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第一話 (二)

 館の一階。

 正面玄関から入って、右手側に見える一室にて。

「――遅い」

 一言呟いたのは漆黒のスーツに着替えたステラだ。

 当然、言葉を向ける相手は桜である。案外しっかりしてそうで、マイペースな所がある彼女は放っておくと予想以上に時間を掛けてしまう時があるのだ。

 目覚めがいい桜の事だから二度寝はしていないだろう。ならば、おそらく何か考え事でもしているのかもしれない。八割方はステラの事だろうけど。

(どうして……こうなったのだろうな)

 桜の熱い瞳を思い出したステラは溜息をついて、真っ白なシーツが敷かれた長机に銀製の小皿に盛られたサラダを置く。ここで朝食を取るのはステラと桜だけなのだが、用意された机は部屋の半分を埋め尽くしており明らかに巨大だ。ふと頭上を見上げればシャンデリアが部屋を明るく照らしているのだから、その無駄な豪華さにいちいち突っ込んでいては身が持たないのだけれど。

 それよりもステラの懸念事項は自身が仕えるお嬢様についてだ。

 二人の関係は正直な事を言えば近すぎる。主と世話師という間柄を踏み越えているのは朝のやり取りだけでも分かってしまうだろう。仮にこの事実が、少々潔癖な所がある館の主、一条厳十郎《いちじょうげんじゅうろう》に知れればどうなるか。

 名は体を表す、そんな言葉が世界には存在する。

 その言葉通りに厳という漢字を使う館の主はとにかく厳しい。それもある一点においては特に。彼が気にして止まないのは、桜の将来について。いや、正確に言えば桜の将来の相手の事だ。

 厳十郎は愛娘たる桜が、同じ資産家の御曹司と結ばれる事が理想だと思っているのである。ゆえに、その過程において他の男が寄り付かないために「女性」の世話師たる自分が呼ばれたのだ。来るべき出会いを前に異物が寄らないための配慮だったのだろう。

 しかし、例え寄ってきたとしても、羆《ひぐま》を思わせる筋骨逞しい巨体を誇る彼に睨まれたら成年に達する前の子供など泣いて逃げてしまうだろうけど。

 ある意味では二重の防壁に守られた桜は、館の主が思った以上の効果を発揮したらしく異性を好きになった経験は皆無。七年間、母親同然に側で仕えたステラは、胸を張って断言する事が出来る。

 そういう意味では厳十郎の思い描いたシナリオは、完璧に進んでいるように見える。

 ――だが。

 この世の中において完璧なシナリオなどは存在しないのが常だ。それは生涯に置いて使いきれない財を抱えている男でも例外ではない。それを証明するかのように、彼の愛娘は好きになってはいけない人を好きになってしまったのだから。

 男を遠ざけるために女性の世話師を雇った。だが、その女性を好きになってしまっては本末転倒である。しかも、男という存在をまるで知らないお嬢様が、この先異性を好きになる事などあるのだろうか。それが心配で堪らない。その原因がステラ自身にあるのであればなおの事だ。

(どうにかしないと……)

 朝食を並べながら最大の懸念事項について思考を走らせていたステラが、もう何度目かの溜息を吐こうとした時。

「お待たせ」

 ようやく着替えた桜が部屋の中央にある大扉を開け放った。

 白を基調とした指定の冬服に同色のウィンプルを被り、胸には金色の十字架がシャンデリアの光を受けて煌々と輝いている。どうやら準備は万端らしい。

「席について下さい。紅茶を淹れますから」

 考え事に没頭した挙句に自身が仕える主を待たせる訳にはいかないステラは、気持ち切り替えると共に言葉を返す。

 言葉を受けた桜は、いつも通りに彼女から見て左側の席に歩いていく。

 これが一条家の朝の光景だ。変わらない日常の始まりである。だが、ステラは今日こそは日常を変えてみせると、強く誓ったのだった。


*


 教室を満たしているのは喧騒だった。

 それもその筈で現在は午前中の授業が終わり、昼休みに入っているのだ。

 聖ロマリア学園という大層な名が付いた高校であっても、若く元気に満ちた学生が通う場所である事は他と変わらないため、自由を得れば開いた口が止まらないのは当然の事だった。

