もう一人分受け止められるように左手を広げた。
「やめてくれ、そんな柄じゃない。エリアスのおっさんもマジにすんなよ」
手をヒラヒラさせながら、レインは後ろを向く。
レインには、アイリやエリアスとの直接の血縁もなければ、共に暮らしているわけでもないらしい。
それでも、三人の間に流れる空気は温かかった。
遠慮なくエリアスへ飛び込むアイリと、それを当然のように受け止めるエリアス。口では素っ気ないことを言いながら顔を背けるレインだったが、その横顔はどこか穏やかだった。
「案外、満更でもなさそうだけどね」
「あんまり無駄口叩いてると、お前をここから突き落とすぞ」
ユウマの冷やかしに対して、毒づくレインだったが、本当に嫌がっている風には見えないあたり、やはり満更ではないのだろう。
「君は見ない顔だね。最近ここらに来たのかな」
エリアスがユウマに問いかけた。
「えっと……そうですね」
なんて答えればいいのか分からず、咄嗟に無難な返事をしてしまう。
「違うでしょ?ねぇ。彼、ユウマって言うんだけど、しばらく私の部屋に泊めてあげてもいいかしら」
「は?」
ユウマとレインは同時に驚いたように声を漏らす。
「私の部屋って、お前……」
レインが独り言のようにつぶやく。
エリアスはすぐには答えず、アイリの肩越しにユウマへ視線を向けた。穏やかな眼差しだったが、ほんの数秒、こちらを見定めるような色が混じる。
「ユウマ君、ですか」
「はい」
反射的に背筋を伸ばす。昔、恋人の両親に初めて挨拶した時のような緊張感を覚え、じんわりと嫌な汗が滲む。
「事情を聞いても?」
「それは——」
「私が召喚したの」
ユウマが答えるより先に、アイリがあっけらかんと言った。
沈黙が落ちる。
「…………」
「…………」
エリアスの笑顔が固まり、レインがゆっくりとアイリへ顔を向ける。
「……今、なんて言った?」
「だから、私が召喚したのよ」
「お前、また一人で魔法の練習してたのか」
「またって何よ。今回はちゃんと成功したわよ」
「で、成功した結果がこいつかよ!」
レインがユウマを指差す。
ユウマとしては、レインとはそれなりにいい関係を築けていたと思っていた。
それだけに、突然こいつ呼ばわりされたことには、さすがに少しショックを受ける。
もしかすると、人を召喚すること自体が何かまずいのかもしれない。
「何が不満なのよ。ユウマはちゃんと喋れるわよ」
「そんなことを心配してんじゃねえ。そんな得体の知れないやつをこの家に置いとくのかって言ってんだ!」
「私が誰を部屋に泊めようと、あなたに関係ないでしょ」
言い争いがヒートアップしていく。
ユウマとしては、レインの言い分の方が筋が通っていると感じていた。
出会って間もない、素性も知れない相手を家に泊めようとするアイリは、少し不用心すぎる気がする。
ここまでよくしてくれたアイリに、これ以上世話になるのも気が引ける。
それに——こんな温かな場所に、自分がいて良いとも思えなかった。
——大丈夫。
一度深く息を吸い、いつものように顔に笑顔を貼り付ける。まるで何でもないことのように。一切の憂いを感じさせない明るい声色を意識する。
「あの——」
「なるほど。分かりました」
しかし、それより早くエリアスが口を開いた。
声は決して大きくない。それでも、その一言だけで場の空気が静まり返った。
「おいおい、まさか」
レインが冗談だろとでも言いたげな視線をエリアスに向ける。
「ユウマ君」
不意に名前を呼ばれ、ユウマは顔を上げる。
「帰る場所はありますか?」
「……ないです」
答えながら、胸の奥がざわつく。この世界には来たばかりなのだから、当然だ。
家もない。金もない。頼れる人間もいない。
見ず知らずの土地にたった一人なのだと改めて自覚した瞬間、胸の奥を冷たい手で掴まれたような感覚に襲われた。
エリアスは何も聞き返さなかった。ただ一言、
「でしたら、好きなだけいなさい」
そう言った。
あまりにもあっさりとした言葉に、今度はユウマが目を瞬かせる。
「……いいんですか?」
口にしてから、自分でも妙なことを聞いたと思った。
断られるものだと、どこかで決めつけていたのかもしれない。それに自分はここにいて良いのかという迷いがまだ拭えなかった。
「アイリが何かを拾って——いえ、連れて帰ってくることには慣れていますから」
「ちょっと待って。今、拾ってくるって言いかけなかった?」
「気のせいですよ」
「絶対言ったわよね?」
にこやかなエリアスに、アイリが不満げに頬を膨らませる。
「おいおい。エリアスのおっさん。流石にありえねぇだろ」
レインは納得できず、エリアスに食ってかかる。
「困っている子供に手を差し伸べるのは当然です。それに私、人を見る目には自信があるんですよ」
優しい口調だったが、エリアスのその言葉には確かな意思があった。
