第一話 (五)
武道場に足を踏み入れたステラが耳にしたのは、鋭い掛け声だった。
黙して戦う実戦とは違い、剣道という武道は声を張り上げて戦う。いや、戦うというよりは己を磨いているのだろう。そう思うのは地を揺らす強い踏み込みと、張り上げた声は真剣そのものだったからだ。
真剣の心得はあるが、剣道の心得はないステラは少なからず興味を惹かれる光景であったのは言うまでもない。
「まさか……やってみたいとか?」
その心を読んだかのように、左隣を歩く美咲が問う。
本当に内なる心に敏感な少女だと思う。それとも一目で分かってしまう程に表情に変化があったのだろうか。少々気にはなるが、今は目当ての人物を探す方が重要だ。
あの優しそうな人物であれば、そうは目立たないために探すのは苦労するだろうけど。
ある意味では失礼な事を考えながらも、ステラは壁に沿う様に歩いていく。一周でもすれば分かる、そう判断したのだ。
だが、そんなステラの背中にすかさず声が掛けられる。
「ちょっと……どこ行くのよ?」
声を掛けたのは、当然美咲だ。
どこに行くかと問われても、双海紅咲を探しにいくつもりなのだが。要領を得ずに首を傾げていると。
「探してる人は……そこ」
美咲は右手を胸辺りまで掲げて、人差し指で一人の人物を指差す。
その人物は先ほど視界に収めた者だった。
地を震わせるような声と鋭い踏み込みで、ステラの心を揺らした人物だったのだ。
「あれが?」
「うん? 知らないの? 双海君は剣道部の主将だよ」
ステラが呆気に取られて彼を見ていると、美咲が補足説明を加える。
柔和な微笑みを浮かべる彼をステラは「小鳥か何かの類」だと思っていたが、どうやら立派な剣士の類だったらしい。それは面に、胴に振るわれる竹刀の鋭さを見れば分かる。
剣道部主将という肩書は伊達ではないらしい。
「……面白い」
素直にステラは思った。
言葉だけで解決させる事の方が早いのは言うまでもないが、刃を打ち合わせる事で分かる事もあると思ったのである。
「まさか打ち合うの?」
「無論だ。柔らかいだけではなくて……まさか武道まで達者だとはな」
実は超能力者ではないのかと思う程に理解の早い美咲に、スーツの上着を脱いで渡したステラは躊躇なく練習試合に割り込んでいく。
自身でも身勝手だと思うが、そもそも目的のためなら手段を選ぶつもりはないステラにとっては関係ない。半分は興味だという事は否定しないのだけれど。
ともあって、数多の思惑を胸に秘めたステラは、竹刀を打ち合う両者の間に入るようにして歩いていく。一切の迷いなく、温かみ感じさせる茶色の瞳を喜びに輝かせながら。
「……何ですか?」
さすがに試合をしている所に人が入ってきたのであれば止めざるを得なかったのか、振るう手を休めた双海紅咲は突然の乱入者へと視線を向けた。
だが、ステラは答えない。それ所か視線すら合わせずに、双海紅咲の相手を務めていた者に視線を移す。もっと正確に言うならば、その手に握っている竹刀だ。
「――失礼」
目標を視界に収めたステラは短く言うと共に、竹刀を握る小手へと手を伸ばしていく。
「な……何を!」
ステラが何をするのか理解出来ない剣道部員は戸惑った声を出すが、腕を握られた瞬間に竹刀を強く握り締めた。戸惑いはしたが自身の刃だけは手放さなかったらしい。
「借りるぞ」
強引に奪っても良かったのだが、さすがにそれは問題があると思ったステラは仕方なく言い直す。
「あ……ああ」
剣道部員はまだ状況が理解出来てはいないらしいが、意図だけは分かったらしく竹刀を握る手を緩める。
「双海紅咲」
滑り落ちる竹刀を右手に収めたステラは、整った眉を怪訝そうに歪めている彼の名を呼ぶ。
「……」
しかし、彼は何も答えはしなかった。
そんな義理はないと言外に言いたいのかもしれない。
ならば、こちらが勝手に話すだけである。
「勝負をしてもらおう。あなたが勝てば私は何でも言う事を聞く。その代わりにあなたが勝てば一つ願いを聞いてもらう」
