第16話 束の間の休息
一行がダンジョンの入り口についたころには、すでに日が落ちかけていた。
「よし。予定より時間はかかったが、どうにかダンジョンには着けたな。今日の作業はやめにして、野営の用意だ」
ガレスの指示で一行は準備に取りかかった。
トッドとガレスを中心に冒険者たちが周辺を見て回る一方、残った者たちは馬車から荷物を下ろし、寝床と焚き火の準備を始める。
ミレナとハンナは焚き火や食事の準備を、ユラとユウマはテントの設営を担当することとなった。
「なんかキャンプみたいであがるな」
「きゃん……ぷ? よくわかんないけど、口より手を動かして」
「へーい」
テンションが上がるユウマに対して、ユラはいつも通りの平常運転だ。
道中で共に戦ってからというもの、ユラとの間にあった壁がほんの少しだけ低くなった気がしていた。
キャンプみたいな状況に浮かれているせいもある。けれど、それ以上に、ユラとの距離が少し縮まった気がして、それが嬉しかった。
「……何ニヤニヤしているの」
ユラは手を止め、怪訝そうに眉を顰めた。
「いや別に」
まずい、まずい。意識しないうちに、表情に出ていたようだ。ユウマは表情を引き締めた。
そんなユウマの様子に、ユラは首を傾げ、再び作業に戻った。
寝床と焚き火の準備が一通り整ったところで、周辺の見回りに出ていたトッドたちが帰ってきた。
「どうだった」
「問題ない。魔物除けの魔石も設置完了だ」
ミレナの問いかけに、ガレスが答える。
「魔物の痕跡もあったが、大したやつじゃねぇな」
後ろからトッドが補足する。
「あんたの固有魔法ってホント便利よね。無駄に」
「まぁ俺は万能だからな。どこかの誰かさんみたいな攻撃特化じゃねぇんだよ」
「燃やされたいみたいね」
「お前ら二人はほんとに仲がいいな」
「良くないわよ」
「良くねぇよ」
ガレスの言葉に同時に二人が反応した。
息ぴったり。そう思ったのはユウマだけではなかったらしい。
ガレスとハンナの二人は顔を見合わせ、思わず小さく笑った。そのやり取りに、周囲の空気も和んだ。
夕食を終える頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
焚き火の薪がぱちぱちと爆ぜ、その明かりが野営地をぼんやりと照らしている。
少し離れたところでは、馬が時折鼻を鳴らし、森の奥からは聞いたことのない虫の声が絶えず響いていた。
ユラとユウマは、明日に備え、早めに床に入っていた。
本来は、交代で夜間の見張りを行うところだが、ユウマたちは免除されていた。
自分たちもやると申し出はしたものの、「子供は寝ろ。明日動けなくなった方が迷惑だ」と、ガレスに一蹴されてしまった。
そこまで言われては仕方がない。結局、大人しくその厚意に甘えることになった。
「…………」
横になったユウマは、毛布の中から片手を持ち上げた。
入口から差し込む焚き火の淡い光に照らされた自分の掌を見つめる。そこには傷一つない。
それでも——。
昼間の感触が蘇る。
剣越しに伝わってきた、硬い鱗を砕く手応え。
その奥にある柔らかな肉へ、刃が沈んでいく感触。
ほんの一瞬だったはずなのに、妙にはっきり覚えている。手のひらに、まだそれがこびりついているような気さえした。
「どうしたの」
隣から声がした。顔を向けると、毛布にくるまったユラがこちらを見ている。
「いや……」
ユウマはもう一度、自分の掌を見る。
「今日、初めて魔物を殺した時の嫌な感じがさ。まだ残ってるっていうか」
「そ……」
ユラはそれだけ答えた。
「…………」
「…………」
「いや、もうちょっとこう……ない?」
「何が」
「慰めの言葉とか。『大丈夫だよ』とか『よく頑張ったね』とか」
「……めんどくさい」
「ひどくない?」
即答だった。ユラは再び仰向けになると、薄暗いテントの天井へ視線を戻した。
「やらなきゃ、やられる」
淡々とした声だった。
「そんなこと、いちいち気にしてらんない」
「まあ……そうなんだろうけどさ」
ユラの言うことは正しい。
今日だって、自分が剣を振らなければ、代わりにレッサードレイクの爪が自分を裂いていたかもしれない。頭では分かっている。
それでも、簡単に割り切れるものでもなかった。
「……でも」
しばらくして、ユラがぽつりと呟いた。
「ん?」
「私も、最初は嫌だった」
思わずユラの横顔を見る。いつもと変わらない無表情。けれど、その視線はどこか遠くを見ているようだった。
「……そうなの?」
「うん」
「意外だな」
「失礼」
「いや、だってユラ、今日なんてすごかったじゃん。こう、スパッて。全然躊躇いもなく」
ユウマが手刀で斬るような仕草をしてみせる。ユラは少しだけ眉を寄せた。
「今は慣れただけ」
「慣れるもんなのか」
「慣れないと困るから」
「最初は……」
ユラが自分の手を見つめる。
「何回も手を洗った」
「……え?」
「血なんて、とっくに落ちてるのに。まだついてる気がして」
「…………」
ユウマは思わず、自分の掌へ目を落とした。
それは、今、ユウマが感じているものと、きっと同じだ。
「……じゃあ、分かってんじゃん」
「何が」
「俺の気持ち」
「分かるからって、慰める必要ある?」
「あるだろ普通」
「ない」
「厳しいなぁ……」
苦笑しながら、ユウマは手を下ろした。
何一つ解決したわけではない。手に残る嫌な感触だって消えてはいない。それでも先ほどまで胸の奥にあった重苦しさは、少しだけ軽くなっていた。
自分だけがこんなふうに感じているわけではない。それを知っただけで、随分と心持ちが違った。
「……ありがとな」
「何が」
「いや、別に」
「……そ」
そう言って、ユラはユウマに背を向けた。
そのまま眠るつもりらしい。
「おやすみ」
「…………おやすみ」
返ってきた短い言葉に、ユウマは少しだけ頬を緩めた。
そのまま毛布へ身体を沈め、静かに目を閉じる。
見張りに立つ冒険者たちの小さな話し声と、焚き火が爆ぜる音が聞こえる。時折、吹き抜ける夜風がテントの布をわずかに揺らしている。
明日、ついにダンジョンに足を踏み入れる。
楽しみだけではなくなった。怖さも知った。
それでも——。
少なくとも、一人ではない。そう思うと、明日もきっと大丈夫な気がした。




