表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/17

第9話 卒業生会議

魔王城の大食堂には、先程までとは違う重い静寂が降りていた。


 フィアは疲労から医療区画のクラウスの傍らで眠りについており、長机には彼女のための七脚目の椅子が、ぽつんと空席のまま置かれている。厨房の精霊たちが、冷え切っていた鍋を火にかけ直し、私たちの前に新しく温かいスープを配り直して去っていった。


 湯気の立つ器を前に、歴代の勇者六人が席に着いている。


 私は、人間領へ越境し、教会の新たな選定を止めるという方針だけを彼らに伝えた。


「……これが、これからの私の方針です」


 私は彼らの顔を順番に見渡した。五十年、あるいは数年前からこの城で暮らし、それぞれの仕事と生活を築き上げてきた彼ら。彼らを再び、あの死地であった人間領の戦いへ動員することに、私は強い恐れを抱いていた。


「ですが、あなた方が私に同行する義務はありません。あなた方にはすでに、医師、鍛冶師、商人、記録官、聖職者としての生活がある。人間領へ戻れば、見つかった瞬間に教会の異端審問にかけられる危険がある。不参加を選ぶ自由は、完全にあなた方にあります」


 私はそう言って、彼らの前に選択肢を置いた。


 だが、その時の私は、彼らを守りたいという庇護欲から、極めて重大な過ちを犯していた。百人選定の事実と、大祭まで三十日という切迫した期限を、意図的に伏せていたのだ。情報が少なければ、彼らは合理的に不参加を選ぶだろうと考えたからだ。


「行くなら、話は単純だ」


 最初に沈黙を破ったのは、第二代のバルトだった。彼は自身の革袋から、一枚の羊皮紙を乱暴に机の真ん中へ放り投げた。


「ヴァルター・クレメンス。あの大神官の寝首を掻くのが一番早い。俺は、教会の金属探知をすり抜け、音もなく鎧を貫通する刃物の設計図を引ける。俺が道具を作る。誰かがやればいい」


 彼は魔王城で農具や鍋を作る鍛冶師となったが、同時に、人を最も効率よく殺すための技術も磨き続けていた。彼は自分がその殺戮の道具を作れることをひどく嫌悪しているはずだが、今は怒りに任せてその力に頼ろうとしている。


「俺がやる」


 即座に手を挙げたのはノエルだった。


「俺にその武器を寄越せ。俺があいつを殺す」


「駄目よ、二人とも」


 第五代のリーゼが、バルトの設計図を冷たい手で押さえた。


「大神官一人を暗殺したところで、教会という組織は止まらない。かえって彼を殉教者に仕立て上げ、強硬派が実権を握って選定を加速させるだけよ」


「リーゼの言う通りです。命を奪うことでは、制度そのものの治療にはなりません」


 エルナも静かに同調した。


「なら、どうするんだよ! また何十年もかけて、証拠集めのおままごとを続ける気か!」


 ノエルが机を叩く。私は「理念だけでは制度を倒せない」という彼の怒りを、言葉で論破することができなかった。


「おままごとで時間を稼いできたわけじゃないわよ、ノエル」


 第三代のシルヴィアが、分厚い革張りの帳簿を数冊、机の上に積み上げた。


「ネレイア様が私たちを保護し続けるための資金と、人間領での潜伏調査の費用。それらを捻出するために、私の商会がどうやって利益を上げてきたか、教えてあげる」


 シルヴィアは帳簿のページを開いた。そこには、王都へ向かう物資の流通経路と、莫大な利益の数字が並んでいる。


「……教会が地方から徴収した物資の物流よ。麦や冬着を王都へ運ぶ契約に、私の商会も三年間加担した。その利ざやで私は調査資金を作った。私はただの被害者じゃない。間接的に、彼らを苦しめる側に立っていたのよ」


 シルヴィアの告白に、食堂の空気が一段と重くなった。


 しかし、罪を告白したのは彼女だけではなかった。


「僕もです」


 第四代のヨアヒムが、封蝋がされたままの古い記録の束を取り出した。


「四年前。僕は文書院で、ある国境の村から十一歳の子どもが特例で選ばれるという内部決定の文書を見つけました。すぐに村へ警告を送れば、その子は逃げられたかもしれない。……でも僕は、その文書が選定手続を崩す証拠になると考え、偽造される前の原本を守ることを優先した。救出要請を遅らせた結果、その子は選定の途中で熱病にかかり……死にました」


 ヨアヒムは血の気の引いた手で、その記録の束を強く握りしめていた。


「私だって同じです」


 リーゼが、未提出のまま古びた教会内部の告発報告書を机に置いた。


「神殿の地下にある刻印調整室で、子どもたちが泣き叫んでいるのを知っていた。でも、私がそこで告発すれば、内部調査の足がかりを完全に失う。だから私は、耳を塞いで、祈るふりをして生き延びた。あの導管がどこへ続くのかさえ突き止められないまま」