レインはまだ何か言いたげだったが、もう何を言っても無駄なことを悟り、言葉を飲み込むように大きなため息をついた。
家族というだけあって、強引なところはアイリとそっくりだ。
けれど、その言葉を聞いてようやく、胸の奥に引っかかっていたものが少しだけ軽くなった気がした。
「ということで、ユウマ君。これからよろしくお願いします」
エリアスはそう言って、柔らかく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
深く頭を下げるユウマの横で、アイリが得意げに胸を張った。
「明日からは楽しくなりそうね」
「あぁ、また面倒ごとが増えそうだ」
二人のやり取りに、自然とユウマも笑みがこぼれた。
そんなユウマに、レインがそっと顔を寄せる。
「エリアスはああ言ってるが、もしアイリに変なことしたら、ただじゃおかねえからな」
なるほど、もしかするとそうなのかもしれない。
小さく笑ってからユウマはレインに耳打ちをする。
「心配するようなことはないって。なんなら、俺が二人の仲を取り持とうか?」
「は!? そういう意味じゃねぇよ」
動揺したレインが声を上げる。
「あら。仲良くやっていけそうじゃない」
「うるせぇ。こいつが妙なことを言うからだっての」
レインが叫ぶ。そしてユウマのことをじっと見つめると、ふんと鼻を鳴らした。
「まぁ危ない奴じゃないってのはなんとなく分かるが、その先は、これから見定めさせてもらうぜ」
そう言って、レインは階段を下りていく。
階下から、扉の開く音がしたかと思うと、少し遅れて扉が閉まる音がした。レインが出ていったあと、部屋には一瞬だけ静けさが戻る。
が、すぐに今度は、階下からゆっくりと階段を上ってくる足音が聞こえてきた。
「ただいま」
小さな声とともに姿を現したのは、アイリと同年代ほどの少女だった。
暗い緑をわずかに含んだ髪は、耳を半ば隠すくらいの長さで切り揃えられている。毛先はところどころ無造作に跳ね、前髪も目元にかかりそうなところでばらついていた。きちんと整えているというより、邪魔にならない長さに切っただけ。そんな印象だった。
半ば伏せたまぶたの奥から覗く大きな瞳は、どこか眠たげだ。幼さの残る整った顔立ちも相まって、どこか物静かで、掴みどころのない雰囲気をまとっている。
背丈はアイリとそう変わらない。ただ、アイリと比べると手足はややすらりとしており、ユラの方が少しだけ年上に見えた。
身につけているのは、飾り気のない動きやすそうな服だ。腰回りまで覆う少し大きめの上着には薄く土埃が付き、袖口や裾にも擦れた跡が残っている。
そして、その華奢な肩には、身体には不釣り合いなほど大きな荷袋が掛けられていた。中にはかなりの荷物が詰まっているらしく、肩紐が細い肩へ食い込んでいた。それでも少女は重そうな素振りを見せることもなく、まるでそれが当たり前であるかのように立っていた。
「おかえり、ユラ」
エリアスとアイリがほぼ同時に声を出す。アイリはそのまま、ユラへ勢いよく飛びついた。
「……ただいま、アイリ」
不意打ち気味に飛びつかれ、ユラの身体がわずかによろめく。それでも慣れているのか、危なげなくアイリを受け止めた。その表情がわずかに緩む。
だが、ユウマの存在に気づいた途端、その柔らかさはすっと消えた。
ユラは無言のまま、アイリを自分の後ろへと促した。
眠たげだった瞳がわずかに細まり、真っ直ぐユウマへ向けられる。
「…………誰?」
「ユウマよ。今日からしばらく一緒に住むことになったの」
「聞いてない」
「今決まったもの」
「…………」
ユラの視線が、頭の先から足元までユウマをゆっくりとなぞる。レインのそれが相手を見定めるための視線だったとすれば、こちらはもっと露骨だった。完全に警戒されている。
「えっと、ユウマです。よろしくお願いします」
「……ユラ」
それだけ答えると、ユラはアイリの袖を軽く引いた。
「アイリ」
「なに?」
「……あとで話、聞く」
「いいわよ?」
ユラはもう一度だけユウマを見る。
「……変なこと、しないでね」
ユラはそれ以上何も言わなかった。
ただ、細められた瞳だけが真っ直ぐユウマを捉えている。
「しませんよ」
即答すると、数秒の沈黙のあと、細められていた目がわずかに緩む。
「ならいい」
「ユラ、お風呂は沸かしてあるので、早めに入りなさい」
エリアスの言葉にこくりと小さく頷くと、ユラは荷袋を肩に掛け直し、奥の部屋へと歩いていく。その足取りには、わずかに疲労が滲んでいた。
「すみませんね。ユラは少し警戒心の強いところがありまして。ですが、とても優しい子ですよ」
「そうなんですね」
先ほどの視線を思い出す限り、素直に頷くのは少し難しかった。
とはいえ、これから同じ屋根の下で暮らすのだ。せめて警戒くらいは解けるよう頑張ろう。
そんな決意をユウマは固めるのだった。