ステラは竹刀を持たない左手の人差し指を、真っ直ぐに天井へと向けて伸ばすと共に淡々と述べる。双海紅咲からすれば迷惑この上ないだろうが、何でも言う事を聞くという提案は悪くはない条件だろう。
「何でも言う事を……? それにあなたの願いとは?」
しかし、予想通りいきなり試合とはならず彼は詳細を問うた。
「ああ。何でも言う事を聞く。恋人になれというのであれば喜んで聞こう。そして、私が勝った場合の願いについてだが……私の主であるお嬢様の友人になってもらう」
そんな彼に向けて両手で柄を握り直した竹刀を向けるステラ。
言うだけの事は言った。後は彼がどう出るかだろう。期待通りの展開にならないのであれば、この手に握った刃を面へと向けて振り下ろすだけなのだが。
そんなステラの考えを予想しているのかは分からないが――
「申し訳ありませんが……興味がありません」
彼は面を付けた頭を左右へと振って拒否の意思を示した。
無駄な戦いを嫌う剣士なのか、それとも単純にこちらの提示した条件がいただけないのか。
それを確認するためにステラは――
「何に興味がない」
双海紅咲に問う。
強硬手段に出るにはいささか早いと思ったのだ。幸いまだ時間はあるのだから、話くらいは聞こうと思ったのである。
「一般的な男子高校生であれば、ステラさんのような美しい方に興味を抱くのでしょうが……僕は全く興味がありません」
すると彼は淡々と言葉を返した。
双海紅咲の抑揚に欠けた口調は言葉通りに興味がないのだろう。人の好みなど様々なために「興味がない」と言われる事もあるのは仕方がない事だ。
だが、本人を目の前において、こうもはっきり言うとは思ってもいなかった。
「すみません。言い方が悪かったですね。ステラさん個人ではなくて……そもそも異性に興味がないんです」
呆気に取られて固まっているステラに、慌てた様子で剣道部主将が訂正をかける。
(異性に……興味がない?)
届いた言葉の一部を抜き取ったステラは思考を走らせていく。
その瞬間。
とある可能性に辿り着いた。まさか彼もお嬢様の同類だとでもいうのだろうか。それとも男だと思っていたら実は「女の子」でしたという、漫画かアニメによくあるネタだろうか。
しかし、性別を偽って入学する事は難しいのも事実。つまりは前者の方が有力だろう。
「あなたは同性を――」
「違います!」
至った結論をステラが確認しようとすると、彼は今まで聞いた事もないような叫び声を上げた。この反応は嘘ではないだろう。
そもそも同性を好きになる方が少ないのだ。これは正常な反応だろう。
となると残った可能性は。
「女の子でもないですよ」
ステラの窺うような視線に気づいたのか、双海紅咲は即座に否定した。
「ふむ。これは困ったな……」
異性に興味がない彼をお嬢様の友人にしたとして、目的が達成できるのか疑問に思ったのだ。今さらだが相手を変える事も検討するべきか。
「すみませんが……事情を教えてくれませんか?」
この場に来てから散々と好き勝手をしているステラに、ついに痺れを切らした彼が皆を代表して問う。痺れを切らしたと表現したが、冷静に見ればかなり耐えてくれた方だとは思うのだけれど。
「そうだな。どうも話してしまった方が早そうだ」
このままでは一向に話が進まないと判断したステラは一度頷くと共に、借りた竹刀を剣道部員へと返す。
「稽古の邪魔になりますので……隅で」
すると双海紅咲は竹刀を収めて、空いた右手を差し出した。
その姿はまるで姫をエスコートする騎士のように見える。といっても彼は騎士ではなくて、剣士なのだが。
本当にお嬢様の相手にするには申し分ない男だった。だが、やはりこの世界には「完璧」などという言葉はないらしい。
「確かに邪魔だな」
目的が果たせない以上はこの場にいても仕方がない、そう判断したステラは差し出された手を無視して、武道場の隅に向けて歩いていく。そのすぐ後ろから彼が一定の間隔を空けて追ってきた。