「……私も、過去に刻印の激痛に耐えかねた子の処置を誤り、救えなかった診療記録を封印しています。自分の判断ミスを認めることができなかったからです」


 エルナが静かに目を伏せた。


 彼らは机の上に、それぞれが手に入れた「制度を倒すための証拠」と同時に、「自分たちが手を汚し、失敗してきた事実」を提示した。


 全員が教会の被害者だ。しかし、この五十年の間に、彼らは生き延びるために沈黙し、利益を得て、証拠を優先し、暴力への願望を抱える、欠落を持った大人になっていた。善良で無垢な被害者という、綺麗な一枚岩ではないのだ。


 シルヴィアが、冷ややかな視線を私に向けた。


「ネレイア様。あなたは私たちに『不参加の自由』を与えようとした。でも、あなたは重要な情報を意図的に隠しているわ」


「……何のことですか」


「あなたが人間領へ直接赴くほどの事態。そして、回収隊があれほど焦っていた理由。ただ一人の勇者の身柄返還だけなら、ここまで急ぐ必要はないはずよ」


 シルヴィアの商人の目は、私の隠し事を正確に見抜いていた。


「危険の規模と期限を隠したまま『選べ』と言うのは、私たちが判断を誤って城に残るように仕向けるための、ただの過保護よ。……必要な情報を与えずに選択を強要する。それじゃあ、私たちが憎んだ教会のやり方と同じじゃない」


 その言葉は、鋭い刃となって私の胸に突き刺さった。


 私は彼らを保護する対象としてしか見ておらず、彼ら自身が背負ってきた罪や覚悟を軽く見ていたのだ。彼らはもう、私が守るだけの弱い子どもではない。対等に情報を共有し、共に戦うべき大人なのだ。


 私は深く息を吐き、自分自身の過ちを認めた。


「……あなたの言う通りです、シルヴィア。私は、あなた方を守りたいあまり、選択に必要な事実を伏せました。謝罪します」


 私は姿勢を正し、机の上に残された彼らの罪の証拠を見つめながら、改めて口を開いた。


「デリクから押収した命令書と、予算の動きからの推測です。教会は、三十日後の大祭を期限として、新たに百人の子どもたちを一斉に選定し、王都へ集めようとしています」


 百人。三十日。


 具体的な数字と期限が示された瞬間、六人の表情が一変した。


「百人全員が討伐の勇者になるわけではありません。表向きの一人以外は、予備か、何らかの補助契約に使われると見ています。正確な用途はまだ分かりません。ですが、刻印と移送はすでに始まっているはずです」


 私は隠蔽を取り払い、最も過酷な現実を彼らの前に置いた。


「これが、私が人間領へ行く本当の理由です。……事実を知った上で、もう一度問います。あなた方は、どうしますか」


「決まっているだろ」


 バルトが、机の上の設計図を乱暴に丸めて革袋に突っ込んだ。


「俺は人殺しの道具を作るのはやめだ。あの子どもたちが王都の地下から逃げ出せるための、魔力を遮断する防具を作る」


「私の商会の物流網をすべて裏から操作するわ。教会の物資搬入を遅延させ、大祭の準備を物理的に麻痺させる」


 シルヴィアが帳簿を閉じ、冷酷な笑みを浮かべた。


「僕は、教会が改変したすべての公文書の原本を公の場に引きずり出します。一つの隙もない、完璧な歴史の証拠として」


「私は一般の信徒たちが、権力と真の信仰を分けられるよう、教会の内部から彼らの物語を切り崩すわ」


「私は、傷ついた子どもたちを誰一人死なせないための、医療の準備を」


 ヨアヒム、リーゼ、エルナが次々と自身の役割を口にする。


 目的は「百人の救出と制度の停止」。しかし、彼らの手段は綺麗に一致しているわけではない。


 そして最後に、ノエルが口を開いた。


「俺は……」


 彼は冷めたスープの表面を睨みつけ、ギリッと奥歯を鳴らした。


「俺の六年を奪ったあいつらを、絶対に許さない。俺は、復讐のために行く」


 ノエルは自分の暴力的な動機を取り下げなかった。制度改革や子どもたちの救助という大義名分に迎合することなく、ただ自分の怒りを抱えたまま、彼は席に残り続けた。


 私は彼を否定しなかった。目的も手段も、抱えている罪も違う。だが、ここにいる六人全員が、自身の足で立ち上がり、私と共に人間領へ向かうという『選択』を完了した。


 私たちは、決して善良で美しいだけの協力体制ではない。しかし、五十年の失敗と痛みを共有した、極めて強固な戦力だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