第23話 木漏れ日亭
ギルドから出たユウマは、眩しい日差しに目を細めた。
「なかなかの……量だったぜ」
ユウマは思わず、そんな言葉を漏らした。
社会人になってからというもの、仕事の大半はパソコンでこなしていた。手書きで文字を書く機会も、めっきり減っていたのだ。
それが今日は、何枚もの書類に延々と文字を書かされた。右手を軽く握ったり開いたりすると、指先から手首にかけてじんわりとした疲労感が残っていた。
「お疲れ様」
「マジで、全然手伝ってくれなかったな」
軽く伸びをするユラに、ユウマはジトッとした視線を向ける。
ユラは自分が書かなければならない箇所だけをさっさと埋めると、残りの書類と格闘するユウマを尻目に、退屈そうに部屋の中を見回していた。
「私は、大切な役目があったから仕方ない」
「へいへい。それで、なんであんなに売るのに反対だったんだ?」
ずっと疑問に感じていたことをユラにぶつけると、ユラがこっちを向いた。その口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。
「それはこれから行く先で話す」
「?」
首を傾げるユウマには構わず、ユラはさっさと歩き出してしまう。仕方なく、ユウマもその後を追った。
「なあ、どこに向かってるんだよ」
いつもの帰り道とは違う方向へ、迷いなく進んでいくユラに声をかける。
「さっきから質問ばっかり。黙ってついてきて」
「……分かったよ」
それからしばらく歩いたところで、ユラは一軒の店の前に立ち止まった。
軒先には木製の立て札が掛けられている。そこに刻まれた文字を、ユウマは声に出して読んだ。
「『木漏れ日亭』……食堂か?」
ユラがこくりと頷き、そのまま扉を開ける。
カラン、と小気味いい鐘の音が鳴った。
「いらっしゃい! あら、ユラちゃんにユウマ君じゃない」
元気な聞き覚えのある声が響いた。
「こんにちは、セリアさん。レインは?」
「レイン? いるわよ。今日は天気がいいから、たぶん上ね」
「ありがと」
ユラは慣れた様子で客席の脇を抜けていく。昼時ということもあって、店内はそれなりに賑わっていた。食事を楽しむ客たちの話し声に、食器の触れ合う音。奥の厨房からは、焼いた肉や香草の食欲をそそる匂いが漂ってくる。
そのまま厨房の隣にある扉を開けると、先ほどまでとは打って変わって、生活感のある廊下が現れた。
どうやら、ここから先がレインたち家族の居住スペースらしい。
廊下の脇にある階段を上がり、ユラはすぐ近くの部屋の扉を躊躇なく開けた。
「おい、ノックくらいしてやれよ」
「大丈夫。ここじゃないから」
確かにユラの言う通りだった。
部屋の中に、レインの姿はない。開け放たれた出窓から風が吹き込み、机の上に置かれた本のページだけがぱらぱらとめくれている。
ユラは出窓へ歩み寄ると、慣れた様子で窓枠に手をかけ、するりと外へ身を乗り出した。どうやら、ここから屋根へ出られるらしい。ユウマもその後に続く。屋根に出ると、柔らかな日差しが頬に当たり、心地よい風が髪を揺らした。少し先には、屋根の上で仰向けになっているレインの姿があった。
ユラと並び、その顔をじっと見つめる。
「気持ちよさそうに寝てるな」
「レインは天気のいい日は、こうやってよく昼寝してる」
そのままレインを揺り起こそうと、ユラが手を伸ばす。だが、その手をユウマが掴んだ。
「なに?」
「普通に起こしたんじゃ、面白くないでしょ」
「またロクでもないこと考えてる?」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべたユウマを見て、ユラは、呆れたように腰に手を当てた。
「ユラ、魔法で水出せたりしないの?」
「水……?」
少し考えるように首を傾げる。
「得意じゃないけど……頑張れば、なんとか」
「よし。じゃあ、こいつの顔に水ぶっかけてやろうぜ」
「やっぱりロクでもないことだった」
そう言いつつも、ユラは、寝転がったレインの顔のちょうど真上にあたる位置に、両手をかざしていた。
「とかいいつつ、やる気じゃんか」
「やらないとは言ってない」
ユラは静かに目を閉じる。
「大地を癒す大いなる恵みの雫をここに《ウォーターボール》」
詠唱とともに、突き出した両手の先へ小さな水滴が集まり始めた。それらは少しずつ一つにまとまり、やがて掌ほどの大きさの水球を作り上げる。
ユウマとユラは顔を見合わせる。そして、静かに頷いた。
ユラが両手を引く。支えを失った水球が、そのまま眠っているレインの顔めがけて落ちていく。
——直撃。その寸前。
目を閉じたまま、レインがすっと顔を横へずらした。
水球はそのまま瓦へ落ち、ぱしゃりと弾ける。
「何の用だよ」
レインが片目だけを開け、こちらをちらりと見た。
「いつから起きてたんだ?」
「最初からだよ」
「チッ」
ユウマとユラの舌打ちが綺麗に重なった。
「ったく。お子ちゃまが多くて困るぜ」
レインは呆れたように言いながら、ゆっくりと上半身を起こす。
「ユウマ、言われてるよ」
「俺だけかよ」
「で、何の用だよ」
レインは大きく欠伸をしてから、ふと周囲を見回した。
「今日は、アイリは一緒じゃないんだな」
