第19話 追い詰められて
ヌルっと作品タイトルを変更しました。悪しからず
やがて、左右を囲んでいた岩壁が途切れ、その先に鉱石の光で淡く照らされた広い空間が見えてきた。
二人は一度立ち止まり、中の様子を窺う。
物音はしない。魔物の気配も……おそらくない。二人は慎重に中へ入った。
中は、グラン・アラネアの死骸があった広間と、どこか似ている気がした。
「……おかしい」
ユラは岩壁の一角を前にして、腕を組む。
「風、この向こうから来てる」
「でも、道はなさそうだな」
ユウマの言葉にユラも頷く。
ユラが岩壁の表面を指でなぞった。そして数秒もしないうちに、その指が止まる。
「…………他と違う?」
「どういう——」
言い切るより先に、不意に言いようのない嫌な感覚を覚え、ユウマは動きを止めた。
——何か来る。
そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走った。
「ユラ」
「なに」
「後ろ」
ユウマたちが振り返る。
入ってきた通路とは別。もう一つの通路の先から人影が現れた。
最初は、人間かと思った。だが、次の瞬間にはそんな認識は吹き飛ぶ。
そこにあったのは、およそ人のものとは思えない、おぞましい顔。
痩せた身体は黒い外套に覆われ、そこからは異様に長い指が覗いている。
足元は見えない。いや、そもそも地に立っていなかった。そいつは、わずかに宙へ浮かんでいる。
そして全身から漏れ出す魔力のせいで、その周囲の空間は陽炎のように歪んで見えた。人の形をしているだけの、まるで別の何かだった。
示し合わせるまでもなく、二人がほぼ同時に剣を抜く。
「……ダークウィッチ」
ユラがつぶやいた。ユウマも聞き返すようなことはしない。聞かずとも、これまで見てきたモンスターとは違うことが十分に感じ取れた。
ユウマの剣を持つ手が微かに震える。
「約束……覚えてる?」
「ああ」
「自分の身を守ることに集中して。私が隙を作る。その間に、さっきの通路まで戻って」
「俺だって戦える」
「ダメ」
ユウマが言い終えるより先に、ユラが言葉を被せた。
「一人でアイツを倒せんのかよ。それに足……」
ユラは答えない。
それまでわずかに強張っていた表情から、すっと迷いが消えた。
ただ唇を固く結び、短く息を吐く。重心を落とし、二本の短剣を構える。
「行って!」
その言葉を合図に、ユラが地面を蹴った。
——バキッ!
踏み込んだユラの足元に亀裂が走る。
次の瞬間には、ユラの姿がユウマの視界から消えていた。
訓練の時はもちろん、道中でレッサードレイクと戦った時とも違う。
——あれでも、本気じゃなかったのか。
そう理解した時には、すでにユラはダークウィッチの目前まで迫っていた。
「ヴゥウッ!」
獣じみた唸り声が響く。直後、ダークウィッチを囲むように地面から氷柱が次々と突き出した。
ユラが両手に握った短剣が閃き、進路を塞ぐ三本の氷柱を一息に切り裂く。砕けた氷が白い破片となって宙を舞う。
その一瞬、わずかにユラの速度が落ちる。それを待っていたかのように、足元の地面が盛り上がった。
「っ!」
太い木の根が何本も地中から飛び出し、ユラの手足を絡め取ろうと襲いかかる。ユラは身体を捻り、迫る一本を断ち切る。続けざまに二本、三本。
だが、次々と伸びてくる根を前に、それ以上踏み込むことはできないと判断したのか。
短剣を振るいながら、ユラは一気に後方へ跳んだ。
「チッ」
ユラが舌打ちをした。
そしてそのまま、また攻撃を仕掛けていく。
近づこうとするユラ。
それを許すまいと、氷柱、木の根、火球と、次々に魔法を放つダークウィッチ。
二人の攻防を見つめながら、ユウマは機会を窺っていた。
そして——。
ダークウィッチの意識が、完全にユラへ向いた瞬間。
「今だ……!」
逃げるためじゃなく、立ち向かうために、ユウマが地面を蹴る。
一気に間合いを詰める。
「ヴゥッ!」
すぐさまダークウィッチがこちらを振り向いた。
掲げられた手の前に炎が集まり、三つの火球となって放たれる。
一発目をユウマは横へ大きく踏み込み、かわす。
続く二発目。身体を沈め、頭上を通過させる。
そして三発目。
「っ!」
避けきれない。
ユウマは剣を掲げた。剣の腹で火球の軌道をわずかに逸らし、その隙に身体を横へ滑らせる。
——いける。戦える!
