第17話 初めてのダンジョンへ
翌朝。簡単な朝食を済ませた一行は、ダンジョンの入口前に集まっていた。
中へ入る前に、ガレスから隊列や注意事項について説明があるらしい。
ユウマとユラも、ほかの冒険者たちに交じってその場に立っていた。
二人はそれぞれ、身の丈ほどもある大きなバックパックを背負っている。素材を回収するためのものだ。
以前のユウマなら、背負って歩くだけで肩や腰を痛めていたかもしれない。だが今は、これだけの荷物を背負っていても大した重さを感じなかった。
これも低魔力体質、もとい魔薄であることの恩恵なのだろう。
「では、これから編成を発表する。名前を呼ばれた者から、それぞれの位置についてくれ」
ガレスの声に、集まっていた冒険者たちが静かに耳を傾ける。
順番に名前が呼ばれ、隊列が組まれていった。
先頭を務めるのは、トッドを中心とした索敵や罠の発見に長けた者たち。
その後ろには、ミレナやハンナをはじめとした遠距離攻撃や支援を担当する冒険者が続く。
そして最後尾。
「ユラ。それからユウマ」
「はい」
名前を呼ばれ、ユウマはユラとともにガレスのもとへ向かった。
「お前たちは俺と一緒に最後尾だ」
「俺たちがしんがりですか?」
「正確には、しんがりをやるのは俺だ」
ガレスが左手の大盾を軽く叩く。
「お前たちはその少し前を歩け。後ろから何か来ても、まず俺が受ける」
「なるほど……」
要するに、守られる位置ということらしい。
少しだけ情けない気もしたが、初めてのダンジョンで妙な意地を張るほどユウマも馬鹿ではない。
「勝手に前へ行くなよ。特にユウマ」
「なんで俺だけ名指しなんですか」
「お前がこの隊で一番危なっかしいからだ」
ガレスが当然のように言い切る。隣では、ユラまで無言でこくりと頷いていた。
「ユラまで……」
思わぬところからの追撃に肩を落とすユウマを横目に、ガレスは小さく息を吐いた。
「ともかく、中に入ったら気を抜くな。攻略済みとはいえ、何が起きるかは分からん」
「はい」
「……分かった」
ユウマも表情を引き締めた。改めて、目の前へ視線を向けた。
岩肌にぽっかりと口を開けた巨大な洞窟。その奥には朝の光さえほとんど届かず、わずかに進んだ先からは、黒一色の闇が広がっていた。
胸の奥が、わずかに高鳴る。少し前までなら、それを純粋な期待だと思っていただろう。けれど今は違う。
初めて魔物と命を奪い合った感覚が、まだ身体のどこかに残っている。楽しみだけではない。拭いきれない怖さも、確かにそこにあった。
「出発だ!」
ガレスの声を合図に、先頭の冒険者たちが暗闇の中へ足を踏み入れていく。
「……大丈夫?」
隣から小さく声をかけられた。視線を向けると、ユラがこちらを見ている。
なんだかんだ言いながら、ユラはこちらを気にかけてくれている。昨日の戦闘でもそうだった。
「全然。余裕」
胸に残る不安を押し隠し、ユウマは努めて明るく答える。
「……そ」
ユラはそれ以上何も言わなかった。前を行く冒険者たちに続き、二人も歩き出す。
ユウマは腰の剣へそっと手を添えた。掌に返ってくる確かな重みを感じながら、一歩、また一歩と暗闇へ近づいていく。
そしてユウマは、ユラと並んで初めてのダンジョンへ足を踏み入れた。
◇
ダンジョンの中は、想像していたよりも入り組んでいた。
通路そのものは、数人が並んで歩けるほどの広さがある。だが、どこを見ても同じような岩肌が続き、そのうえ頻繁に分かれ道が現れる。
幸い、今回はすでに一度攻略されている。壁には攻略時につけられた目印が残されており、先頭を歩くトッドたちは迷うことなく奥へと進んでいった。
道中、軽い休憩を挟みつつ黙々と歩き続けていると、やがて視界が一気に開けた。そこは、それまで通ってきた通路とは比べものにならないほど広い空間だった。
何十人もの人間が一度に立ってもなお余裕がありそうな広さで、高い天井は幾本もの岩の柱によって支えられている。その柱を起点に、空中には白い糸が何本も張り巡らされていた。
さらに地面のあちこちには、土魔法によって隆起させられた土壁の跡が残っている。
柱や土壁にはべったりと糸が張り付き、幾つかの糸が中央へ向かって伸びていた。その先に横たわっていたのは、十メートル近くはあろうかという巨大な蜘蛛の死骸だった。
「すごいな。でかい……蜘蛛?」
思わず、そんな声がユウマの口から洩れる。
「あいつがこのダンジョンの主、《グラン・アラネア》だ」
後ろからガレスが答えた。
「蜘蛛型の魔物、《アラネア》の大型種だ。見ての通り、普通のやつとはサイズが比べものにならん」
「……これをガレスさんたちが?」
「まぁな」
ガレスはそう言って、広間に残された土壁へ視線を向けた。
「一番面倒だったのが糸だ。あの巨体から馬鹿みたいな量を飛ばしてきやがる。まともに食らえば、身体ごと地面や壁に縫いつけられる」
「うわ……」
改めて見れば、土壁に張りついた糸は一本一本がユウマの指ほどの太さをしていた。
試しに近くの一本へ触れようとすると、すぐさまユラに手首を掴まれる。
「触らない方がいい」
「まだ危ないの?」
「粘着力が残ってる」
慌てて手を引っ込めると、ユラが小さくため息を吐いた。