「アイリは今日、用があるって言ってた。それに、アイリがいると話せない」
その一言で、レインの表情がわずかに変わった。
何かに思い当たったように眉を上げ、ユウマへ視線を向ける。
「……ユウマにも話すってことか」
ユラは無言で頷いた。
「なるほどね」
レインの口元に、少しだけ意地の悪い笑みが浮かぶ。
「ずいぶんと仲良くなったんだな」
「……うるさいな」
からかうような言葉に、ユラは少し照れ臭そうに頬を掻きながら視線を逸らした。
「?」
事情の分からないユウマだけが首を傾げる。
「よし、じゃあ、とりあえずエリアスの所へ行こうぜ」
レインは、大きく伸びをしながら立ち上がった。
「あら、お出かけ?」
下りてきた三人に、セリアが声をかける。
「まぁ、そんなところだ」
「そうなの。あ、そうだ!」
セリアが何かを思いついたように目を輝かせた。
「せっかくだから、出かける前に、ご飯食べていかない?」
「マジですか。レインの家のご飯すごく気になります!」
「……俺が作る飯は、うまいぞ」
その言葉を聞きつけたのか、ローディスが厨房から顔を覗かせた。
「じゃあ、お言葉に甘えて——」
次の言葉を口にするより早く、左右から肘が飛んできた。
「いてっ」
「おい、ウチの飯なんていつでも食えるだろ」
「大事な話があるから、ご飯はまた今度」
「えー、ダメ?」
「アイリもいる時に、また来ればいいでしょ」
二人に窘められ、ユウマは渋々頷く。
「……申し訳ないですけど、また今度で」
「あら、残念」
セリアは少しだけ肩を落としたものの、すぐに明るい笑顔へ戻った。
「じゃあ、次はアイリちゃんも一緒にいらっしゃい」
「ぜひ!」
ユウマが元気よく答えると、セリアも柔らかな笑みを返した。
そのときだった。カラン、と入口の鐘が鳴る。
「いらっしゃい!」
三人の男が入ってくる。
三人とも濃紺の制服の上から、くすんだ銀色の胸当てと肩当てを身につけている。
腕や脛も簡素な金属鎧で覆われ、腰には剣と革製の小物入れ。制服の裾には、アルディア王国の紋章があしらわれている。衛兵だ。
三人の中でも真っ先に目についたのは、先頭を歩く大柄な男だった。
短く刈り込まれた髪に、厚い胸板と太い腕。立っているだけでも妙な威圧感がある。
その後ろには、対照的にすらりとした長身の男がいた。肩まで伸びた髪を後ろへ流し、口元には柔らかな笑みを浮かべている。
最後の一人は、二人に比べるとずいぶん若い。おそらく新兵なのだろう。装備も比較的新しいものであり、視線を落ち着きなく周囲へ巡らせる様子にも、まだ場慣れしていない新人らしさが滲んでいた。
「……ずいぶん、しけた店だな」
大柄な男が、入って早々そんなことを口にした。
「まぁまぁ、グレン先輩。あんまりお店の中で、そんなことを口にするもんじゃないですよ」
長身の男が、笑みを浮かべたまま口を挟んだ。
一番若い男は、何か言いかけたように見えたが、結局言い出せず、居心地が悪そうに困ったような顔をしている。
横暴な上司に振り回される新人って感じか。分かるなぁ。ユウマは思わず、うんうんと頷いた。
「しけた店で悪かったわね。それで、食べてくの? 食べるならそこのテーブル空いてるわよ」
「おっと、悪いな。思ったことがすぐ口から出るたちでよ」
セリアがふん、と鼻を鳴らして仕事へ戻る。三人の衛兵も、言われた席へ腰を下ろした。
「あいつらは……?」
聞こえないよう声を落とし、ユウマはユラたちに尋ねる。
「最近、この辺りを担当してる衛兵の人たち。ちょうど、ユウマがうちに来た頃から」
「まぁ……ちょっといけ好かない連中って感じだな」
ユラとレインの反応を見る限り、評判はそこまでよくないらしい。とはいえ、これからこの地区で暮らしていく以上、衛兵と顔見知りになっておいて損はないだろう。
こういうとき、つい挨拶をしておきたくなるのは、社会人時代の癖だろうか。
ユウマは三人のテーブルへ歩み寄った。
「こんにちは」
「あ?」
グレンと呼ばれていた大柄な男が、面倒そうに顔を上げる。
「なんだこのガキ」
「初めまして。アッシュ地区の教会でお世話になってるユウマっていいます。この辺りを担当されていると聞いたので、ご挨拶だけでもと思いまして」
「アッシュ地区の教会……?」
グレンが少しだけ考えるような顔をしたあと、すぐに興味を失ったように手をひらひらと振った。
「あぁ、あのガキの家族か。分かった分かった、今は飯の時間だ。辛気臭ぇ話は後にしてくれ」
「辛気臭い話……?」
ただ挨拶しただけなんだけどな。それに、あのガキって誰のことだ?
ユウマが首を傾げていると、長髪の男がこちらへ柔らかな笑顔を向けた。
「すみません。グレン先輩は、少し口が悪いんです」
そう言ってから、笑みを崩さないまま続ける。
「今は休憩中なので、仕事の相談でしたら、また後で聞かせてもらえると助かります」
「本当にただの挨拶なんで気になさらないでください」
ユウマも笑顔を返す。ふと目が合った新人らしき若い衛兵は申し訳なさそうに頭を下げた。
「邪魔してすみませんでした」
ユウマもぺこりと一礼する。そして待っていたユラとレインのもとへ戻り、そのまま三人でその場を後にした。