そう思ったのも束の間だった。足元の地面が、不自然に盛り上がる。
「なっ——」
木の根が一斉に飛び出した。ユウマは後退しながら剣を振るい、迫る根を次々と切り落としていく。だが。
「しまっ……!」
死角から伸びた一本が、右足首へ絡みついた。
次の瞬間、強烈な力で身体を引かれる。
——ヤバい。
踏ん張ろうとした、その時だった。
ザシュッ。
足首を締め上げていた木の根が、突然力を失った。切断された根が地面へ落ちる。
そして、目の前には、二本の短剣を構えたユラが立っていた。
「自分の身を守ることだけに集中してって言ったでしょ」
「ご、ごめん」
「それに隙を見たら逃げてって言った」
「それはできない」
「約束でしょ」
ユラがこちらを見る。普段は半ば伏せられている眠たげな瞳が、今ははっきりと見開かれていた。
その表情には険しさが滲み、怒っているようにも見えた。
けれど、その奥にあるのが怒りではなく、覚悟を決めた者の強い意志であることは、今のユウマにも分かった。
「ユラを置いて、一人で逃げられるわけないだろ!」
ユウマの言葉に、ユラの表情が、一瞬だけ固まる。
が、すぐにまた目の前の敵へ視線を移した。
「……まだ手、震えてる」
目の前の敵を見据えたまま、ユラが言う。
「武者震いだっつーの」
ユウマは強く剣を握り直す。
ユウマの言葉に、ユラの口元が確かに緩んだ。今度は気のせいじゃない。
「分かった。だけど無茶しないで。自分を守ることを最優先にして」
「分かった」
「じゃあ……いくよ、ユウマ」
そう言ってユラがまた切り込んでいく。
二人の攻防の合間を縫って、ユウマもじわりじわりと、ダークウィッチとの距離を詰めていく。
繰り出される魔法を捌き、避ける。自分の身を守ることに全神経を集中する。
「守りは及第点……か」
レインの言葉がよぎる。
今はこれでいい。攻撃せずとも、こちらへ意識を割かせることで、ユラが動きやすくなれば。
「ヴゥオオオッ!」
突如、ダークウィッチの咆哮が響いた。
ユウマがそちらへ目を向けると、その片腕が宙を舞っていた。
ユラの短剣が、杖を持っていない方の腕を根元から斬り落としたのだ。
だが、その直後。ダークウィッチの足元から、これまでとは比べものにならないほど大量の木の根が噴き出した。そのすべてが、ユラへ殺到する。
「っ!」
ユラは咄嗟に跳び上がり、せり上がった根の中でも、ひときわ太い一本の上へ着地した。迫る根たちを断ち切りながら、そのまま根を足場に駆ける。
左右から襲いかかるものを短剣で次々と断ち切りながら、再びダークウィッチへ迫っていく。
だが、次々と伸びてくる根を前に、それ以上踏み込めないと判断したのか、ユラは短剣を振るいながら一気に後方へ跳んだ。
ユラは即座に短剣を振るい、根を断ち切る。
拘束されたのは、ほんの一瞬。
だが、空中で体勢を崩した身体は、そのまま右足から地面へ落ちた。
「ッ……!」
立ち上がろうとしたユラの身体が、がくりと沈んだ。
「ユラ、大丈夫か!」
ユウマが叫ぶ。
「平気……!」
ユラは無理やり身体を起こそうとする。だが、右膝がまた、がくりと折れた。
「ヴゥ……」
低い唸り声が響く。ダークウィッチは、それを見逃さなかった。
残った片腕で杖を持ち上げると、その先へ禍々しい魔力が集まり始める。
これまで放ってきた魔法とは明らかに違う。
周囲の空気が震え、杖の先で黒紫の光が急速に膨れ上がる。
「ユラ、逃げろ!」
間に合わない。そう理解するよりも早く、ユウマは駆け出していた。




