第一話 (四)
口の中に広がるのは、奥深い味わい。
まるで心を洗い流すかのような深さは、桜の乱れた気持ちを整えるには十分だった。
「結構なお手前で」
作法通りに三口で飲み終えた桜は、知識として知っている言葉を口に出す。お茶については知識がない桜はこれで合っているかどうかは自信がない。
もしかしたら失礼があるかもしれないと、瞳を前方へと向けると。
「気にしなくていいですよ。少しの時間潰しに誘っただけですから」
抹茶を立ててくれた文は柔らかく笑うと共に碗を受け取る。
その動作は慣れたもので、茶室にいる彼女の姿はいつもの文とは雰囲気が違うような気がする。
それでもある程度形になっていれば気にはしない友人の様子に、安心した桜は密かに安堵の息を吐く。飛び級で進学した事もあって周囲と比べて年齢が離れている桜はなかなか友人が出来ないでいる。
その中で親しくしてくれる、というよりも可愛がってくれる文と美咲は貴重な存在なのだ。出来れば卒業するまでは仲良くしていたいと思う。
失いたくないと、素直にそう思ってしまうのだ。確かにステラがずっと側にいてくれるために寂しさはない。だが、友人が一人もいなくて日々を過ごすという人生は悲しいと思ってしまうのだ。
その想いは内から漏れ出て、膝の上に握った拳を強く握る事で外へと出る。気づいた時には桜の両肩は震えていた。どうやら自身は「失う」という事に臆病になっているのかもしれない。
幼くして母親を失い、そして自身も同じ病気で死ぬかもしれない。
あと数年で桜は今まで築き上げてきたものを全て失ってしまうのだ。それが恐い。その恐怖は桜の心を縛って、身近にいる人でさえ失ってしまのではないかと思わせてしまうのだ。
「大丈夫ですよ。いなくなりませんから」
事情を知っている文は柔らかく笑う。
実は桜が思っている事を最初に伝えたのは文だったのだ。その時も彼女はこの茶室に案内して、抹茶を立ててくれた。その抹茶を桜はどうやって飲んだかは覚えていないけれど、ただ内に溜めた痛みを全て話した事だけは覚えている。
その全てを文は受け止めてくれた。
どうしてステラではなくて、彼女に話したのかは今でも分からない。
もしかしたら好いた相手に弱さを見せたくはなかっただけかもしれないけれど。でも、好きだからこそ、自分の全てを話すべきなのかもしれないと思う。
――あと数年でこの命は散ってしまうのだという事を。
もし真実を知ったらステラはどう思うのだろうか。最後まで一緒にいてくれるだろうか。桜が天命を全うするその時まで想ってくれるだろうか。
何か言葉を返さなければいけないのに、ステラの事で頭が一杯で返す言葉が思いつかない。そんな事は言わなくても分かってくれる友人は、浮かべた笑みはそのままでゆっくりと口を開いた。
「いつか伝えないと……すれ違ったままになってしまいますよ? そんな結末は悲し過ぎます」
文の言葉はまるで自身が経験したかのような重さを持っているような気がする。
これは五歳年上だからこその言葉なのか、過去にすれ違ったまま別れた人がいるのだろうか。今思えば桜はあまり文の事は知らないような気がする。
聞くべきか、聞かないでいるか。
数瞬悩んだが、話してくれるまで桜は待つことにした。
それよりも今は自身がどうするべきかを考えなければいけないのだから。今はいない大切な人に全てを伝えるか、伝えないか。
伝えない道を選んでも、これ以上痩せればいつかは気づいてしまう。ならばこの口から伝えるのが一番なのかもしれない。
それでも伝える勇気が桜にはなかった。伝えた瞬間にいなくなってしまうかもしれないのだから。
その不安を胸に抱いた桜は――
「伝えたらステラは……いなくなってしまうかな?」
文に問いを向ける。
いなくならない、そう言ってくれる事を信じて。そう言ってくれるなら勇気が湧いてくると思ったから。
だが、結果は桜が予想していたものとは違って。
「それは分かりません。私はステラさんではありませんから」
淡い希望を打ち砕くような冷たい言葉として返ってきた。
悪気がある訳ではない事は知っている。文が言う様に他人の心を読む事は出来ないのだから当然だ。それにステラの事を深く理解していないのに適当な事を言う方が、もしかしたら不謹慎なのかもしれない。
ある意味では文は真摯に応えてくれたのである。
そして、同時にステラと正面から話すべきだと伝えてくれているのだ。そうしないと後悔するから。
柔らかくて優しいお姉さん。
そんな印象をずっと持っていたけれど、実際は違った。この人は他人の成長のためならば厳しくもなれる人だったのだ。
「ありがと……文。ちゃんとステラに話すよ。私の事を」
これ以上は甘える事は出来ないと思った桜はきっぱりと宣言する。
あえて逃げ道を無くして、前へと進むために。
「それがいいです。桜ちゃんの夢……叶うといいですね」
言葉を受け取った文は頬を赤らめて言葉を返す。
どうやら妄想の世界へと入ってしまったらしい。一度、彼女の妄想の世界を覗いてみたいとは桜は思っているが、それは叶わないのが残念で仕方がない。
「叶えるよ。これは……私の最後の我が儘なんだ」
友から力を分けてもらった桜は、正座をした事で痺れてきた両足を立ち上がらせる。
向かうは当然想い人の所。
どんな理由があるのか知らないけれど、武道場へと向かった桜の世話師を探しにいくのだ。
「いってらっしゃい」
そんな桜を文は軽く手を振って送ってくれた。
「うん!」
そんな心優しい彼女に微笑みを向けた桜は、元気よく一歩を踏み出した。




