第8話 次は百人
城門の外で膠着していた教会の回収隊は、隊長であるデリクが制圧されたことで指揮系統を失った。武器を地面へ置かせた後、私は足元の拘束だけを解いた。兵たちは負傷者を支え、一時的に後退していった。
彼らの中の若い兵士、アベルは、最後まで私たちに武器を向けようとはしなかった。だが、彼一人に部隊全体を寝返らせるほどの力はなく、他の兵士たちと共に逃げるように岩肌を下っていった。追撃はしない。私たちの目的は彼らの殲滅ではないからだ。
私たちは、拘束したデリクを引き立てて城内へ戻った。
魔王城の執務室。長机の端には、数時間前にフィアが残していった朝のスープが、すっかり冷え切って脂の膜を張っていた。
私はその横に、デリクから押収した泥だらけの革鞄の中身をぶちまけた。
「……これが、教会の言う『救出』の真実ですか」
机の上に広げられたのは、何枚もの羊皮紙と、教会の印が押された分厚い命令書だ。
その中の一枚、真新しい名簿の様式に私は目を留めた。そこには名前を書き込むための空欄が、びっしりと百人分並んでいた。
「第七代勇者を奪還できなかった場合の、予備計画。……いや、違いますね。日付の古さから見て、あなたがたがフィアを魔王城へ向かわせた直後には、すでにこの次の選定計画が動き出していた」
私は命令書をめくりながら、淡々と事実を拾い上げていく。
「百人の子どもたちを一斉に選定し、王都へ移送する。指示書には、通常の護衛班だけでなく、大規模な『医療班』の同行が明記されている。さらに……」
私は部屋の隅の資料棚から、ヨアヒムたちが過去に持ち出していた教会の予算書を引っ張り出し、机の上に並べた。
「過去の記録と照合しても、この規模の選定は異常です。一度に百人もの子どもを『魔王討伐の勇者』として表舞台に出すことは不可能です」
私は契約の当事者と代償を見る『契約視』の魔力を持っているが、まだ名前も書き込まれていない名簿の束から、彼らがどのような契約を結ばされるかまでを断定することはできない。
だが、複数の資料を突き合わせれば、おのずと輪郭は浮かび上がってくる。
「百人全員が勇者になるわけではない。一人の表向きの勇者、数人の予備、あるいは次世代の候補。そして残りの大部分は……魔王討伐とは全く別の、何らかの『補助的な契約』のために集められると推測できます」
「俺は、詳しい用途までは知らされていない!」
床に膝をつかされ、後ろ手に縛り上げられたデリクが、言い訳のように叫んだ。
彼はクラウスの視線を避けるように床を見つめながら、自分が知っている断片的な情報を、自身の罪を少しでも軽くするかのように吐き出した。
「上層部からは、三十日後に迫った教会暦の『大祭』までに、どうしても百人の候補者が必要だと聞かされている! 王都を囲む結界……灰獣の侵入を防ぐための巨大な『祈りの柱』の力を維持するために、純粋な祈りを捧げる子どもたちがいるのだと!」
彼は、勇者制度を単なる嗜虐や権力者の娯楽としては捉えていなかった。王都防御という、教会が用意した正当な大義を信じ、そのために自分は汚れ仕事をしているのだと自己を納得させていたのだ。
だが、その大義の裏で子どもたちがどのような代償を払わされるのか、彼は知ろうともしなかった。
「大祭まで、あと三十日」
クラウスが、重い声でその数字を繰り返した。
「選定の手続きや、各村からの移送期間を考えれば、教会の実働部隊はすでに各地方で動き始めているはずだ」
クラウスは、自分の足元で身を縮めているフィアを見た。
村、国、元部下への責任に迷いながらも、彼は先程の城門で、たった一人の娘を守ることを選んだ。だが今、百人というあまりにも巨大な数字と、残される子どもたちへの責任の重さの前に、元騎士団長としての彼は言葉を失っていた。
「……ねえ」
重苦しい沈黙を破ったのは、フィアの細い声だった。
彼女はクラウスの大きな手をきゅっと握りしめ、私とデリクを交互に見つめた。
「わたしが、帰れば……その百人の子たちは、選ばれないの?」
「フィア! 何を言っている!」
クラウスが即座に否定の声を荒げた。娘が自己犠牲の考えに囚われることを、彼は何よりも恐れていた。
「お待ちください、クラウス」
私は彼を片手で制し、フィアの目線に合わせてしゃがみ込んだ。
「フィア。あなたが今、自分の身を差し出そうと考えた理由を聞かせてください。教会の命令が怖いからですか。それとも、役に立たないと自分が生きていけないと思うからですか」
フィアは首を横に振った。
「ううん……違うの。わたしが逃げたら、代わりの子が連れて行かれちゃうんでしょう? 百人も……。だったら、わたしが魔王城に辿り着けなかったからだって言って、教会の人のところへ戻れば……その子たちは、お父さんやお母さんと、ずっと一緒にいられるかもしれないから」
教会に植えつけられた恐怖だけで出た言葉ではなかった。自分が父親を失いかけたからこそ、ほかの子どもに同じ思いをさせたくない。その気持ちも、確かに混じっていた。
私は彼女のその意志を否定せず、ただ論理的に、現時点で確認できる事実だけを伝えた。
「あなたの考えは立派です。ですが、あなたが戻る必要はありません」
「……え?」
「教会は、あなたが魔王城に到達する前から、百人を集める手筈を整えていました。あなた一人の欠員補充ではありません。あなたが戻っても計画は止まらず、あなたまで再拘束されるだけです」
フィアは小さく息を呑み、そして、安堵したようにクラウスの外套の裾を握り直した。
百人を救うために、目の前の一人の子どもの未来を犠牲にする必要はない。その事実が確認できたことで、私たちの作戦の方向性は明確に定まった。
「クラウス。フィア」
私は立ち上がり、二人を見た。エルナはクラウスの包帯を替えるため、ほかの元勇者たちは退いた回収隊の警戒と資料の確認に出ている。
「これまでは、魔王城に到達した子どもを私が保護し、追っ手を退けることで彼らの命を繋いできました。しかし、相手が百人の選定と移送を同時に行うとなれば、この城の玉座でただ待っているだけでは、彼らを救うことはできません」
大祭までの三十日という期限。
それは、教会の手から子どもたちを奪還し、制度そのものを止めるために残された日数だった。
私は机の端で冷え切ったままのスープの皿を見つめ、静かに、だが決して覆ることのない決意を口にした。
「私たちが、人間領へ行きます」
クラウスが深く息を吐き、フィアが私の顔を見上げた。
「魔王である私が、直接国境を越え、白陽王国の内側へ入ります。狙うのは百人の候補者の救出、そして、この狂った勇者制度の完全な解体です」
人間領における私の魔力は、一割未満にまで激減する。それは死地へ飛び込むに等しい行為だった。
だが、クラウスは驚くことなく、ただ深く頷いた。
フィア一人の保護から始まった小さな抵抗は、今、国を巻き込む巨大な制度との直接対決へとその姿を変えた。私たちは、越境のための準備を静かに開始した。




