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第40話 大神官を、人として裁く

聖灯炉が破壊され、国王とイレーネ王女の連署によって代理契約が正式に無効化されてから、約二か月が経過していた。


 薄暮盟約に基づく正規の共同境界防御は、現在も夜境領のラウラたちと王都の魔術網を接続して実働している。灰獣の脅威を退けるという名目で維持されてきた教会の欺瞞は、もはや完全にその根拠を失っていた。


 王都の大広場に特設された公開法廷。私は傍聴席の最前列で、勝者としてではなく、ただの記録の観察者として静かにその光景を見つめていた。


 法廷の中央に置かれた長い机の上には、六人の元勇者たちとクラウスが集めた品々が並べられている。それらは単なる物の集まりではなく、五十年にわたる一つの巨大な制度犯罪の構造を可視化する確たる証拠だった。


 若い書記官たちが持ち出した写しと、焼け残った『四十』の紙片、それを照合した各地の文書院記録。シルヴィアが数字で暴いた勇者税の違法な帳簿。エルナが証言した刻印実験による火傷の医療記録。回収隊が持っていた百人選定の命令書。私が魔王城で保管し続けた、家族へ宛てられた未送付書簡。そして、最初の聖剣使いが四十二歳の女性将軍アーデルハイトであった事実を示す、薄暮盟約碑の拓本。


 点在していた矛盾と被害が、今、一本の太い線となって教会を縛り上げている。


 高壇には、国王アルベルト四世とイレーネ王女が座していた。彼らは教会に全ての責任を押し付けることはせず、王家が長年にわたり権限を委任し、勇者税を承認し、死の検証を怠った責任を公に認めた。そして王家の財産の一部を、被害者への補償基金へ拠出すると明言している。


 その高壇の下、被告席に並ぶのは、文書院長グレゴール、宣教司教ロドリク、勇者選定官ベネディクトら、実務を担った幹部たちだ。


 そしてその中央に、ヴァルター・クレメンスが座していた。


 彼はまだ豪奢な法衣を纏い、最高位の証である指輪を嵌めている。判決を待つ身でありながら、彼は多数のための少数の犠牲という自らの秩序を説こうとし、自らを裁かれる側とは認めていなかった。


 リーゼが被告席へ歩み寄った。


 神官服の襟はきちんと留められている。彼女はこれまで何度も、信仰を捨てることと、組織の命令へ従わないことは別だと語ってきた。その区別を、今日は自分の手で形にするらしい。


「ヴァルター・クレメンス。人の法と教会の規則に基づき、判決に先立ち、あなたの聖職を剥奪します」


 彼女は抑揚のない声で告げ、衛兵に合図を送った。


「なっ……! 私を裁けるのは神のみだ! 私はこの都の秩序を……」


 彼の抵抗の言葉は、強制的な実力行使によって途切れた。


 衛兵の手によって、彼の肩から金糸の刺繍が施された法衣が剥ぎ取られる。首元から教会の権威を示す聖印が外され、右手からは大神官の指輪が乱暴に引き抜かれた。床へ落ちた杖が、カラリと虚しい音を立てて転がる。


「異端審問会および臨時王立会議の決定により、あなたの聖人候補としての資格、ならびに教会守護者の称号を正式に取り消します」


 リーゼが宣言すると同時に、彼の背後に置かれていた『最高位の席』が、二人の兵士によって持ち上げられ、法廷の隅へと撤去された。


「跪け! 私を誰だと思っている! 私は大神官だぞ!」


 席を失ったヴァルターが叫ぶ。


 列席した地方司祭の中には目を伏せる者がいた。祈り続ける者も、彼を見据えたまま動かない者もいる。広場を囲む遺族や信徒の反応も一様ではなかった。ただ、彼の命令で跪く者はいなかった。


 装飾をすべて剥ぎ取られ、ただの粗末な衣一枚となったヴァルターは、床に両手をついて荒い息を吐いていた。


 称号も、席も、信徒からの支持も失った。それでもなお、彼は歴史に自分の意味を残すことを諦めなかった。


「……ならば、殺すがいい」


 彼は顔を上げ、血走った目で高壇を睨みつけた。


「私を極刑に処せ! 愚かな民草のため、この私が犠牲となるのだ! 私の死は、大義のための殉教の物語として、永遠に歴史に刻まれるだろう!」


 自分を悲劇の殉教者へ作り替えることで、最後の物語の主導権を握ろうとする執着。


 しかし、リーゼが冷徹にその退路を塞いだ。


「いいえ。あなたに死刑による殉教の物語は与えません」


 リーゼの言葉は、法廷全体に澄み渡った。


「あなたは宗教的象徴ではなく、ただの一人の人間として、人の法によって裁かれます」


 判決が下される。


 極刑ではなく、終身拘禁。


 彼には、暗い牢の中で生涯をかけて被害者たちの調書を聞き続け、自らが下した未解明の制度決定について延々と証言し続ける義務が科された。沈黙も、死による逃亡も許されない、人間としての終わりなき責任の追及だ。


 その時、王都の大鐘楼から、重く低い鐘の音が響き始めた。


 ごぉん。


 ごぉん、と。


 かつて教会の宣教司教が、死んだ子どもたちを『美談』に作り替えるために鳴らしていたその鐘は、今、極めて正確に、ただの事実として鳴らされていた。


 確認済みである死亡者と行方不明者、八十七人。


 名誉も装飾も剥ぎ取られた、八十七回分の、命の喪失の音。


 その重い響きに、広場の遺族たちが顔を覆い、すすり泣く声が漏れ聞こえる。


 やがて、八十七回目の鐘が鳴り終わり、法廷に深い静寂が訪れた。


 誰もが顔を上げようとした、その直後だった。


 ごぉん――。


 最後にもう一回だけ、ゆっくりと鐘が鳴った。


 ヴァルターが、虚ろな目をわずかに見開いた。


「……私を、悼む鐘か」


 その独り言のようなつぶやきを、リーゼは即座に否定した。


「違います。あれは、あなたがたが選定記録から消し去り、名前も、人数すらも戻らない子どもたちのために鳴らされたものです」


 ヴァルターはうなだれなかった。


「共同防御は、また失敗する。民は恐怖に耐えられず、いずれ子どもを差し出す。名を消したのは私ではない。秩序を欲した者たちだ」


 書記官の羽ペンが、公式記録の羊皮紙の上を走る。


「被告の発言として、記録しました」


 そこに記されたのは、威厳ある大神官の託宣ではない。ただ、『被告ヴァルター・クレメンス』という一人の老人の言葉だった。


 彼が座っていたはずの、ぽっかりと空いた最高位の席の跡地に、名もなき子どもへの最後の鐘の余韻が、いつまでも静かに溶けていった。

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