第13話 赤銅の剣
ユウマとユラはギルドの前に来ていた。まだ日も昇りきらない早朝だというのに、ギルドにはそれなりの人の出入りがあった。
「今回の依頼に参加する人たちかな……」
「多分そう……」
それだけ呟くと、ユラはギルドの方に歩き出す。慌ててユウマもユラの隣に並ぶ。チラチラと周囲に視線をやっているユウマに対して、ユラはいつもと変わらない。
こういうところを見ると、やはりユラは自分よりずっと冒険者らしい。年齢だけなら大して変わらないはずなのに、仕事に関しては経験の差が嫌でも見えてしまう。
ギルドの扉の前まで来ると、ユラがゆっくりと扉を開けた。
中にはすでに、今回の依頼に参加すると思しき冒険者たちが集まっていた。見渡した限り、ユウマとユラほど若い参加者はいない。ほかは皆、二人よりずっと年上の冒険者ばかりだった。
それに、いつもより、冒険者たちの顔つきが硬い。軽口を叩く者も少なく、ギルド内には妙な緊張感が漂っていた。
「…………」
昨日までは正直、楽しみの方が勝っていた。これまで受けてきたのは、薬草の採取や配達依頼など、ありふれたものばかりだった。
そんな中での初めてのダンジョン。ゲームや物語の中でしか知らなかった場所へ、自分が実際に足を踏み入れる。そう考えるだけで胸が躍った。
だが、そんな冒険者たちを目にするうちに、高揚感はすっかり鳴りを潜めていた。今はただ、場違いな場所へ足を踏み入れてしまったような不安だけが残っている。
ユウマは不安を紛らわせるように、腰の剣へそっと手を添えた。レインから借りた、本物の剣だ。今回の依頼に備え、レインやユラから真剣を使った戦い方も教わっていた。
初めて握った時は、木刀とは違う冷たい硬さが妙に生々しく感じられたものだ。だが今は、腰元にあるその重みが、わずかな安心を与えてくれていた。
「調子はどうですか。ユラちゃんに、ユウマくん」
ふいにかけられた声に振り返る。見慣れた黒髪と、眼鏡の奥の穏やかな瞳。その姿を見ただけで、張っていた肩から少し力が抜けた。
「さすがに緊張してます。リシェルさん」
「そうだよね。なんといっても初めてのダンジョンなんだから」
リシェルは安心させるように優しく微笑んだ。
「大丈夫よ。今回は攻略じゃなくて素材の回収だから、そこまでの危険はないはずよ。それに——」
リシェルの視線がユラへ向く。
「ユラちゃんもいるしね」
リシェルの言葉に、ユラがこくりと頷く。
「そうですね。心強いです」
素直にそう口にする。ユラは特に反応を見せなかった。
いつもどおりの、少し眠たげな横顔。けれど、その顔を見ていると不思議と先ほどまでの緊張が少し和らいだ。
何週間か一緒に過ごしてきて、ユラが自分よりずっと戦えることは嫌というほど分かっている。少なくとも、隣に彼女がいる。それだけで、一人で知らない場所へ放り込まれるよりは何倍も心強かった。
「カンッ!カンッ!カンッ!」
リシェルとの会話をしていると、急に甲高い音がギルド内に響いた。その音を境に、ギルド内の喧騒がすっと収まった。そして、
「これからダンジョンの素材回収について説明を始める。依頼を受けた者はこちらに集まってくれ」
よく通る低い声が響く。数人の冒険者たちが一斉に声の主へと集まり始めた。
「じゃあ、二人とも頑張ってね」
リシェルが二人へ視線を向ける。そして、少しだけ悪戯っぽく目を細めた。
「ユウマくんは、ちゃんとユラちゃんの言うことを守るんだよ?」
「もちろんです」
「……約束覚えててよかった」
「疑ってたのかよ」
「普段の行い……」
「そんな悪いか、俺」
