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第6話 救出隊は、口封じに来た

魔王城を囲む険しい岩肌を縫うようにして吹き上げる冷たい風の中、城門の外縁に少数の人間たちが整列していた。


 教会の紋章が縫い取られた厚手の外套を着た二十名ほどの兵士たち。その先頭で、風にはためいているのは、皮肉にも降伏や休戦を示すものではなく、教会が「不当に囚われた者を奪還する」という大義を示すための白い救出旗だった。


 彼らは魔王城へ全面侵攻を仕掛ける正規軍ではない。薄暮盟約を決定的に破り、灰獣の侵入を招くような大規模な軍事行動を、教会もすぐには起こせないからだ。彼らはあくまで、秘密裏に標的を回収し、あるいは始末するための小規模な部隊だった。


 城門の内側で、私は静かに彼らを見下ろしていた。


 私の傍らには、移動椅子へ身体を預けたクラウスがいる。腹部を縫合して一夜しか経っておらず、エルナから許されたのは短時間の同席だけだ。証拠として羽織った騎士外套には、彼自身の血が赤黒くこびりついている。その後ろでは、十一歳のフィアがエルナの手を握って身を縮めていた。


「……デリク」


 クラウスが、低い、しかしよく通る声で、隊列の先頭に立つ男の名を呼んだ。


 隊長であるデリクは、クラウスの元部下だ。かつては背中を預け合った間柄でありながら、今は完全に敵対する位置に立っている。デリクの顔には、かつての上官を崖下へ突き落としたことへの微かな負い目が見え隠れしていたが、彼はすぐに表情を硬くし、教会の兵としての冷徹な仮面を被り直した。


「おとなしく剣を引いてください、クラウス・エルデン卿」


 デリクは、手にした羊皮紙の命令書を掲げながら大声で宣言した。


「我々教会回収隊は、魔王によって不当に誘拐された第七代勇者フィアの救出、ならびに、魔王の洗脳を受けて判断能力を失い、王国を裏切った元騎士団長の身柄返還を要求する!」


 魔王による誘拐と、洗脳による裏切り。


 それが、教会がこの状況に与えた公式な筋書きだった。クラウス本人の生きた姿を前にしても、彼をすでに正気を失った者として扱うことで、自分たちの非道な行いを正当化しようとしているのだ。


 デリクは「救出」という言葉を盾にしている。上位の命令にさえ従っていれば、自分も部下も処罰を免れることができると信じ、考えることを放棄している人間の声だった。


 その言葉を聞いたフィアが、ビクッと肩を震わせた。


 白陽の兵士たちの見慣れた制服、そして聞き慣れた教会の定型的な祈祷の言葉。それらは彼女の心に深く植え付けられた恐怖と条件反射を呼び起こす。自分が言う通りにしなければ、お父さんが殺されてしまう。自分が戻らなければ、誰かが罰を受ける。


「お父さん……わたし、行かなきゃ……」


 フィアが虚ろな瞳で呟き、自ら城門の外へ歩み出ようとする。


 クラウスが咄嗟に片腕を伸ばし、娘の肩を抱き留めた。


「だめだ、フィア。あいつらは、お前を助けに来たわけじゃない」


 だが、フィアの耳にはもう父親の声は届いていないようだった。


 デリクが、手にした命令書の文面へ視線を落とし、教会の正式な返還命令の定型文を読み上げ始めた。


「『大いなる光の導きのもと、神に選ばれし子よ。汝の使命を全うすべく、今ただちに我らの元へ帰還せよ』――」


 その瞬間だった。


 フィアの鎖骨の下に刻まれた『勇者刻印』が、衣服を透かして不吉な赤黒い光を放った。


「あっ……ぁっ……!」


 フィアは喉を掻きむしるようにして両手を首に当て、激しい呼吸困難に陥った。彼女の膝が折れ、そのまま石畳の上に崩れ落ちそうになる。


 私は『契約視』の魔力を目に集め、即座にフィアの胸元を凝視した。


 見えたのは、ただの遠隔操作の魔法ではない。デリクが読み上げた教会の定型文そのものが、フィアの身体に刻まれた刻印の作動を強制的に引き起こす『発動鍵』として機能していたのだ。


 彼らの言う「救出手続」とは、自発的な帰還を促すものではない。対象の身体を内部から縛り上げ、強制的に命令へ従わせるための再拘束の手段だった。


「ネレイア様!」


 エルナが素早くフィアの背中を支え、クラウスが激痛に耐えながら娘の手を握りしめる。


 私は契約の糸の流動を止めようと魔力を編み上げた。しかし、副契約が複雑に絡み合ったこの新型刻印は、どこまでが本人への罰で、どこからが家族や故郷への人質としての圧力なのか、魔力の行先と上層の意図がすぐには読み切れない。


