第一話 (六)
「以上だ。何か質問は?」
武道場の隅で今までの経緯を説明したステラは、理解の度合いを確認するために問う。
「一条さんは……僕の目から見てもステラさんに好意を持っている事は分かりますからね。それを更生したいと。それならば……どうして僕を指名するのですか? 他にもっと男らしい人はいますよ?」
すると右隣で正座を組んでいる双海紅咲が、顎に手を置いて問いを返した。
剣道部の主将であるというのに、他に男らしい者がいると述べるのはどうかと思ってしまうが、彼の柔らかい物腰を見れば不思議と抵抗を感じる事はないのが不思議だ。
「お嬢様は案外のんびりしているからな。優しそうなあなたならば大丈夫かと思った」
もはや隠す必要もないのでステラは素直に答える事にする。
「そうですか。恋人にはなれないかもしれませんが……友人という事であれば構いませんよ」
素直に答えた事が功を成したのか、彼は柔和な笑みを浮かべると共に一つ頷いた。
皆の面前で「自分」を賭けて試合を申し込んだステラが、恥ずかしく思えてしまう程にあっさりと彼は了承してくれたのである。
これで万事解決。
そう思いたい所だが問題は二つある。
一つは彼が異性を好きにはならない事。そしてもう一つは彼が協力を申し出た理由が分からない事だ。善意から来たものであれば問題ないのだが、何か良からぬ事を考えている可能性も捨てきれないのだ。
「なぜ協力をする?」
まずは一つの問題を解決するためにステラは、彼の茶色の瞳を見つめて問う。
「善意から……と言いたい所ですけど、実は違います。僕もなぜ異性を好きになれないのか……その理由を知りたいと常々思っているのです。だから……今回はいい機会かと思ったんですよ。これではいけませんか?」
すると彼はステラへと向き直って、心の内を語ってくれた。
やけに協力的だと思ったら、どうやら半分は自分のためらしい。だが、全て善意で協力すると述べられるよりかは分かりやすく、それでいて好感が持ちやすいとも言えるだろう。
「十分だ。よろしく頼む……双海紅咲」
もはや反対する理由が見つからないステラは、右手を差し出すと共に協力を求める。彼は異性を好きにはなれないらしいが、お嬢様のいい刺激となるのは確実だと判断したのだ。
「よろしくお願いします、ステラさん。あと……僕の事は紅咲で構いませんよ」
差し出された手をしっかりと繋いだ彼は、苦笑しながらも呼び方について抗議をした。
「やっぱり双海君も気になるよね」
その抗議に便乗したのは壁に背を預けて、様子を窺っていた美咲だ。
この機会にステラが間違っていたと認めさせたいらしい。中々に意地の悪い小娘だ。それでも悪気はなくて、楽しんでいるだけなのだけど。
「分かった。よろしく頼む、紅咲」
二人に訂正を求められては応じる他にないステラは、肩を竦めて言葉を返す。
その様子に美咲と紅咲はお互いの顔を見合わせてから、薄っすらと微笑んだ。本当に今の高校生というものは遠慮がなくて困る。
(さて……これでいいか。まずはお嬢様と話をさせないとな)
思ったよりも時間を使ってしまったステラは、腕時計に視線を落としながら心中で呟く。
あれからお嬢様と別れてすでに四十分。
もう抹茶を飲んで退屈をしている頃ではないだろうか。文には悪い事をしたような気がする。
そんな事を思っていると。
「見つけた!」
耳に馴染んだ元気な声がステラへと届く。
確認せずとも桜の声である事が分かったステラは、武道場の入口に視線を向ける。
すると。
温かみを帯びた茶色の瞳にすっぽりと収まったのは、小走りに駆け寄ってくる小さな体だった。一時間も離れていないというのに、何だか懐かしいと思ってしまう辺りは自分も重傷だろうか。
「一人なのか? 文は?」
主を受け止めるために立ち上がったステラは、預けていた友人がいない事に首を傾げる。まさか一人で来たというのだろうか。
「お茶室で別れてきた」
どうやらそのまさかだったらしく、桜は勢いをそのままにステラの胸へと飛び込むようにして言葉を返した。久方振りに感じた重みは以前抱き上げた時よりも軽くなっているように思う。だが、伝わってくる温かさはいつも一緒だった。
ステラの心を内側から燃やす様に温めてくれる確かな熱。
