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第一話 (一)

――第一話 すれ違う願い――


 全身を包んで離さないのは一つの温もり。

 まるで世界は優しさで出来ているのではないかと思ってしまう程に柔らかくて、温かい「何か」が桜を包み込んでいた。

 その「何か」は真冬の寒さを凌ぐために桜へと覆い被さっている毛布でも、厚い布団でもない。確かな意思をもって包んでくれるものだ。

「……温かい」

 その温かさに頬を緩めて桜は囁く。

 すると――

「起きたのか?」

 耳元で温かさの正体である、ステラが囁き返す。

 寝室の中央に置かれた横幅二メートルはあろうキングサイズのベッドで抱きしめられるようにして眠っている桜が驚かないよう最大限の注意を払ってくれているようだ。

 出会って、すでに七年。

 ただの一日でさえステラが桜に配慮しなかった事はない。時には疑問に思う事もあるが全ては桜を思っての事であり、反発を覚えた事は数える程しかないくらいだ。

 二人の関係はすでに良好。

 良好過ぎて、大人な世話師を困らせてしまう事もあるくらいだ。出来れば困らせたくはないのだけど、どうしても甘えてしまうのだ。

 それは今日も例外ではなくて――

「まだ寝てる」

 桜は問いとは真逆の言葉を返す。

 言葉を発した時点で起きている事は分かりきっているというのに。

「話すのに……寝てるのか?」

 思った事は同じなのか、世話師の彼女は呆れながら問う。

 瞳を開けなくても、ステラが苦笑している事は雰囲気で分かる。これ以上続けると、真面目な彼女は複雑な表情を浮かべる事も知っているのだが。

 それでも桜は自身を止める事が出来ない。

「王子様がキスしてくれたら……起きるかも」

 結局はいつも通りに彼女に触れる事を望んでしまう。

 他の誰でもない桜だけに向けられる想いに触れたいと望んでしまうのだ。彼女の内には自身と同じ気持ちがない事は知っているけれど、それでも触れたいと望んでしまうのである。

「私は女性なのだが?」

「私にとっては……王子様なの」

 予想通りにステラはいつもと同じ言葉を返す。それに対して桜も同じ言葉を返すのが日課だ。そして、その後に数瞬の間が空くのもいつも通り。

 無限にも思える程に長い刹那の間を桜は瞳を瞑って待つ。

 すると。

 何か柔らかいものが、密着して眠る事で汗ばんだ、桜の額へと触れる。

 おねだりしたのはキスだが、ステラがするのはいつも唇を軽く額へと触れるだけだ。彼女が言うにはこれが限界らしい。

 残念だが限界であるならば仕方がないと桜は思っている。無理強いをして今の関係が壊れてしまうくらいであれば、現状を維持した方がいいと思うから。

「ありがと」

 無事に目的を果たした桜は短いお礼の言葉を呟いて、温もりから体を離していく。

 自由になった身はすぐ様、覆い被さっているベージュ色の毛布と、真っ白な布団を跳ね除けてベッドから抜け出る。その動きは寝起き特有の緩慢なものではなく、元気に満ち満ちているかのように俊敏だ。実を言えば桜は朝に強いのである。先ほどまでのおねだりは猫被りもいい所だ。

(……今日も寒い)

 元気よくベッドから出たためか、先ほどまで感じていた温かさとは真逆の震え上がるような寒さが全身に襲い掛かってくる。けれど、これ以上大人な世話師に迷惑をかける訳にはいかない桜は全身に力を込める。

 力を込めた所で寒さが和らぐ訳ではないが、気休め程度にはなると思ったのだ。

「桜は着替えていて。私は朝食を準備する」

 時間にして数秒程寒さと戦っていると、いつの間にかベッドから出ていたステラが桜の背後に立ち尽くしていた。本気を出せば気配すら消して歩けるらしい彼女は、たまに桜を驚かせる。悪気はないらしいのだけど、急に人が立っている事に気づいたならば、どんな人でも驚くのは自然だろう。これは桜固有の反応ではない事を密かに願っている。

 固有ではないならば、それはつまり鈍いという事なのだから。それは褒められたものではないだろう。

「うん。すぐに行くよ」

 いつまでももたついていると、ステラが「世話焼きモード」に切り替わってしまうため一つ頷くと共に言葉を返す桜。

「そうか。後で寝癖……直してあげるから」

 言葉に納得したらしいステラは一度頷いてから、桜の髪を撫でる。

 桜の黒髪は先端がウェーブかかっている癖毛。念入りに櫛を通せば素直に従ってくれるが、手入れをしなければ好き勝手に暴れ放題だ。今は鏡を見ていないためにどうなっているのかは分からないが、本日も盛大に跳ねている事だろう。