 私の介入が一瞬遅れたその隙に、刻印の痛みが容赦なくフィアの小さな身体を打ち据えた。


「うぁっ……お父さん……痛い……!」


 フィアの絶叫が冷たい風の中に響く。


 私は自分の舌打ちを噛み殺し、魔力をフィアの刻印ではなく、城門の外にいる兵士たちの足元へと向けて一気に解放した。


 ズン、と。


 大地そのものが震えるような重い地鳴りが起こった。


 教会の兵士たちが一斉に体勢を崩す。彼らが踏みしめていた地面の泥や石が、まるで生きた蛇のように這い上がり、彼らの足元を金属のブーツごと完全に床や地面へ固定した。


 それだけではない。彼らが手にしていた長槍の柄や、腰に提げた剣の鞘も、同様に周囲の岩や地面と強固に癒着し、いくら力を込めても微動だにしなくなった。


「な、なんだこれは……!」


「武器が抜けない! 足が……!」


 私は彼らの命を奪うつもりはない。大量殺傷を伴う全面侵攻は、灰獣の侵入を防ぐという私の本来の役割を危うくするからだ。私はあくまで、彼らの武器と足場だけを封じ、戦闘継続を不可能にすることだけを目的とした。


 混乱する隊列の中で、ただ一人、武器を抜こうともせず、地面に固定された長槍を握ったまま力なく腕を下げている若い兵士がいた。


 アベルという名のその若兵は、震える瞳で城門の内側を見つめていた。


 彼の視線の先にあるのは、おぞましい魔王の姿ではない。激しい痛みに身を捩り、血を吐くようにして泣き叫ぶ十一歳の少女の姿であり、それを必死に庇う、血まみれの元騎士団長の姿だ。


 教会から教えられてきた「神聖な勇者救出」の物語。それと、目の前で刻印の激痛に苦しむ衰弱した子どもの姿が、アベルの中で決定的な不一致を起こしていた。これが本当に救出なのか。自分たちは、この親子を殺そうとしているのではないか。


 追撃と捕縛の命令が下されたにもかかわらず、アベルの動作は明らかに遅れ、彼は隊列から孤立したように棒立ちになっていた。


「アベル! 何をしている、構えろ!」


 デリクが、足元の拘束を振りほどこうと必死にもがきながら、迷いを見せた若兵を激しく叱責した。


「惑わされるな! あれは魔王の幻術だ! 我々は正しい命令に従い、勇者を救わなければならないのだ!」


 デリクはそう叫ぶことで、自分自身の心の中にある疑念をも必死に押さえ込もうとしているようだった。命令という絶対の規律を取り戻さなければ、彼自身が恐怖に押し潰されてしまうのだ。


 私は足場を封じたまま、ゆっくりと城門の際まで歩み出た。


「その定型文を二度と口にするな」


 私の静かで冷たい怒りを孕んだ声に、兵士たちの動きがピタリと止まる。


「あなたがたの言う救出が、子どもに激痛を与える拘束であることは理解しました。もう、その文言を読ませません」


 私の警告に、デリクは命令書を握る手を微かに震わせた。だが、彼は任務を諦めなかった。


 物理的な拘束では私たちに敵わないと悟った彼は、最後の、そして最も卑劣な手札を切った。


「……クラウス団長」


 デリクは私を無視し、苦痛に耐える娘を抱きしめているクラウスに向かって叫んだ。


「目を覚ましてください。我々も、これ以上手荒な真似はしたくない。今ここでフィアを返還し、あなたが投降するなら、あなたの故郷の村への処分を大幅に軽減すると上層部から確約をもらっています」


 冷たい風が、デリクの言葉を運んでくる。


「すでに村は、教会の地方神官と国境警備隊によって包囲されているはずです。あなたがこのまま娘を渡さず、裏切り者として逃亡を続けるなら……あの村の人々がどうなるか、あなたにも想像がつくでしょう」


 村の処分軽減と、娘の返還。


 それを明確な交換条件として、彼は提示した。


 クラウスの表情が、目に見えて蒼白になった。彼の故郷の村が今現在どのような状況にあるのか、本当に人質として危険な状態にあるのか、今の私たちには確認する術が一切ない。


 デリクの言葉が真実であれ嘘であれ、クラウスにとって村の安否は決して切り捨てられるものではない。彼は元騎士団長として、自分を慕ってくれた村民たちへの重い責任を背負っている。


 フィアの再拘束と、クラウス自身の口封じ。それが回収隊の真の目的だ。だが、その目的を達するために彼らが使ったのは、剣や魔法ではなく、一人の父親の良心と責任感を利用する、あまりにも残酷な天秤だった。


 クラウスは、痛みに喘ぐ娘の小さな背中を庇うように抱きしめたまま、沈黙した。


 村を取るか、娘を取るか。


 彼がどのような返答をするか、私は息を潜め、ただ彼の背中を見つめ続けることしかできなかった。

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