そして、全身を包んでくれるような柔らかさ。「愛しい」という言葉以外では表現できない「至福の塊」のような少女をステラは一度強く抱きしめた。
「苦しいよ。でも……嬉しい」
桜は強すぎる抱擁に一度整った表情を歪ませたが、すぐに夢心地な気分を満喫して頬を緩めた。
しかし――
「すみませーん。私達いるんだけど」
無限に続くかと思った再会のシーンは美咲の呆れた声によって遮られる。
(皆の面前だったか……)
ようやく我に返ったステラは胸に抱いたお嬢様をゆっくりと下ろす。
そうしている間、桜は残念そうに頬を膨らませていたが、すぐに表情を戻して周囲へと視線を走らせていく。
どうやらここで何をしていたのかが気になるようだった。
「こんにちは、一条さん」
そんな桜に対して、協力を申し出た紅咲がやんわりと挨拶をする。
この人当たりの良さは、ステラも見習いたいものだ。
「こんにちは、双海くん。ステラと何かしてたの?」
急に声を掛けられた桜は一度深緑の瞳を大きく見開いたが、すぐに彼へと向き直って頭を下げた。
「ええ。少しお話をしていました」
「どんなお話?」
すっかり興味を持った桜は一歩、二歩と紅咲へと近づいていく。
もしかしたらステラが思う以上に、この二人は相性がいいのかもしれない。これは苦労せずとも目標は達成できるかもしれないと密かに期待するステラ。
ようやく我が子が自らの元から巣立っていくと思うと悲しい気もするが、これも桜のためだろう。若干、文の妄想癖がうつった気もするが、今は気にはしない。
現在は二人の会話の行き着く先に注目するべきだから。
「ステラさんから……一条さんと友達になってほしいと相談されました」
「私と? 別に構わないよ。皆と一緒の方が楽しいから」
といっても二人の会話はやはりスムーズだった。
紅咲は余計な事は話さずに終始にこやかにリードして、桜はそもそも寄ってきた者を拒む事はない。相手が笑えば桜も笑い、悲しめば瞳を濡らして泣きじゃくる。
ステラの主はそういう人なのだから。何も問題などある訳はないのだ。
後は二人が接近するきっかけがあればいいのだ。それを用意するのがステラの役目だろう。
「話はまとまったようだな。早速だが友人となった祝いに遊びに行くというのはどうだ?」
自身でもとんでもない事を口走ったような気がするが、この際は気にしない。
紅咲であればこれくらいならば対応出来るだろう。お嬢様が乗り気になるかは一か八かの賭けみたいなものだが。いきなり異性と出掛けるとなれば「デートみたい」だと抵抗を示すと思ったのである。
だが、その懸念はにこやかに笑うお嬢様によって数瞬で破壊される。
「いいね。文も誘って五人で行こう!」
どうやらステラの言葉を、皆で遊びに行くと判断してしまったらしい。
(……何たる失態)
時が巻き戻せるなら、濁さずストレートな物言いに変えたい所だ。
だが、まだ道はある。ステラを含む他三名が辞退すればいいだけの事なのである。
「ごめんね……桜ちゃん。私は文と約束があるんだ。どうしても二人で行かないといけなくて、この通り!」
考えた事は一緒なのか美咲が手を合わせて、早速辞退。
空気が読める人間というのは、やはり素晴らしいとステラは内心で感心する。
後はステラが辞退して、当日は後を追うように尾行すれば完璧だ。
そんな事を思っていると――
「そっかぁ。なら、三人で行こう! デートだよ、ステラ」
ステラの右腕に自身の腕を絡めた桜が、語尾に音符マークでもつきそうなくらいに上機嫌に述べた。
誰が誰とデートするのかは言わずとも分かるだろう。どうやらこのお嬢様は隣に友人がいてもデート出来るらしい。いや、友人に遠慮など不要だと思っているのもしれない。
おそらく紅咲を美咲と文と同等の存在と認識しているのだろう。順応性が高すぎるのもいささか問題だという事を、ステラは今になって知る事になる。
「それでは三人で行きましょう。土曜日で構いませんか?」
もはやどうにも出来ない事を悟った紅咲はさっそく白旗を振る。
「いいよね、ステラ?」
そして、それに便乗する桜。
もはや今さら何を言っても展開が変わる事はないだろう。
「はい。構いません」
今回は素直に引き下がる事にしたステラは泣く泣く負けを宣言する。
こうして土曜日の休日は桜とステラのデートに、友人が一人付いてくるという異質な形で執り行われる事になったのだった。