「後で……お願い」

 密かに想いを寄せている相手に見っともない姿を見せてしまう事は恥ずかしく思うけれど、こればかりは仕方がない。そう割り切らないと漏れ出る溜息は止まる事はないのだから。

「分かった」

 しかし、幸いな事にステラは特に気にした様子はないようで、撫でていた手を除けると共に桜の右隣を横切って、正面に見えるドアへと歩いていく。

 そして、その動きに沿って色素が薄い、淡い金色の髪が揺れた。

 まるで黄金色の宝石を思わせる程に艶やかな髪。その髪だけでも溜息が出てしまうくらいに綺麗である。

 だが、彼女の魅力はそれだけではない。男性と比べても遜色はない長身と、身に纏う動きやすそうな漆黒のウェアを内側から膨らませる豊かな胸。そして、腰はどこかのモデルと見間違えるほどに細く妖艶だった。

 まさに女性として完成しているかのような美女。だが、その姿はすぐに見納めとなる。ステラが正面に見えるドアを開いて、部屋の外へと出てしまったからだ。

(今日も綺麗だぁ……)

 頬を紅潮させて心中で呟く桜。

 まさに恋する乙女な桜が、モデル顔負けの美貌を持った彼女に最初に抱いたのは憧れだった。桜も成長すればこの美しさを得られるかと思ったのだ。

 だが、結局は十二歳になる現在も体つきは幼いまま。それ所か年々細くなっているように思う。まるで内にある命が散ってしまうのではないか。そう思ってしまう程に桜の体は徐々に衰弱しているのだ。

 しかし、その事実は決して口には出さない。父にも、自身の大切な人にも教えたいとは思ってはいなかった。散り行く者のために、その歩みを止めてほしくはないと思うから。

 それでもこの命が散るまでは彼女を想っていたい。

 憧れから、徐々に燃えるような恋心に変わった、この想いを伝えたいのだ。正直な事を言えば、いつ想いが切り替わったのかは桜自身にも分からない。それでも今は分からなくてもいいと思う。いずれ分かる時がくると、そう信じているのだから。

 そんな事を思っていると。

 十二畳程の広さを誇る部屋にけたたましい音が鳴り響いた。

 考え事に没頭していた桜は飛び跳ねるように驚き、音の発生源に向けて身を捻る様にして振り返る。音の正体は桜が予想した通りに予めセットしていた目覚まし時計だった。

「もうこんな時間なの!」

 枕元に置かれた時計の時刻を瞳に収めた桜は、慌てて淡いピンク色の就寝着に手をかける。

 時刻は午前七時。

 桜が通っている「聖ロマリア学園」のホームルームは八時からだが、ゆっくりしていられる時間は少ないだろう。少々行儀が悪い気もするが就寝着のボタンを外しながら、右手側の壁際にあるクローゼットまで歩いていく。

 その中にある物は白を基調とした制服が四着と頭に被るウィンプル、そして首元からぶら下げる金色の十字架が付いたネックレスだ。

 ウィンプルと十字架という言葉でどのような学園かは大よその予想がつくだろうが、あえて言うならば桜が通っている「聖ロマリア学園」は授業の一環として、聖書を片手に宗教的な事も学ぶのだ。それを良い機会として牧師になったり修道女になったりする者もいるらしいが、それは全体の中では片手で数えられるくらいだろう。

 では、なぜそのような高校に通わせるのかと言えば。

 それは高校生という青春時代に「清く、澄んだ心」について学んで欲しい、という親の願いが込められているのかもしれない。実際にその願いはいい方向に効果を発揮しているらしく、卒業生に対しての悪い噂を桜は聞いた事がなかった。

 むしろ良い噂の方が聞く機会が多いだろうか。そんな一員の一人に桜もなれるというのは少なからず誇りに思う。といっても桜がこの学園に通えるのはせいぜい二年だろう。英才教育を施された桜はすでに高校生で学ぶべき事は教え込まれており、後は卒業という実績を得ればいいだけなのだ。

 資産家の娘として生まれる。

 それを喜ぶ者もいるのだろう。だが、極ありふれた日常を過ごせないというのは寂しい気がしてしまう。それでも家のため、そして自身のために歩む足を止める事は出来ないのだけれど。

 相反する想いを胸に抱いた桜は一度溜息を吐くと、そっとクローゼットを開けて、中に納まっている冬服を取り出す。

 以後はまるで流れ作業をするかのように、機械的な動きで学生らしい衣服へと着替えたのだった。


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