第10話 腕試し
「で、何すればいいんだよ」
渡された木刀を肩に担ぎ、気だるげにレインは尋ねる。
仕事を終えたばかりのところを、突然、連行されてきたレインは、面倒そうな態度を隠そうともしていない。
「ユウマの相手をしてあげて。ただし、魔法は禁止よ」
「なんで俺が、そんなことしないといけねぇんだよ」
「昨日の借り、返してもらってないけど」
それを聞くと、レインは観念したように大きなため息を漏らした。
「仕事終わりにすみません」
ユウマが申し訳なさそうに頭を下げると、レインは小さく舌打ちをした。
「別に、お前が謝ることじゃねぇよ」
ぶっきらぼうにそう言うと、レインは肩に担いでいた木刀を下ろす。
足を肩幅ほどに開き、木刀を身体の前へ。力んでいるようには見えない。むしろ、あまりにも自然だった。
剣術に詳しくないユウマには、それが正しい構えなのかどうかさえ分からない。それでも、不用意に近づいてはいけない。そんな感覚だけが伝わってきた。
昨日とは全然違う。
ただ木刀を構えただけ。それなのに、目の前にいるレインが一回り大きくなったようにさえ感じる。
ごくりと喉を鳴らす。どう構えればいいのか分からず、とりあえず両手で木刀を握り、正面に向ける。
「……それでいいのか?」
「あいにく、剣を持つのはこれが初めてだからな。見よう見まねだよ」
「マジかよ……」
呆れたようにレインが眉を寄せる。
「お手柔らかに頼む」
「剣を初めて持つやつ相手に本気なんて出さねぇよ」
そう返すレインの声は相変わらず気だるげだったが、その視線だけは真っ直ぐユウマへ向けられていた。
少し離れたところでは、アイリが二人を見比べながら片手を上げている。その隣にはユラもいて、いつもの無表情のままこちらを見つめていた。
二人は、アイリの合図を待っていた。
どうしてこんなことになったのか。話は、少し前にさかのぼる。
真っ先にユウマへ声をかけたのは、アイリだった。
「ユウマ。あなた、魔力がないわ……」
「ですよね」
「知ってたのね。だからさっきあんなに……」
先ほどのユウマの様子を思い出したのか、アイリが納得したように頷く。
「…………」
ユラは何も言わず、静かにこちらを見つめている。
「ユウマ君、君は一体……」
リシェルは困惑を隠しきれずにいた。
魔力がないこと自体は、ユミルから聞いていた。そのためユウマとしても、こうなることはある程度覚悟していた。
てっきり「才能がない」とでも言われるものだと思っていたのだが、三人の反応は失望というより、明らかに驚きの方が大きい。
このまま黙っていても仕方がない。ユウマが口を開く。
「あの……冒険者にはなれないですよね?」
「いえ。記録用の魔道具は正常に作動していますから、登録自体は可能だと思います。ただ……」
そこまで言うと、リシェルはユウマと目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「な、なんでしょうか」
不意にその顔を寄せられ、心臓がどくりと跳ねた。
別に好きだとか、そういうわけじゃない。ただ、これだけ整った顔が間近にあれば、嫌でも意識してしまう。
リシェルは右手で自分の前髪をかき上げ、額を露わにする。すると今度は、左手でユウマの前髪もかき上げた。
そして、そのままぴたりと額同士を合わせ、目を閉じる。
「——っ!」
突然の出来事に、ユウマは言葉を失った。
恋愛漫画なんかである体調の悪いヒロインと額を合わせて熱を確かめる、そんな王道の場面が頭に浮かぶ。まさか自分が、そんなワンシーンを体験することになるとは思ってもみなかった。
というか近い。
体温を確認しているわけではないだろうが、まさか頭の中を読まれていたりしないだろうか。どうすればいいか分からないし、あと、なんかすごくいい匂いがする。
数秒ほどそうしていただろうか。やがてリシェルが目を開け、ゆっくりと額を離した。その間ずっと身体をカチコチに強張らせていたユウマは、緊張の糸が切れたように力が抜け、その場に尻もちをついた。
「やっぱり……魔力を感じない。魔道具の故障ではないみたい」
どうやら直接、魔力の有無を確かめていたらしい。
それにしても、心臓に悪い確認方法だった。
「そんなに珍しいんですか? 魔力がないって」
床に座ったまま尋ねる。
「珍しい、という言葉で済ませていいのかどうか……」
リシェルは困ったように頬へ手を添えた。
「魔力量が少ない人はいます。それこそユラちゃんのような場合もあります」
リシェルはユラのほうに目を向けた。ユラはこくりと頷く。
「でも——」
そう言ってリシェルはもう一度、ユウマに目線を戻す。
「それでも魔力そのものが存在しないわけではありません」
「じゃあ俺は?」
「少ないんじゃありません」
一拍置いて、リシェルが告げる。
「本当に、ないんです」
「…………」
改めて言われると、なかなかに残酷だった。
「なんか才能なしって言われた気分なんですけど」
「そ、そういう意味ではありませんよ」
慌てて否定するリシェルとは対照的に、横からアイリが口を挟む。
「でも変ね」
「何が?」
「だってユウマ、私が召喚したんでしょ?」
その言葉を聞いた瞬間、リシェルの動きが止まった。
「……召喚?」
「ええ」
何でもないことのようにアイリが頷く。
しかし、リシェルの表情は先ほど以上に険しくなっていた。
