第15話 初めての実戦
外へ出た瞬間、獣の甲高い鳴き声が耳を打った。
「ギャアッ! ギャッ!」
「……あれが」
街道の少し先に数匹、それから馬車を取り囲むように、数十匹の生き物が散らばっている。
大きさは大型犬ほど。全身を覆う暗緑色の鱗に、地面を引っ掻く鋭い爪。細長い尾をしならせ、蜥蜴にも似た頭部からぎらついた牙を覗かせている。
竜。そう言われれば、そう見えなくもない。けれど、ユウマが知っているドラゴンと比べれば、随分と小さい。
「レッサードレイク。大した魔物じゃないわ」
いつの間にか隣へ来ていたミレナが、杖を構える。
「群れじゃなければね」
「この数は群れといえるんじゃ……」
周囲を見回しながら、ユウマがつぶやく。
馬車を取り囲んでいた一匹が、低く身を沈める。
次の瞬間。
「ギャッ!」
地面を蹴り、冒険者の一人へ飛びかかった。
速い。
思っていたより、ずっと。
「下がれ!」
聞き覚えのある声が飛ぶ。
ガレスだった。
素早くレッサードレイクと冒険者の間へ割り込み、振るわれた爪を盾で受け止める。甲高い金属音が響いた。
「一匹ずつ片付ける。無理に前へ出るな。ミレナ!」
「言われなくても!」
ミレナが突き出した杖の先端に、赤い光が集まっていく。
「《ファイアボール》!」
放たれた火球が一直線にレッサードレイクへ飛ぶ。だが魔物は横へ跳んだ。外れた。
ユウマがそう思った瞬間——。
「逃がさないわよ」
ミレナが指先を軽く振る。火球の軌道が、不自然なほど鋭く曲がった。
「え?」
避けたはずのレッサードレイクへ、真横から炎が直撃する。
「ギャアアッ!」
火に包まれた身体が地面を転がった。
曲がった?
さっきのは普通の火魔法ではない。そう直感した。
「ぼーっとしない」
「うおっ」
ユラに服を引かれ、身体が後ろへ引っ張られる。直後、先ほどまでユウマが立っていた場所を、小さな影が駆け抜けた。
「…………!」
レッサードレイク。一匹、抜けてきていた。
背中に冷たいものが走る。
今のが当たっていたら——。
「集中して。あと」
ユラが二振りの短剣を抜く。
「私の言うこと、聞いて」
「……はい」
返事が、さっきよりずっと素直に出た。
目の前のユラの背中が、馬車の中にいた時より少し大きく見える。
レッサードレイクが低く唸る。ユラも腰を落とした。
そして。
「ユウマ」
「ん?」
「そこ、動かないで」
「……了解」
次の瞬間、ユラの姿が消えた。
——いや。
消えたように見えただけだ。地面を蹴ったユラの身体が、一気にレッサードレイクとの距離を詰める。
「ギャッ——」
魔物が反応するより早く。銀色の軌跡が、その喉元を走った。
「すげぇ……」
思わず、ユウマの口から声が漏れた。
稽古では何度もユラの速さを見てきた。
レインからも、今の自分ならユラの遊び相手くらいにはなると言われたことがある。だが、やはり、実戦は違う。
踏み込みから斬撃まで、一切の無駄がなかった。
ほんの一瞬。
それだけで、一つの命が失われた。ユウマは息を呑んだ。
「へぇ、やるじゃない」
トッドと背中合わせに立つミレナが、ちらりとユラへ視線を向ける。