そんな二人を横目に、ガレスが話を続ける。
「まともに避け続けるのは無理だった。だから土魔法を使える奴らで壁を作って、糸を受け止めながら距離を詰めた」
ユウマは周囲を見回した。
広間のあちこちに残る、不自然に隆起した地面。
半ば崩れた土壁。
蜘蛛の糸が幾重にも絡みついた岩柱。
ただ荒れているように見えた光景も、事情を知れば印象が変わる。
その一つ一つが、グラン・アラネアとの戦闘がいかに苛烈なものだったかを表していた。
「……よく勝てましたね」
「相性が良かったのは確かだな」
ガレスが左手の大盾を軽く叩く。
「地形を利用できる俺たちの戦い方と、火属性を使えるミレナが噛み合った。それだけの話だ」
簡単そうに言う。
だが、目の前に横たわる巨体を見れば、それが決して簡単な話ではなかったことくらいユウマにも分かった。
グラン・アラネアは死んでいる。
それでも、八本の脚を広げたその姿には、近づくことを躊躇わせるだけの威圧感が残っていた。
「さて」
ガレスが手を叩く。
「ここまで来る間に異常はなかった。予定通り、ここから回収を始める」
その一言で、休んでいた冒険者たちが一斉に動き始めた。
「帰りながら順に拾っていく。重い物を抱えて奥まで歩く必要はないからな。まずは、この広間に残ってる素材からだ」
何人かがグラン・アラネアの死骸へ向かい、慣れた手つきで脚や甲殻を切り分けていく。
別の者たちは、広間に散らばった小型の魔物の死骸や、壁際に残された素材の回収を始めていた。
「ユラ、ユウマ」
「はい」
「……ん」
「お前たちは、切り分けた素材をあそこまで運んでくれ。バックパックに入る物と魔石は、そのまま詰めていい。ただし、無理に大物を運ぼうとするなよ」
「分かりました」
二人は指示された場所へ向かう。
地面には、すでに切り分けられたグラン・アラネアの脚や、周囲の魔物から回収された魔石が並べられていた。
切り分けられた脚の一節だけでも、ユウマの身長を軽く超えている。
「でかいカニみたいだな」
「……時々、よく分かんないこと言う」
「まあ、美味そうってことだよ」
「…………本気?」
適当に誤魔化したのがまずかった。
ユラから、信じられないものを見るような目を向けられる。
「いや、それよりさ」
逃げるように話題を変え、ユウマは切り離された脚の一本を持ち上げた。
「この大きさの割に、思ったより重くないな」
「それ、私たちだから」
そう言って、ユラも別の一本を軽々と持ち上げる。二人はバックパックに入らない大きな素材を、少し離れた集積場所まで運んでいった。
こちらへ来てからというもの、自分の身体能力には驚かされてばかりだ。
だが、こうして役に立てる場面があるのなら、悪いことばかりでもない。魔法が使えないことを除けば、だが。
「……なんか、ちゃんと仕事してる感じするな」
「仕事だから」
「そうなんだけどさ」
ユラは相変わらず淡々としている。
それでも以前に比べれば、ほんの少しだけ返してくれる言葉が増えた気がした。
やっぱりこの依頼を通して、着実にユラとの距離が縮まっている。そう思うと、自然とユウマの口元が緩む。
「……何」
「いや、なんでも」
「またニヤニヤしてる」
「してないです」
「してる」
否定しながら、ユウマは次の素材へ手を伸ばした。そのときだった。
——ミシッ。
「……ん?」
足元から、岩が軋むような音がした。ユウマは動きを止める。
「今、なんか音しなかった?」
「……音?」
ユラも手を止め、足元へ視線を落とした。
そこは、攻略時のグラン・アラネアとの戦闘で大きく荒れた一角だった。
岩肌には深く抉れた傷が残り、土魔法によって地形そのものが変わった跡も随所に見られる。
その合間には細かな亀裂もいくつか走っていたが、戦闘の余波で生じたものにしか見えない。
周囲に刻まれた無数の傷に紛れ、特別目を引くようなものではなかった。
「気のせいかな……」
そう呟き、ユウマが一歩踏み出す。
——ミシッ。
今度は、はっきりと聞こえた。
「ユウマ、動かないで」
ユラの声色が変わる。
その直後。
ユウマの足元から一本の亀裂が走った。
「……え?」
亀裂は瞬く間に枝分かれし、二人が立つ一帯を取り囲むように広がっていく。
「二人とも、そこから離れろ!」
遠くからガレスの声が飛んだ。その直後、轟音を上げて岩盤が砕け、二人の足元から地面が消えた。
胃が浮き上がるような感覚に襲われ、ユウマの身体は崩れた岩片とともに落ちていく。
「ユウマ!」
すぐそばからユラの声がした。
次の瞬間、腕を強く掴まれた。そのまま強く引き寄せられ、ユラに抱きかかえられるような格好になった。
「《ヴェント》!」
ユラのその言葉で、二人の下で風が爆ぜる。
凄まじい風圧が全身を叩いた。
落下していた身体が強引に押し上げられ、刹那、宙へ放り出されたような感覚に襲われた。
だが次の瞬間には、荒れ狂う風に煽られ、身体の向きすら分からなくなっていた。
「っ……!」
二人はそれぞれ別の方向へ勢いよく弾き飛ばされた。
ユウマの背中が岩壁へ叩きつけられる。肺の中の空気が一気に押し出され、視界が白く染まった。
そこで、ユウマの意識は途切れた。




