第2話 彼女との再会
「全部、お前のせいってことであってる?」
「お前なんて言っちゃって。怖いなぁ」
そんなことを微塵も思っていなさそうな顔で、彼女はぐっと距離を詰めてきた。
思わずユウマがたじろぐ。
それでも彼女は構わず、逃がさないとでも言うように顔を覗き込んできた。
「私のことはユミルって呼んでね。ユ・ウ・マ♡」
相変わらず、無駄に顔がいい。
その顔で迫られ、思わずもう一歩後ろへ下がりそうになる。
だが、ここで引いたら負けな気がした。
「分かったよ。えーと、じゃあ……ユミルン」
「は?」
予想外の一言だったのだろう。いつでも余裕たっぷりだったユミルの表情が、初めて固まった。
「だってなんか、ユミルだと味気ないっていうか」
「僕も長く生きてきたけど、そんな風に呼ばれたのは初めてだよ……」
ユミルは困惑を隠しきれない様子で呟く。
「まあ、何事にも初めてはあるよ」
「僕、一応神様なんだけど……というか、神社の時にあった敬意みたいなものがなくなってないかな」
「そんなことないよ。ユミルン?」
なんとなく、ユミルの扱い方がわかってきた気がする。何か言いたげに眉を寄せる彼女を見て、ユウマの口元が思わず緩んだ。
「……まあ、いいけど」
ユミルは、こほん、と小さく咳払いして仕切り直すと、不意に指を鳴らした。
すると、何もなかった空間に小さな光が灯った。淡い光はゆっくりと膨らみ、やがて拳ほどの球となって宙に浮かぶ。
月明かりだけに沈んでいた室内が、柔らかな光に照らされ、ひび割れた壁や舞い上がる埃がぼんやりと浮かび上がった。
「うわ。なんだそれ」
「月明かりだけだと薄暗いからさ」
「いや、そんなことを言ってるんじゃなくて、それ」
宙に浮かぶ光の玉のほうを指さすユウマの様子に、ユミルは不思議そうに首を傾げる。
「何って魔法だけど」
「そんな当然のことみたいに言われても困るんだけど」
「えー。でも君が言ったんじゃん。魔法とか使えたら最高ですねって」
ユミルはぷくっと頬を膨らませる。
「いや、言ったけど……」
改めて宙に浮かぶ光の玉を見つめる。
どう見ても電球でもなければ、何かの仕掛けがあるようにも見えない。淡い光を放つそれは、ユミルの指先の動きに合わせてふわふわと宙を漂っている。
そこで、ふと一つの考えが浮かんだ。
本当にこの世界に魔法が存在するのなら。
もしかして、自分にも使えるんじゃないか。
魔法とか使えたら最高。何気なく口にした言葉が、急に現実味を帯びてくる。
胸の奥がわずかに高鳴った。
ユウマはユミルへ問いかける。
「……もしかして、俺も使える?」
自然と声が弾んだ。
そんなユウマを見て、ユミルはにっこりと笑った。
「もちろん」
「マジで!?」
思わず身を乗り出す。
「使えないよ」
「マジで……?」
「マジ」
ユミルの一言で、先ほどまで膨らんでいた期待が音を立てて萎んでいく。
それもそうだろう。せっかく魔法がある世界に来たのに、全く使えないのは興醒めもいいところだ。
「……そんなつまんないことを言うためにわざわざ来たのか」
「えっと。ごめんね、まさか魔力が全くないなんてね。僕も驚いてるんだよ」
悪態をつくユウマに対して、ユミルは気まずそうに目を逸らすと、所在なさげに指先を弄る。これまでの飄々とした態度を思えば、それなりに責任は感じているのだろう。
小さくため息をつき、ユミルに声をかける。
「で、ほかになんかないのかよ。今度はいいニュースで頼むよ」
「えっとね。あるよ!」
今度こそ、と言わんばかりにユミルが宣言する。
ほんとか?
