1話
ウィリティング帝国、北西部に位置するダンダリオ辺境伯領。
帝国開拓騎士団団長、レオナルド=ダンダリオが築き上げた功績とそれに対する褒賞で10年ほど前に創設された新興領であり、言葉のみで魔法を操ることができるという“言葉の民”とも親交がある領地だ。
近年、領内に設立された歴史資料館を訪れる観光客の増加に嬉しい悲鳴が上がっている場所でもある。
「だからって何でもかんでも受け入れてるわけじゃねぇかんな!」
そう吠えるのはダンダリオ辺境伯の右腕であるリッキー。
帝国開拓騎士団団長であった辺境伯に代わって騎士たちを束ねるリッキーはもちろん関所の取締役でもあるため、領外から尋ねてくる観光客は嫌というほど見ている。
そんな彼が吠えるのだ、よっぽど何かあるに違いない。
「あのなぁリッキー……関所の件はお前に任せっきりにしてしまっている俺も悪いんだが、もう少し観光客には優しく……」
「したのが仇になってんだって言ってんだよこっちは。道端のゴミのポイ捨て、壁の落書き、宿場の騒音騒ぎに迷惑行為、果てにはお前ら家族の盗撮と来たもんだ!迷惑ばっかだよ」
「………それは……そうだが」
「こないだだって、アルバさんとコル坊が巻き込まれかけただろ。なぁレオ……早いとこその辺は手を打たないと取り返しつかなくなるぞ」
ダンダリオ辺境伯、レオナルドは椅子の背にもたれかかり天井を仰いで大きくため息を吐いた。
分かっている、分かってはいるのだ。
領民の生活を守るために経済を動かそうとして辺境伯領を観光地化しようとした。
初めは良かった。皆で作り上げた領地を美しいと誉めて流布して見に来てくれる人々が増えていっていた頃は。
しかし首都のウィルト市でレオナルドと妻のアルバをモデルにした演劇が大流行したことで、オリジナルを見ようとファンが殺到し、それに便乗しようと悪徳業者が入ってきては迷惑行為を繰り返すという事態に陥ってしまっているのが現状。
いわゆる「観光公害」というやつである。
「オレたちからもいいか」
レオナルドの正面に座る形で口を開いたのは“言葉の民”であるクチオーロ。
以前はレオナルドを認めない立場で命まで狙おうとしていた青年だが、森の発展とレオナルドの真摯な態度に影響を受けて心を変え、今は1人の側近として仕えている。
「どうしたクチオーロ」
「その観光客ってのが森まで来て勝手に木の実とか花とか持ってくんだって、集落の婆さんたちやチビたちが言ってる。野生の動物だっているから好き勝手されて襲われたとかあったらオレたちじゃどうしようもできない。しかもオレたちをまとめてくれているレオナルドに迷惑がかかっちまう。集落の連中は……オレもだけど、これ以上アンタに迷惑はかけたくないんだ」
「そうか……」
実害が出る前に歯止めを掛けなければ。
しかしそうなれば領地の経済は?
