第11話 朝稽古
誰かに起こされるでもなく、ユウマは自然と目を覚ました。
窓から見える空には、まだ夜の色が残っていたが、徐々に淡い青へと変わりつつあった。
「もう朝か」
ユウマはもう一度、枕へ顔を沈めた。
まだ眠気は残っているが、耐えられないほどじゃない。むしろ、まどろみの残る感覚がどこか心地よかった。
「よしっ」
小さく呟き、今度こそ身体を起こす。
ベッドに腰掛け、足元に置いてあった靴を履いた。室内で靴を履くことには最初こそ違和感があったが、こちらで数週間も暮らせば、それもすっかり当たり前になっている。
部屋の中には、まだほとんど家具がない。数日前、エリアスの計らいで、物置として使われていた一室を自室としてあてがってもらったからだ。
それでも、自分のために用意された場所がある。そのことが、ユウマには嬉しかった。
「悪くないぜ」
姿見の前で、少し気取って言ってみる。が、まるで様にならない。鏡に映っているのは、どう見ても十歳そこそこのクソガキなのだから当然といえば当然だった。
まあ、今は仕方ない。このまま成長すれば、それなりに好青年ど真ん中になることは知っている。それまでの辛抱だ。
そしていつか、超絶美女と結婚する。絶対に。
そんなくだらない決意を胸に、ユウマは朝の支度を済ませた。
ご存知の通り、ユウマには朝のルーティンがある。
散歩をして、家に戻り、身支度を整えて会社へ向かう。それが以前までの朝だった。
こちらの世界へ来てからも、早起きと散歩だけは変わっていない。けれど、一つ変わった点がある。
向かう先は、アイリと初めて出会った家の近くにある開けた場所。そこにはすでに先客がいた。
「やっと来たな」
「ごめん。待った?」
「別に待っちゃいねぇよ」
そう言うなり、レインが木刀を構える。ユウマも持ってきた木刀を両手で握り、向かい合った。
「だいぶ様になってきたな」
「そろそろレインに追いつくかもよ」
「俺から一本も取れねぇくせに、何言ってんだお前」
レインが呆れたように肩をすくめる。次の瞬間、その身体が一気に間合いへ飛び込んできた。
木刀同士が乾いた音を立ててぶつかる。
一撃。続けざまに二撃、三撃。
右から、左から、時には鋭く突き込むように。次々と繰り出される攻撃を、ユウマは木刀を滑り込ませて受け止めていく。
「守りはだいぶマシになったな」
「そりゃどうも」
次の一撃を受け止めた瞬間、ユウマは両腕に力を込めた。
「っ——!」
力任せに木刀を押し返す。
レインの身体が弾かれ、数歩後ろへ下がった。
今度はこっちの番だ。
ユウマは地面を蹴る。上段から振り下ろし、返す刃で横薙ぎ。さらに踏み込み、斜め下から木刀を跳ね上げる。
教わった動きを思い出しながら、できる限り速く、鋭く。
だが——。
カンッ、カンッ、と軽い音が続く。
レインはほとんどその場からほとんど動くことなく、すべての攻撃を涼しい顔でいなしていた。
「攻めは……まだまだだな」
「ぐっ——!」
言葉と同時に、レインの足がユウマのみぞおちへ突き刺さった。
身体が宙へ浮く。そのまま後方へ吹き飛ばされながらも、ユウマは空中で身体を捻り、どうにか足から地面へ着地した。
顔を上げる。その目はしっかりとレインを捉えていた。
「受け身はまあ、及第点だな」
「手厳しいね」
ユウマが苦笑しながら木刀を構え直す。
レインもまた、当然のように構えを取った。薄明るくなり始めた空の下、二人の朝稽古はまだ続く。
◇
「そろそろ、ユウマも一本くらい取れたんじゃない?」
いつの間にやって来たのか、アイリがそんな言葉を投げかけてきた。
「そう見えるか?」
地面に大の字で倒れ込んだまま、ユウマは答えた。
「全然?」
なら聞くなよ。じとっとした視線を向けるが、アイリはどこ吹く風だ。すると、その後ろにいたユラが無言で一歩前へ出た。
「……次、私」
それだけ告げると、ユラは当然のようにレインと入れ替わる。
「レイン。木刀貸して」
「お前、そろそろ自分のを持ってこいよ」
「必要ない」
「ったく……」
レインはやれやれと頭を掻き、持っていた木刀を軽く放った。
ユラは片手でそれを受け取ると、そのまま流れるように逆手に持ち替える。
短剣を使う時と同じ構えなのだろう。
木刀では少し不格好にも見えるが、本人はまったく気にしていない。
「ユラも少しは手加減してあげなさいよ」
アイリの言葉にも、ユラは答えない。
「ちょっと休憩してもいいですか……?」
「…………」
「聞いてる?」
返事はなかった。どうやらやるしかないらしい。
ユウマは重い身体を起こし、もう一度木刀を構えた。
「お手柔らかにお願い——」
最後まで言わせてもらえなかった。ユラが地面を蹴る。
ユラとレインでは、戦い方がまるで違う。レインが基礎のしっかりした堅実な剣士だとすれば、ユラはスピードを武器に急所へ鋭い一撃を叩き込む、アサシンといったところだろう。
徐々に速度を上げているのではない。最初の一歩を踏み出した時点で、すでに最高速に達している。そんな異様な踏み込みを、ユラは見せる。
いつもなら、反応する間もなくやられるところだ。
だが——。
ガンッ!