「トッド。あんたの代わりに、あの子をうちに入れてもらおうかしら」
「冗談。あれくらい俺だってできるっつーの」
トッドが軽口を返しながら、短剣を構える。次の瞬間、その姿が前へ飛び出した。ユラほどではない。だが、十分に速い。
レッサードレイクもすぐさま反応し、横へ身を翻そうとする。
その瞬間だった。
「ギャッ!?」
前脚が地面へ沈み込む。深くはない。ほんのわずかだ。
だが、動き出そうとした魔物の体勢を崩すには、それだけで十分だった。
「まだまだ経験不足ってとこだな」
トッドがすれ違いざまに短剣を振るう。刃が喉元を走り、レッサードレイクの身体が力なく地面へ倒れた。
どうだ、とでも言いたげにトッドがミレナへ視線を送る。
「かっこつけてんじゃないわよ。——って、後ろ!」
別のレッサードレイクが、死角からトッドへ飛びかかる。鋭い爪が、その背中へ届く寸前。
ゴッ、と鈍い音が響いた。
地面が盛り上がり、低い土壁が二者の間へ割り込む。レッサードレイクが勢いよく壁へ衝突した。
「油断しない」
ハンナが杖を下ろしながら、ぴしゃりと言い放つ。
「いやー、ハンナの姉御。いつも助かります」
「助けてもらう前提で油断しないでください」
「へいへい」
トッドは悪びれた様子もなく肩をすくめると、すぐにミレナの隣まで下がった。軽口を叩きながらも、その足取りに乱れはない。
周囲でも、ガレスの指示をもとに、冒険者たちがそれぞれ魔物を押さえ込み、群れの大半は馬車へ近づくことすらできずにいた。
ユウマは、その一連の動きを目で追っていた。
ユラの速さ。
ミレナの魔法。
トッドの小技。
そして、それを支えるハンナ。
一人ひとりが勝手に戦っているように見えて、誰かが崩れればすぐ別の誰かが穴を埋める。
これが、パーティでの戦闘ってやつなのか。
そんなことを考えた、そのときだった。
「ユウマ!」
ユラの鋭い声が飛ぶ。
「ぐっ!」
ほとんど反射だった。
ユウマは寸前のところで、飛びかかってきたレッサードレイクの爪を剣で受け止める。
キィンッ、と甲高い音が響いた。
「……っ!」
鋭い爪が、剣一枚を隔てただけの目の前に迫っている。
近い。
あと少しでも受けるのが遅れていれば、この爪は自分の身体を引き裂いていた。
——死ぬ。
その二文字が、唐突に頭をよぎった。
これまで暮らしてきた世界では、一度として感じたことのない感覚。
死というものが、今まさに目の前から自分へ手を伸ばしている。
そう意識した瞬間、身体が強張った。
押し返さなければならない。頭では分かっている。
普段なら、この程度の相手など力任せに弾き飛ばせるはずだ。
なのに、力が入らない。
「ちっ、しゃーねーな」
見かねたトッドが動こうとする。
「待って」
それをユラが声で制した。
「まだ、大丈夫」
「ほんとに大丈夫か?」
「ユウマならできる」
ユラはそう言いながらも、二本の短剣を構え、その視界にしっかりとユウマを捉えていた。何かあれば、すぐに飛び込めるように。
「へいへい。しっかり見てやれよ。先輩」
ユラの迷いのない言葉に、トッドも引き下がった。
「ギャッ!」
レッサードレイクが後方へ跳ぶ。そして間を置かず、再び地面を蹴った。
キンッ!