 そんな活気に満ち溢れた教室内で。

(……適任者は)

 鋭い視線を彷徨わせているのは、ステラだ。

 目的は朝食を用意しながら考えていた事。つまりは桜が好意を向けるにたる男子生徒を見つける事だった。はっきり言えば二十四歳の自身から見れば高校生など、ただの子供にしか見えない。

 しかし、十二歳の桜から見れば大人に見えてしまうだろう。この年齢差を把握しながら適任な者を選ぶのは、予想以上に労力を要する気がしてならない。

 だが、お嬢様のため、そして厳十郎によって社会から抹消されないためにも探し当て、そして認めさせないといけないのだ。

 お嬢様の未来のために。そして、生きるために。

 半分が自身の保身のためというのは恥ずかしい限りだが、ここまで尽くした挙句に消されてしまうのはあんまりな気がする。それに世話師は奴隷ではなくて人間だ。少なからず館の主に反抗的な所があってもいいとステラは思っている。

 そんな事を考えながら、茶色の瞳を教室内にいる生徒へと向けていく。

 幸いステラが背を預けるようにして立っているのは教室の窓際だ。それも最後尾。教室全体を見渡すには適した位置だろう。

 ついでに、自身が世話をすべきお嬢様は――

「桜ちゃん、こっちも食べて下さい」

「ありがと」

「次は私の!」

 桜から見て、五歳年上のお姉様二人に餌付けされていた。

 ステラの用意したお弁当もあるのだが、おそらくそれ以上の物を食べさせられているようだ。この様子だと、少しの間なら視線を外しても大丈夫だろう。

(さて……私も集中しないと)

 ようやく本腰に入ったステラは一人の人物に視線を固定する。

 その人物は廊下側の席に座った一人の生徒。

 黒髪が主流のこの国においては珍しい栗色の地毛を頭の後ろで縛った小柄な男子で、クラスメイトの冗談に対して柔和な笑顔を浮かべている姿は中々に好印象だった。当然、男子生徒なのだが、その雰囲気は女性というよりは中性的な印象を受ける。

 そう感じる理由の一つは、彼が友人と一緒に食べているのは彼自身で用意した物らしく、その味は大変好評らしい。

 料理は完璧、物腰は柔らかい。男性にしておくには勿体無い程の逸材だ。

(この中では群を抜いているか)

 どこかのんびりとしたお嬢様には、彼のような心優しい男性が似合うと判断したステラは一人納得して頷く。

 放課後にでも彼と話をしてみよう。

 そうステラが思った時に――

「ステラも食べようよ」

 桜ののんびりした声が眼下から聞こえてきた。

 どうやら昼休みの間、何も食べずにいたステラを心配してくれたらしい。桜の反応は当然といえば当然なのだが、お嬢様に心配されているようでは世話師として失格だとステラは思ってしまう。

 だからこそ――

「すまない。お嬢様のクラスメイトを観察していた」

 謝罪すると共に、自身がしていた事を素直に話す事にした。これくらいであれば言っても差し支えがないと思ったのである。

 しかし、お嬢様はステラが危険因子でも探していると思ったらしく。

「皆いい人ばかりだよ。だから、心配いらないよ」

 幼い顔を曇らせて肩を落とした。

 感情表現が豊かな桜は一目で元気なのか、沈んでいるのかが分かる。これは長年共に過ごしているステラだから分かるのではなくて、一週間くらい共に過ごせば分かってしまう事だ。

「心配はしていない。だから落ち込むな」

 このままだとさらに深く沈んでしまうために、そっとウィンプル越しに手を置いて髪を撫でていく。その際に教室内に黄色い声が上がったが、この際は無視しておく。

「良かった。なら、座って」

 髪を撫でられた声で頬を紅潮させた桜は、自身の左隣の席を指し示す。

 当然、断る理由がないステラは頷くと共に隣へと腰掛ける。学生が通う高校に二十歳を過ぎた女性が座っているというのは違和感を覚える光景だろうが、周りもさすがに慣れたらしく誰も突っ込む事はない。