ユウマが訝しげに見つめると、ユミルはふふんと得意げな表情を浮かべる。
「なんと君はいま、十一歳くらいまで若返ってるよ」
「まあ、そうだろうね」
「えー。リアクション悪いなぁ」
ユミルは不満げだった。
ユミルに言われるまでもなく、なんとなく察しはついていた。
若返れたのは嬉しい。だが、それは魔法が使えないという悲報を帳消しにできるほど魅力的ではなかった。
「それにその方が都合いいでしょ?」
「何の」
「そりゃ君の恋だよ」
「はぁ?」
思わず、ぽかんと口が開いてしまった。
「よく考えてみなよ。せっかく恋をやり直すのに、二十代半ばから再スタートじゃもったいないでしょ」
「はぁ……」
「だから、これから青春を迎える十歳くらいにしてあげたってわけ」
満足げに腕を組むユミルを尻目に、ユウマは神社で口にした願いを思い出していた。
「……いや待て」
そこでユウマはようやく我に返った。
「俺の人生を恋愛ゲームの周回プレイみたいに扱うなよ」
「いいじゃない。若返ったんだから」
「よくないだろ。こっちは十年以上巻き戻されてるんだぞ」
「でも身体は軽いでしょ?」
「そういう問題じゃない」
ユミルは心底不思議そうに首を傾げた。その様子を見る限り、本気で良かれと思ってやったらしい。神様と人間では、時間の感覚そのものが違うのかもしれない。
「まあでも……」
再び窓へ目を向ける。先程は、ぼんやりとした輪郭しか映していなかったが、今はユミルの魔法のおかげで、自分の姿を多少確認することができる。
肩幅は狭くなり、腕も以前より細い。頬にはわずかに丸みがあり、顎の線も以前ほど鋭くない。見慣れているはずの自分の顔なのに、妙な違和感があった。
記憶の中にある昔の自分と、今の自分が無理やり重なっているような感覚だ。
確かに十数年分若返ったのは事実らしい。
もう一度十代をやり直せる。そう考えると、悪いことばかりでもない気がしてくる。少なくとも、朝起きて会社へ向かい、疲れ切って帰ってくるだけだった昨日までの生活よりは、少しくらい面白い人生になるかもしれない。
窓に映る幼い自分へ向けるように、ユウマは小さく笑った。
「……いや、やっぱ勝手に若返らせるのは違うだろ」
「細かいなぁ」
「細かくない」
くすくすと笑うユミルを見ながら、ユウマは小さく息を吐いた。
そこで、もう一つ大きな疑問が残っていることを、ユウマは思い出した。
「で」
「ん?」
「ここはどこなんだ?」
ユミルは一瞬きょとんとした後、何を今さらと言わんばかりに笑った。
「君が望んだ別の世界だよ」
「いや、そういうことじゃなくて。なんで俺はここに落ちてきたんだ?」
「ああ。そっちね」
納得したように頷くユミルを横目に、ユウマは古びた室内をぐるりと見回した。
「それなら、僕にも正確なことは分からない」
ユミルはそう呟くと、指先で弄んでいた光の玉をふわりと宙へ放った。
淡い光がゆっくりと天井近くまで昇っていく。
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
「お前が連れてきたんじゃないの?」
「半分正解で、半分不正解かな」
「一番面倒くさい答え方するなよ」
「だって本当なんだもん」
ユミルは悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「僕がしたのは、君の願いにほんの少し手を貸しただけ」
「俺の願い……」
「忘れたの?」
ユミルがいたずらっぽく笑う。
「心から好きになれる人と出会えますように、って」
「わざわざ復唱しなくていい」
急に恥ずかしくなり、ユウマは顔を逸らした。
あの時は半ば自棄になっていたとはいえ、改めて他人の口から聞かされるとなかなかに破壊力がある。
「でも、願ったのは君だけじゃない」