また受ける。
攻撃しなければ。分かっているのに、剣を前へ振るうことができない。
防ぐ。下がる。また防ぐ。完全に相手の動きに呑まれていた。
怖い。
その感情が、身体の奥にこびりついて離れない。
周りはどうなっている。
ほかのレッサードレイクは。
みんなは無事なのか。
そんな考えまで次々と頭へ浮かんでくる。だが、確かめる余裕などなかった。
目の前の一匹から視線を外した瞬間、自分がやられる。剣を握る手に、じっとりと汗が滲む。
「ユウマ!」
ユラの声が響いた。
「もしもの時は、絶対に助ける」
思わず、視線だけをそちらへ向ける。ユラは真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「だから、大丈夫」
いつもは無愛想なくせに。こういう時だけは、妙に頼もしいことを言う。
「……そっか」
思わず、小さく息が漏れた。
怖くなくなったわけではない。目の前には、自分を殺そうとしている魔物がいる。剥き出しの牙も、地面を削る爪も、さっきまでと何一つ変わっていない。
それでも、ユラがいる。そう思うと、自然と口元が緩んだ。
「ギャアッ!」
再び、レッサードレイクが地面を蹴る。
来る。
今度は、その姿をしっかり目で追えた。正面から飛び込んでくる魔物に対し、ユウマは剣を構える。
また受ける——そう考えかけて、やめた。
レインやユラとの稽古が頭をよぎる。
ただ攻撃を受け続けているだけでは、いつまで経っても勝てない。
「……っ!」
爪が迫る。
怖い。
それでも、
——レインやユラのほうが早かったし、力強かった。
相手の動きをしっかり見る。そしてユウマは半歩、身体を横へずらした。頬のすぐ脇を鋭い爪が通り抜けた。
「今だ……!」
すれ違いざまに、剣を振るう。
狙ったのは胴だった。
刃が鱗に食い込む。
「硬っ……!」
想像していたほど簡単には斬れない。
それでも、ユウマはそのまま腕に力を込めた。
「くっ……うおおおっ!」
次の瞬間。
バキッ、と乾いた音が響いた。
鱗が砕け、その奥へ刃が一気に沈み込む。
「ギャアァッ!」
刃がそのまま胴を斬り抜け、レッサードレイクの身体が真っ二つに断たれた。
勢いのまま地面へ転がった二つの身体が、やがて動かなくなる。
「…………」
ユウマは剣を振り抜いた姿勢のまま固まった。
剣身には、赤い血が付いている。自分がやった。
さっきまで動いていた生き物を、自分の手で殺した。
勝った。
そのはずなのに、喜びより先に胸の奥へ重いものが落ちてくる。
「……ユウマ」
声に振り返る。ユラがこちらを見ていた。
何を言われるのか分からず、ユウマは無意識に剣を握り直す。するとユラは、倒れたレッサードレイクを一度見たあと、小さく頷いた。
「……できたね」
たったそれだけだった。けれど、その一言でようやく、自分がちゃんと生きて立っていることの実感が湧いてくる。
「……ああ」
まだ心臓はうるさい。
手だって微かに震えている。
それでも先ほどまでとは違う。
「できた……な」
ユウマは改めて倒れた魔物を見る。
怖かった。今だって怖い。手には肉を断つ嫌な感覚もまだ残っている。
けれど——戦えないわけじゃなかった。
「おいおい」
少し離れたところから、トッドの声がする。振り向くと、呆れたような顔でこちらを見ていた。
「魔薄ってのは聞いてたけどよ。今の、力任せに鱗ごとぶった斬ったのか?」
「……え?」
言われて初めて、ユウマは自分が斬った傷口を見る。レッサードレイクの硬そうな鱗が、何枚もまとめて砕けていた。
「お前、まだ十二にもなってねぇんだろ?」
トッドの顔から、いつもの軽薄な笑みが少しだけ消える。
「いくら魔薄でも、普通じゃねぇぞ、それ」
「……そうなんですか?」
「そうなんですか、じゃねぇよ」
トッドが呆れたように頭を掻く。
「技術はまだまだ」
横から、ユラの淡々とした声が飛んできた。
「ギリギリ、及第点……」
「厳しくないですか、ユラ先生」
ユウマが抗議すると、ユラはぷいと顔を背ける。
けれど、その直前、ほんの一瞬だけ。
「……今、笑った?」
「笑ってない」
「いや、絶対——」
「笑ってない」
顔を背けたまま、ユラが言い切った。
見間違いだったのかもしれない。
それでもなぜか、その一瞬の表情だけは妙に印象に残った。胸の奥に居座っていた恐怖も、いつの間にか少しだけ遠のいていた。
「話し込んでる場合じゃないわよ!」
ミレナの声が飛ぶ。ユウマが慌てて前を向く。まだ戦いは終わっていない。
残ったレッサードレイクたちが、牙を剥きながらこちらを睨んでいる。
「……よし」
怖い。それでも——もう、足は動く。
ユウマは剣を握り直した。今度は、先ほどよりもしっかりと。