 それ所か――

「さっき……双海《ふたみ》君を見てましたよね?」

 席に座った瞬間に声を掛けられる始末だ。

 声を掛けてきたのは、桜の前方に座っている三つ編みに眼鏡が目印の女子生徒。桜の友人の一人で名を杉本文《すぎもとあや》という。趣味は裁縫と読書で、比較的大人しい女の子だ。少々、妄想癖があるのがたまに傷なのだが。

 基本的にはお嬢様の付添いとしてこの場にいる以上は極力関わらないように努めているのだが、青春を突き進む彼女達にそんな事を言っても無駄だろう。

「ああ。少し放課後に話でもしてみようと思ってな」

 そして、声を掛けられて無視出来る程の冷たさを持っていないステラは仕方なく答えてしまう。だが、今回の場合は答えるべきではなかったと後悔する。正確に言うならば言い方が不味かったのかもしれない。

「双海君は優しいし……料理も出来ますからねぇ。ステラさんのような美人な方は似合うかもしれませんね」

 紅潮した頬に両手を置いた杉本文は、さっそくお得意の妄想癖を全開にしている様子。

「言っておくが……双海紅咲《ふたみくれさ》をそういう対象として見ていない」

 とりあえず釘を差して置かなければ彼女の妄想は止まらないために、ステラは強く言い放つ。この程度で止まるとは到底思っていないのだが。

「えぇ! 私というものがありながら……酷い」

 そして、もう一人。

 杉本文の妄想に便乗した者が一名いた。ステラの主であるお嬢様だ。

 桜は冗談で言っている訳ではない。それは深い緑色の瞳が湿っている事ですぐに分かる。これは相当な衝撃を受けているに違いない。

「えっと……違う。違うから落ち着け」

 さすがに泣かれてしまうと困るステラは慌てて言葉を掛ける。

 だが、その慌て様を肯定として受け取ってしまったらしい桜は大きな瞳から一粒涙を零す。決して零してはいけない雫を迂闊にも自身の軽率な発言によって零してしまったのだ。

(どうすればいい)

 とりあえずは落ち着かなければいけないと分かっていても、上手く言葉が見つからないステラ。

 そんなステラを見かねたのか――

「違うって、桜ちゃん」

 桜の右隣に座る女性生徒が陽気に声を掛けた。

 泣いている桜に対してはあまりにも軽率な言葉。だが、場の空気を変えるには十分だった。

「違う?」

 言葉を受け取った桜はまるで藁にでも縋るかのように、もう一人の友人へと視線を向ける。

「ステラは桜ちゃんだけを思っている……一途な人だよ」

 瞳を受け止めた女子生徒は、意地の悪い笑みを浮かべながら一言。救ってはくれるが、どうやらこの状況を楽しむ気らしい。

 だが、そこに悪意というものはない。ある程度楽しんだ後は、誤解は解いてくれる事だろう。それは桜を通じて関わってきたステラはよく知っている。

 桜よりもさらに髪を短く切りそろえた活発そうな印象を受ける少女、不動美咲《ふどうみさき》は人生を面白おかしく過ごしたいだけで、性根は真っ直ぐなのだ。

 そんな彼女は杉本文と視線だけで何やら合図を送っている様子。どうやらまた何かを企んでいるらしい。

 本当に困ったものだとステラは思う。正直な事を言うならば年上を敬ってほしいものだ。

 だが、当然敬う気がない二人は。

「ちゃんと想ってくれてますよ」

「ステラなら……この場で愛を証明してくれるって」

 ステラに対して、無理な注文を寄越す。

 この場で桜を抱きしめるなり何なりして慰めろと言いたいらしい。こんな人が三十名もいるような教室で、しかも騒ぎを敏感に捉えて皆が注目する中で。

「ステラ、本当?」

 桜も状況を理解したらしくこちらへと向き直って、そっと瞳を閉じる。

 どうやらこのお嬢様はステラを困らせる才能でも持っているのだろか。だが、この場を収めるためには致し方ない。

 その後。

 教室を震わせるような黄色い歓声が鳴り響いた。


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