返事はなかった。少しくらい否定してくれてもいいのではないだろうか。
「ふふっ。仲が良さそうで安心したわ」
「本当にそう見えました……?」
リシェルとの会話をもう少し続けたいという気持ちはあったが、周囲の人間はすでに集まり始めている。ユウマは気持ちを切り替え、ユラとともにその輪へと向かった。
説明の中心に立っていたのは、三十歳ほどの男だった。
ほかの冒険者と比べても、特別大柄というわけではない。身につけているのも使い込まれた革鎧に、腰へ下げた長剣。そして左手には、大きな盾を携えている。どれも実用一辺倒で、目を引くような派手さはなかった。
それでも、男が口を開くと、周囲の冒険者たちは自然と耳を傾けた。
「今回の依頼の取りまとめを任されている、《赤銅の剣》のガレス・ローデンだ」
ガレス・ローデン。
今回向かうダンジョンを攻略したパーティ、赤銅の剣のリーダーだ。
その後ろには三人の冒険者が立っている。
勝ち気そうな目をした、二十代半ばほどの魔法使い、ミレナ・ヴァルカ。
その隣には、身軽そうな装備に二本の短剣を提げた男、トッド・ベルク。
そして最後に、穏やかな雰囲気をまとった女性、ハンナ・フェルナー。
四人とも、見るからに強者という雰囲気ではない。だが、使い込まれた装備や、周囲の冒険者たちの反応を見るだけでも分かる。長くこの仕事を続け、相応の信頼を積み重ねてきた者たちなのだろう。
「まず一つ、勘違いしないでほしい」
ガレスが集まった冒険者たちを見回す。
「攻略済みだからといって、完全に安全になったわけじゃない」
ざわつく者はいない。皆、その程度のことは承知しているのだろう。ユウマだけが、わずかに背筋を伸ばした。
「俺たちが最奥の主を討伐した。確認できた範囲の魔物も片付けてある。だが、見落とした個体がいないとは言い切れない」
ガレスは淡々と言葉を続ける。
「崩落の危険がある場所も残ってる。罠も全部潰せた保証はない」
一度言葉を切る。
「油断はするな」
声を荒げたわけではない。それでも妙に重く響いた。
「魔物の残党を見つけても一人で追うな。物音がしても勝手に確認しに行くな。必ず近くの者と行動を共にしろ」
ユウマは無意識に頷いていた。
横を見ると、ユラはいつもどおり静かにガレスを見ている。おそらく彼女にとっては、今さら説明されるまでもないことなのだろう。
その後もいくつか注意事項が続き、やがて一通りの説明が終わった。
「——以上だ。出発まで少し時間を取る。各自、準備を済ませておいてくれ」
ガレスの言葉を合図に、集まっていた冒険者たちがそれぞれ動き始める。
ユウマたちも荷物を確認しようとした、そのときだった。
「ユラ。それから、ユウマだったな」
呼び止められ、二人揃って振り返る。
「お前たち二人には、少し確認しておきたいことがある」
「ユラについては、よく話は耳にしている。回収の仕事自体も何度か経験してるらしいな」
「……大体、わかってる」
「ならいつも通りやってくれればいい」
短く頷くユラに、ガレスもそれ以上は何も言わなかった。続いて、その視線がユウマへ移る。
今度は少し長い。顔から腰の剣、足元へと視線が下がり、また顔へ戻ってくる。
自分だけ明らかに扱いが違う。まあ、当然か。ユラと違って、ユウマには実績と呼べるものがほとんどない。
「お前は今回が初めてだそうだな」
「はい」
「剣は?」
「一応、習ってます」
「一応、か」
ガレスがわずかに眉を上げた。ユウマ自身、言ってから少し頼りない答えだったと思った。
「まあいい。今回、お前に求めてるのは魔物を倒すことじゃない」
ガレスは腰の剣へ軽く手を乗せる。