「アイリちゃんが……ユウマ君を?」
「そうよ。《召喚》の練習をしてて、成功したらユウマが現れたの」
「…………」
リシェルはしばらくアイリの顔を見つめたあと、今度はユウマへ視線を移す。
「ユウマ君。あなたは、どこから来たんですか?」
「それが俺にもよく分からないんですけど……少なくとも、ここじゃないです。あと、俺がいたところには魔法はありませんでした」
リシェルの眉がわずかに寄る。
「魔法が、ない……」
「はい」
「じゃあ、やっぱり異世界から召喚したのね!」
なぜか得意げに胸を張るアイリ。
だが、リシェルの反応はそれとは正反対だった。
「……それは、少し考えにくいですね」
「なんでよ」
アイリが不満そうに眉をひそめる。
リシェルは、ずれた眼鏡を指先で押し上げると静かに説明を始めた。
「まず、固有魔法《召喚》の中でも、異世界から人を呼び寄せるほどの力を持つものは、レイヴス王家に受け継がれてきたものです。少なくとも、王家の血を引かない者に発現したという記録はありません」
「それはそうだけど……」
リシェルの説明にアイリは不満げに眉をひそめるものの、反論はできないらしく、渋々頷いた。
「第二に、異世界から人を呼び寄せる《召喚》は何度か行われていますが、過去に召喚された者はいずれも、非常に高い魔力や優れた魔法の才能を持っていたとされています」
リシェルの視線が、もう一度ユウマへ向く。
「ですが、ユウマ君には魔力そのものがない」
「つまり?」
「少なくとも、記録に残っている異世界からの《召喚》とは、あまりにも違いすぎます」
「…………」
ユウマはなんとも言えない顔になる。
「異世界人としても落第ってことですか?」
「だから、そういう意味ではありません」
リシェルが困ったように笑う。その横で、アイリだけは納得がいかないのか頬を膨らませていた。
「でも……私が呼んだのは本当よ」
「……うん」
それまで黙っていたユラが小さく頷く。
「私も、アイリが嘘をついてるとは思わない」
「ユラ……!」
味方を得たアイリの顔がぱっと明るくなる。
「ただ」
ユラが視線をユウマのほうへ向ける。
「異世界から来たすごい魔法使いには、全然見えない」
容赦がない。
「……どっちかというと、力だけ強そう」
「ちょっとバカにしてない?」
ユラは小さく首を傾げるだけだった。そのやり取りを見て、アイリの瞳がふいに輝く。
こういう場合は大体、突拍子のないことをアイリは言い出す。まだ知り合って二日だが、なんとなく分かる。
「それよ!」
「何がだよ」
「きっとユウマは、ユラと同じタイプなんだわ!」
「前例がないことなので、断言はできませんが……そうなのかもしれません」
リシェルも顎に手を添え、改めてユウマを見つめる。
もちろん、当の本人であるユウマには何のことだか分からなかった。
そんなユウマの顔を見て、アイリがわざとらしくコホンと咳払いをした。
「いい? 魔法を使うには、当然魔力が必要よ。基本的には魔力量が多いほど、魔法の出力や使える回数の面で有利になるわ」
まぁ言いたいことは分かる。某クエストでもMPは、レベルと一緒に上昇していくし、マダンテは、MPが高いほど威力が上がっていたはずだ。
「でも、その逆もあるの」
「逆?」
「魔力が少ない人ほど、身体そのものが強くなる傾向があるのよ。中でも極端に魔力量が少ない人は、普通の人よりずっと高い身体能力を持っていることがあるわ」
「なるほど……」
そこまで聞いて、ようやくアイリの言いたいことが分かった。
そしてアイリも、待ってましたとばかりに人差し指をユウマへ向ける。
「つまり! 魔力がまったくないユウマは、とんでもないバカ力かもしれないってことよ!」
「魔法のある世界に来て、魔力ゼロの脳筋なのかよ……」
視界の端で、ユラがぷいっと背を向けた。よく見ると、肩が小さく震えている。
「……おい。笑ってるだろ」
「……笑ってない」
「嘘つけ」
どうやら少なくとも、ユラにはウケたらしい。
「それじゃあ、早速、力試しといきましょうか」
アイリが腰に手を当て、得意げに宣言する。
「あんまりいい予感がしないんだよな」
「あら。昨日あなたに服を渡して、宿まで提供したのは誰なのかしら」
「ぜひ。やらせていただきます。アイリさん」
即答だった。
それを持ち出されては、もはや断る余地などない。ユウマは内心でため息をつきながら、できる限り元気よく返事をした。
そんな二人の様子を見ながら、リシェルだけは浮かない表情をしていた。
「どうしたの?」
それに気づいたユラが声をかける。
「ううん。なんでもないよ」
不思議そうにこちらを見上げるユラへ笑顔を返し、リシェルは再び手元の羊皮紙へ視線を落とした。
いくつもの空白が並ぶ測定結果。その中で、ただ一か所だけ、はっきりと文字が記されている。
【固有魔法】 【無】。
リシェルはその文字をしばらく見つめたあと、わずかに眉を寄せた。
「……無、ですか」
その小さな呟きは、ギルドの喧騒に紛れ、誰の耳にも届かなかった。
◇
「それじゃあ、始めるわよ!」
アイリの声に、ユウマは意識を目の前へ戻した。
正面には、木刀を構えたレインが立っている。
ユウマは木刀を握り直し、改めてレインを見据えた。
「始め!」
アイリが勢いよく手を振り下ろす。それとほぼ同時だった。レインが地面を蹴る。
——速ッ!
