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直違の紋に誓って  作者: 篠川翠
第三章 若木萌ゆ
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丸山翁の話 (1)

 八月の盆に合わせるかのように、剛介はやっとのことで若松に戻ってきた。九州での戦いは、剛介の憑き物を落としてくれたのかもしれない。だが、ほろ苦さを伴うものでもあった。

(帰ってきた)

 戊辰の役のときとは異なり、官軍としての凱旋である。薩摩の兵も大勢撃った。それでも巡査の特別任務として撃ったに過ぎなかった。

 結局、大義とは何なのだろう。

 戊辰の折に、二本松は会津と共に賊軍とされ、西藩諸国に攻め込まれた。だが、二本松が守りたかったのは、丹羽家の血であり、平穏な暮らしだった。そして、九州でも多くの民が薩軍や政府軍に徴用され、犠牲となった。いつまでこんな事を繰り返すのか。

 野津に言われたことが妙に心に残る。西の人間は、奥州を鬼の住む国だと思っていた者も多かった。だが、実際に自らの足で踏んだ奥羽の土地は、美しき心を持つ人々の住む土地であった。それをもっと早くから互いに知っていたのならば、また違った流れがあったのかもしれない。そして剛介も、九州へ赴き薩摩の人間と直接触れ合う機会を得て、その土地の人の温もりを知った。

 薩摩の者全てが奥州を嫌っていたわけではない。そのことを忘れてただ憎むだけでは、何度でも同じことを繰り返すだけではないのか。


「長いこと、家を空けてしまいました」

 数ヶ月ぶりに若松の家に戻ってきた剛介は、まず清尚に深々と頭を下げた。

 よく、命を持ち帰られたものだと思う。別働第三旅団という特殊な部隊だったため、剛介は早く帰還してきた方だった。だが、九州を去ってから、現地ではコレラやチフスなどの疫病が蔓延し、討死ではなく病死した者も多かったと聞き、脇の下を冷たい汗が流れた。

「よくぞご無事で帰られました」

 義父は、大きく頷いた。九州にいた剛介から、「抜刀隊に加えられた」という手紙が来た時には、ひやりとした。中でも田原坂では、激戦が繰り広げられていたという。それで生き残った剛介は、やはり運の強さも持っている男だと思う。

「お帰りなさいませ」

 弾んでいるとも、泣き出しそうだとも取れる表情で、伊都が息子の手を引いて出迎えてくれた。自分が家を空けていた数ヶ月の間に、貞信は随分と大きくなったような気がする。

「ただいま」

 息子に手を伸ばそうとした、その瞬間。

「いや」

 貞信は顔を背け、伊都の体の影に隠れてしまった。

「これこれ」

 伊都が焦る。

「父上ですよ」

 息子の行動に、剛介は少なからず傷ついた。長いこと家を空けていたのだから、人見知りするのだろう。頭ではそう思っていても、感情がついていかないのである。

 自分は、息子が戦わずに済む世にするために、戦ってきたつもりだった。だが、肝心の息子から拒絶されるとは。

(九州から、血の臭いでも持ち帰ってきてしまったのだろうか)

 ぼんやりと、剛介はそんなことを思った。


 ***


 西南の役での功績が認められ、気がつくと、剛介は二等巡査へ昇進していた。抜刀隊での活躍が特に評価されたのか、あの白井や篠原でさえ、剛介に一目置くようになっていた。

 剛介自身も、西南の役での様々な出会いや経験によって、薩摩人への見方が変わった。薩摩人と一言で括っても、その中身は様々だ。全員が東の人間を憎んでいるわけでもないし、中にはあの戦いに反対だった者もいた。その事実を知った今、以前のように「薩摩の人間」というだけで、簡単に憎めなくなっている自分に、戸惑いもした。

 そんなある日、剛介はふと思い立って、湯川のほとりに散策に出ることにした。湯川は、若松城下を流れる小川である。九年も暮らすと、さすがに自分の故郷のように若松町内を歩くことができるようになっていた。

「剛介様。お散歩ですか?」

 伊都が訊ねた。その手には、繕い物の着物が握りしめられている。

「少しな」

「よろしければ、貞信を御伴に連れて行ってはもらえないでしょうか?」

 妻の声に振り返ると、貞信がへそを曲げたような顔をしている。

(ははあ)

 どうやら、伊都は貞信の元気が良すぎるあまり、夜に寝付けなくなるのを心配しているようであった。最近の貞信は、ちょくちょくとそうした傾向が見られる。自分が遊び相手になれればいいのだが、針仕事から手が離せないのだろう。

「貞信、一緒に来るか」

 西南の役から帰ってきて以来、やや人見知りしていた貞信だが、それもこのところはましになってきていた。

「はい」

 こっくりと、貞信が頷く。

「よし、では行こうか」

 剛介は、貞信の小さな手を握りしめた。


 湯川沿いにつれづれなるままに歩いていくと、道はやがて河原町に差し掛かった。川を挟んで向こう側から、老人が大きく手を振っている。

「剛介殿」

 思わず笑みを浮かべる。老人は、戊辰の役に助けてくれた、あの丸山である。

「丸山様」

 大橋を渡り、丸山がこちらへやってきた。

「ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」

 自然と、剛介は頭を下げた。

「剛介殿も。よくぞ西南の役からご無事で戻られました」

「ご存知でしたか」

 もしかすると、義父の清尚が、自分の留守中に相談に行っていたのかもしれない。

「本当に、剛介殿は類稀なるものに守られているのでしょうな」

 丸山は、相変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべている。そんな父親を、息子は不審そうに見上げていた。

 その息子の様子に気づき、剛介は「息子の貞信です」と、紹介した。

「しっかりしたお顔をされています」

 自分の孫でも眺めるかの如く、丸山はにこりと笑った。

 このところ貞信は利かん気を見せることが増えてきた。どうも気が強いところは、母親の伊都よりも、父親である自分に似てきたようである。だが、我が子であればそれも愛おしい。

「貞信。ご挨拶を」

 躾けの出来ていない息子と思われたくなく、剛介は貞信に頭を下げさせた。

「遠藤、貞信と申します」

 息子が、舌足らずの口でたどたどしく口上を述べた。

「良い御子ですな。丸山四郎右衛門と申します」

 丸山も一人前の者に接するように、貞信に頭を下げた。もっとも、「四郎右衛門」の名跡は、既に長男の息子の(かず)(たか)に譲っていた。

 丸山は、剛介をじっと見つめた。



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