「俺たちの指示を聞いて、素材を運んで、無事に帰る。それだけだ」
「……はい」
「冒険者はな」
そこで初めて、ガレスの口元がほんの少しだけ緩んだ。
「魔物を何匹倒したかより、ちゃんと帰ってきたかの方が大事だ」
勇敢に戦えとも、活躍してみせろとも言わない。ただ、生きて帰ってこい。そう言った。
ユウマが勝手に思い描いていた冒険者とは、随分違った。もっと荒っぽく、危険を楽しみ、無茶を武勇伝にするような連中を想像していたのだ。
けれど、目の前の男は違う。
派手さはなくとも、口にする言葉の一つ一つが地に足のついたものだった。
「分かりました」
今度は先ほどよりも、はっきりと答えた。
ガレスは一度だけ頷く。
「それと、お前たちには、俺たち赤銅の剣と一緒に動いてもらう」
「え」
その隣にいたミレナが、わずかに目を見開いた。
「ちょっと待って。私、お守り役なんて御免なんだけど」
「まあ、そう言うな」
「でも——」
「初めての奴を、慣れてる連中の中に入れるのは当たり前だろ」
ガレスにそう言われ、ミレナは口をつぐむ。
納得したわけではないらしい。
不満げに唇を尖らせたまま、今度はユウマたちへ向き直った。
「…………」
ユラが無言でぺこりと頭を下げる。それに続いて、ユウマも慌てて頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
「……ふーん」
ミレナの視線がまずユラへ向く。
次いでユウマ。
顔を見たあと、腰の剣へ視線を落とし、もう一度顔へ戻ってくる。
「片方はそれなりに慣れてそうだけど……もう片方は、本当にただの子供ね」
少し言い方に棘はあるが、ミレナの言うことは何も間違ってはいない。
ここは妙な意地を張るより、大人しく頭を下げる方が賢明だろう。
「まだ経験もありませんので、ご迷惑をかけないよう努めます。よろしくお願いします」
「…………」
妙にかしこまった返答が予想外だったのか、ミレナが何とも言えない顔でユウマを見つめる。
「案外、中身だけならお前より大人なんじゃねぇか?」
横からトッドが口を挟んだ。
「は?」
ミレナの眉がぴくりと動く。
「トッド。私がこんなお子様以下って言いたいわけ?」
「そこまでは言ってねぇよ」
「今の顔は言ってた」
「気のせいだ」
「燃やすわよ」
「おー、こわ」
「朝からやめなさい」
ハンナが呆れたように二人を窘める。トッドは肩をすくめ、ミレナはなおも不満そうにトッドを睨んでいる。
そのやり取りを眺めているうちに、ユウマの肩からも少しだけ力が抜けた。
やはり、この《赤銅の剣》の面々は、いい意味でユウマが想像していた冒険者像とは違っている。荒くれ者の集まりというより、気心の知れた仲間同士。
遠慮なく言い合えるその雰囲気は、どこかアイリやレイン、ユラたちを見ているときに感じるものと似ていた。
「——よし。その辺にしておけ」
ガレスの一言で、緩んでいた空気が少しだけ引き締まる。
「そろそろ出るぞ。裏に馬車を回してある。準備ができた奴から乗り込んでくれ」
さっきまでトッドと言い合っていたミレナが、すぐに杖を握り直す。
トッドも腰回りの道具を確認し、ハンナは背負った鞄の留め具へ手を伸ばした。
つい数秒前までの軽い空気が嘘のようだった。
その切り替わりの早さを見て、ユウマも自然と腰の剣へ手を添える。
——いよいよだ。
これから自分も、彼らと一緒にダンジョンへ向かう。
胸の奥に残っていた不安が、再びわずかに顔を覗かせる。
けれど、不思議と足が竦むことはなかった。
小さく息を吸い、ユウマはギルドの出口へと歩き出した。