そう思った時には、すでに目の前まで距離を詰められていた。身体を低く沈めたレインが、踏み込みの勢いそのままに木刀を横薙ぎに振るう。狙いはユウマの左脇腹。
考えている暇などなかった。
ユウマの身体が反射的に動く。足を引き、上半身を捻りながら木刀を割り込ませた。
ガンッ!
乾いた音が響き、二本の木刀が正面からぶつかる。
「へぇ」
レインがわずかに目を見開いた。
「やるじゃねぇか。今ので終わりだと思ったぜ」
「……俺も驚いてるよ」
強がりでもなんでもない。
剣なんて今日初めて握ったはずなのに、身体が勝手に動いた。レインの一撃もしっかり見えていたし、受け止めた腕にも思ったほどの衝撃はない。
そして何より……これなら、押し返せる?
ユウマは木刀を握る両手に力を込めた。ただ、押し返そうとしただけだった。なのに。
「うおっ!?」
そこまで力を込めたつもりはなかった。だが、木刀が弾けるように離れ、レインの身体まで一緒に押し飛ばされる。
そのままレインは、靴底を地面に擦りながら数歩後退した。
「……え?」
弾き飛ばされたレイン以上に、ユウマ自身が目を丸くしていた。
「お前……」
レインが自分の木刀とユウマを交互に見る。
「ユラと同じタイプか……」
驚いている。それでも、その口元にはいつの間にかわずかな笑みが浮かんでいた。
「面白ぇ」
レインが腰を落とす。
今度は、木刀を身体の後ろへ引き、切っ先を背後へ流す。先ほどまでの自然体な構えとは明らかに違う。
空気が変わった。ユウマも思わず、木刀を強く握り直す。
「ふぅ——」
レインが細く息を吐いた。次の瞬間、その姿がぶれる。
「——ッ!」
先ほどより速い。
でも——見える。
不思議な感覚だった。
自分でも信じられないほど、レインの動きがはっきりと目で追える。
再び狙われたのは腹部。さっきと同じだ。
ユウマは先ほどと同じように木刀を差し込んだ。
ガッ。
木刀同士が触れる。だが。
「え?」
手応えがない。受け止めたはずのレインの木刀が、ユウマの木刀に沿うように滑った。
真正面からぶつかることなく刃筋をずらし、ユウマの力をするりと外へ逃がしていく。気づいた時には、レインの身体がすぐ目の前まで入り込んでいた。
——やばい。
木刀が翻る。横薙ぎから流れるように軌道を変え、そのままユウマの頭上へ振り下ろされる。避けられない。
ユウマは咄嗟に左腕を上げて頭を庇い、反射的に目を閉じた。直後。
バキッ。
硬いものが砕ける音とともに、左腕へ鈍い痛みが走る。
「いっ……!」
けれど、覚悟していたほどの痛みではなかった。
恐る恐る目を開く。目の前で、レインが固まっていた。
その手に握られている木刀は、途中から真っ二つに折れている。
「え?」
ユウマも自分の左腕を見る。少し赤くなっている。それだけだった。
「…………」
レインは折れた木刀を見下ろし、次いでユウマの腕を見る。そしてもう一度木刀に視線を戻す。
「ありえねぇ……」
レインが、ゆっくりとアイリへ顔を向けた。
「なんなんだこいつ」
先ほどまでとは違い、その声には明らかな困惑がうかがえる。
「思った通りね」
そう呟いたアイリは満足げな表情を浮かべている。隣のユラは、表情こそほとんど変わらないものの、わずかに寄った眉が不満を物語っていた。