「……幸いここ何年かは豊作続きだから貯蓄はできてる。ここで一度観光を制限しても、レオが心配する民の生活には5年ほど影響は出ないから安心しろ」
「集落も豊作が続いてるぜ。貿易だけは続けてくれるなら食いっぱぐれることはないはずだ。なぁ、オレらの王様よ……悩むこたねぇんじゃねぇの?」
信頼する民にこう言われたら答えない訳にはいかない。
腹を括るしかないようだ。
「………フーー……分かった。リッキー、ウィルトに向けての書状を書くから早馬で持って行ってくれ。その間に観光客の入領制限の張り紙と通達を行う」
「了解」
「クチオーロはこの話をオルソ殿に伝えてくれ。貿易の話は後にしよう」
「分かった」
バタバタと執務室が慌ただしくなり、レオナルドは再びため息を吐いた。
上手くいっていた事がこんなにも容易く崩れかけるとは。
慎重に積み重ねてきた全てが水の泡になるかもしれないこの状況が恐ろしい。
そこへコンコンコンとノックする音が響き、扉の向こうから妻のアルバと子どもたちが顔を覗かせた。
「レオ、今大丈夫かしら」
「……あぁ、大丈夫だ。どうした?」
「メルダ姉ちゃんが父さまのところに行けって」
「メルダが?」
「……貴方ここ最近ちゃんと寝てないでしょ。私にはあれだけ寝ろってうるさいのに自分には言わないんだもの、メルダがわざわざ教えてくれたんだから」
「いや、それは……だな……」
痛いところを突かれたように笑うレオナルドの手にアルバは自分の手を添えた。
温かい手だ。触れているだけで疲れも飛びそうなほど美しくて温かい。
「この間の連れ込まれかけた件よね」
「………まぁそれもあるな」
「あれ以来コーディーも街の大通りは怖がるようになってる。エルもルチェも外には出せないわ」
「そうか……コーデリウス、街が怖いか?」
長男のコーデリウスは小さく首を縦に振った。
いつも快活な長男がこれ程までになっているとなると、事態はかなり深刻のようだ。
コーデリウスはアルバに似てパールグレーの髪をしており、顔立ちはレオナルドを幼くしたような整った顔立ちをしている。
先日、気分転換に母のアルバと2人で街に出て屋台や雑貨屋を回っていたところを、荒くれ者3人に囲まれ細い路地に引きづり込まれかけた。
荒くれ者は人身売買系の犯罪集団の受け子で、巡回中の騎士団によってその場で捕まり何とか事なきを得たが、幼い子どもには相当のストレスとトラウマになってしまっている。
アルバも腕を強く掴まれた痕と引っ張られた拍子に転んで擦り傷ができていた。
「コーディーの事もそうだが、最近の観光客には少し思うところがあったんだ。リッキーもクチオーロも他からも意見が寄せられたからな……しばらくの間、観光客の入領に制限をかけて様子を見る事にした。一旦事態が治まるまでは貿易商のみの往来にするつもりだよ」
「そう……」
「だからもう少し」
「あ、それはダメよ。今すぐお休みに入って。どうせウィルトに向けた書状を書くつもりだったんでしょうけど、そんな事しなくても伝わってるわ」
なんの事だ、と首を傾げたレオナルドだったが、その意味をすぐに理解した。
再びのノックと共に入ってきた騎士を見たから。
「邪魔するぞお義兄様。皇帝陛下からのお手紙をお届けだ」
「………マジかよ」
入ってきた騎士、帝国騎士団統括官のアクィリオはコーデリウスの頭をくしゃくしゃと撫でて顔を上げた。
「あんだよ手紙届けちゃ悪いのか」
「違う違う、なんで陛下が知ってるんだ」
「そりゃ伝えたヤツがいるからだよなぁ?」
それで全て察した。
アクィリオはレオナルドとアルバの子どもたちであるコーデリウス、エルロンド、ルチアの叔父で、目に入れても痛くないと言わしめる程可愛がっていた。
つい5日ほど前にも遊びに来ては子どもたちにデレデレして帰っていったはず。
その時にアルバとコーディーの件も踏まえて状況を皇帝・ゲラルト=ウィルトアートに伝えたのだろう。
「遠戚とはいえ血の繋がりがある以上、陛下は姉さんとコーディーの事を心配なさっておられる。実際ウィルトの方でも過激なファンがいてな……今対応に追われてるのもある。だから観光客の制限はレオの判断に任せるって話だな」
「そうか……悪いな」
「何言ってんだ。大事な姉さんと義兄さん、可愛い甥っ子姪っ子たちが困ってんのを見過ごすような真似はしたくないだけなんだ」
アクィリオはズボンをギュッと握ってきた長女ルチアを抱き上げるとにっこりと笑った。
羨ましくなったのか、ん、と両手を上げて次男のエルロンドが抱っこをせがみ、両腕に子どもたちを抱える形になっても笑顔のままだ。
「ありがとなアクィリオ」
「どういたしまして。てか寝ろ」
「え゛」