鋭い一撃にぎりぎりで反応し、ユウマは真正面からユラの攻撃を受け止めた。
「……ん」
ユラの目が、ほんのわずかに見開かれる。いつもなら、今ので終わっていた。
だが、その驚きも一瞬だった。すぐに眠たげな目が細まり、眉が寄る。
「なんで不満そうなんだよ」
返事の代わりに、ユラが地面を蹴った。そして一気に後方へ距離を取り、そのまま間を置かずに再び踏み込んでくる。
——また正面、いや左だ!
狙いを読んだユウマが、木刀を差し込む。
間に合う。
そう思った、その瞬間だった。ユラの身体が、もう一段前へ跳ねた。
「なっ——」
踏み込みが突然加速する。
それに伴い、振るわれた木刀まで一気に鋭さを増した。さっきまでなら間に合っていたはずの防御より早く、ユラが懐へ滑り込んでくる。次の瞬間、脇腹に強烈な衝撃が走った。
「ぐっ——!」
ユウマの身体が横へ吹き飛んだ。そのままユウマの身体は投げ出されるように地面へ転がった。
「……全然まだまだ」
「ってぇ……」
脇腹を押さえながら身体を起こす。
「でもユラ、今の……いつもと違わなかったか?」
ユウマの問いには答えず、ユラはぷいっと踵を返した。
「あれはユラの固有魔法《追い風》だ」
「テイルウィンド?」
「ああ。自分が動こうとしてる方向に、一瞬だけ力を上乗せする。あいつの固有魔法だ」
「なるほど……」
だから、あの瞬間だけ突然速度が跳ね上がったのか。
「まあ、それをお前相手に使ったってことは——」
レインがユラの背中へちらりと視線を向ける。
「少なくとも、遊び相手くらいには認めてもらえたんじゃねぇか?」
そう言いながら、レインが手を差し出してくる。
「それは……よかった」
そう言ってユウマは、レインの手をとる。
魔力測定をした日。あの日の模擬戦を境に、ユラから向けられる感情が少し変わった気がしていた。警戒心がなくなったわけではない。ただ、そこに妙な対抗心まで混じるようになったのだ。
絶対に負けたくない。そんな意地のようなものを、時折ユラの視線から感じる。
とはいえ、今のところユウマはユラにまったく歯が立っていない。警戒され、おまけに対抗心まで燃やされている。残念ながら、仲良くなれたと言える日はまだまだ遠そうだった。
「そろそろ帰りましょ。エリアスが朝ごはんを用意してくれてるわ」
そう言うと、アイリはすでにユラと一緒に歩き出していた。
「レインも来るだろ?」
ユウマは隣のレインに尋ねる。
レインはユラから返された木刀を肩に担ぎ、しばらく宙に視線を泳がせた。
「まあ、今日は眠気覚ましくらいにはなったし、これくらいでいいだろ」
「どういう意味だよ」
ユウマが口を尖らせる。
「悪くはねぇってことだよ。……良くもねぇけど」
「最後の一言は余計だろ」
レインはわざとらしく肩をすくめ、そのまま歩き出した。
ユウマもその横に並び、二人で教会への帰路についた。