「え?」
ユミルの声から、先ほどまでのふざけた調子がわずかに薄れた。
「この世界にもいたんだよ。どうしても叶えたい願いを持った子が」
ユウマは眉を寄せる。
「その願いと、俺の願いが繋がった?」
「そんなところ」
「そんなことあるのかよ」
「あったから、君はここにいるんじゃない?」
「それを言われると何も言えないな……」
ユウマは小さく息を吐いた。
その時、ふと先ほどの少女の言葉が脳裏をよぎる。
——それに私との魔力的な繋がりも感じないのよね。
「……待てよ」
この場所。
自分が現れた直後にそこにいた少女。
そして、あの妙な言葉。
偶然にしては、出来すぎている。
「もしかして……アイリか?」
ユミルの銀色の瞳が、わずかに細められた。
「へえ」
「なんだよ」
「いや。ちゃんと頭使えるんだなぁって」
「どういう意味だよ」
反射的に睨み返すが、ユミルは楽しそうに笑うだけだった。
「アイリが俺を呼んだのか?」
「さあ?」
「おい」
「そこから先は僕が教えることじゃないよ」
「なんでだよ」
「だって」
ユミルは人差し指を立てる。
「その方が面白いから」
「神様が言っていい理由じゃないだろ、それ」
呆れたように言い返す。
「冗談だよ」
「絶対半分くらい本気だろ」
くすくすと笑ったあと、ユミルはふと窓の外へ目を向けた。
「でも、一つだけ言っておくよ」
その声音が変わった。
つられるように、ユウマも口を閉ざす。
「君がここに来たのは、偶然じゃない」
「…………」
「君が願って、誰かが願った。その二つが繋がった結果、君はここにいる」
「じゃあ、やっぱり」
「おっと」
廊下の向こうから微かな音が聞こえてきた。ばたばたと床板を踏み鳴らす足音。それは次第に大きくなり、こちらへ近づいてくる。
「戻ってきたみたいだね」
「待て。まだ話は——」
「続きは自分で確かめなよ」
ユミルの輪郭が、淡い光を帯び始める。
「おい、ユミルン」
「……ねえ」
「なんだよ」
「その呼び方、本当に続けるつもり?」
「気に入ってきただろ?」
「全然」
即答だった。思わずユウマが笑う。
そんな彼を見て、ユミルも小さく笑みを浮かべると、ユミルの身体は、端から徐々に光の粒となって消えていく。
「せっかく手に入れた二度目の青春だ」
「勝手にやり直させたのはお前だろ」
「細かいことは気にしない」
「だから細かくないって」
最後まで調子を崩さないユミルに、ユウマは呆れて肩を落とす。消えかけていたユミルが最後にこちらを見た。
「楽しんでおいで。ユウマ」
先ほどまでとは違う、どこか柔らかな声だった。
「君が望んだ、新しい人生をね」
その言葉を最後に、ユミルの姿が光の粒となって消えた。
同時に、廊下を駆けていた足音が扉の前で止まる。
勢いよく扉が開いた。
「お待たせ!」
ランタンに加え、大きな布袋を脇に抱えたアイリが、満面の笑みで立っていた。
「とりあえず服持ってきたわよ。今の格好じゃ歩きづらいでしょ?」
「ありがとうございます」
「別にお礼を言われるようなことじゃないわよ」
アイリはそう言いながら、少し気恥ずかしそうに視線を逸らした。
ユウマはそんな彼女をじっと見つめる。
——君が願って、誰かが願った。
先ほどのユミルの言葉が頭に残っている。
——この子が、俺を呼んだ?
「……なに?」
視線に気づいたアイリが、不思議そうに首を傾げた。
「いや、なんでもないです」
「変なの」
アイリはそう言って、屈託なく笑った。
その笑顔を見ながら、ユウマはもう一度だけユミルの言葉を思い返す。
偶然じゃない。なら、なぜ自分だったのか。
そして、この少女は一体何を願ったのか。今はまだ、何一つ分からない。
ただ——。
どうやら俺の新しい人生は、この少女との出会いから始まるらしい。




