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第3話 死んだはずの歴代勇者、全員います

魔王城の奥深く、居住区画の中心に位置する大食堂。冷え切った石造りの城内において、ここは例外的に暖炉の火が赤々と燃え、温かな空気に満ちている。


 長大なオーク材の食卓には、先程厨房から運ばれてきたばかりの湯気の立つシチューと、焼きたての丸パンが並べられていた。


 数時間前まで崖の底で死の淵にあったクラウスは、エルナに寝台を離れることを禁じられている。それでも話を聞くと譲らず、背を起こした移動椅子で食堂へ運ばれてきた。十一歳の娘フィアを手の届く位置に座らせ、食卓の端から周囲を警戒している。


 彼の鋭い視線の先には、穏やかな笑みを浮かべた初老の女性――第一代勇者エルナがいた。


「私が、五十年前の第一代勇者エルナです」


 彼女の静かな自己紹介は、暖炉の薪が爆ぜる音に溶けた。


 しかし、クラウスは表情を崩さなかった。彼の右手は、椅子の脇へ置かれた借り物の剣から、数寸の距離を保ち続けている。


「信じろと要求する方が無理な話だ」


 クラウスは低く、ひび割れた声で言った。


「第一代勇者エルナは、五十年前の『嘆きの谷の戦い』で魔族の軍勢と刺し違えて戦死したと記録されている。王都の慰霊広場には彼女の像があり、毎年追悼の鐘が鳴る。……ネレイア殿。娘の命を救い、私を崖下から拾い上げたことには感謝する。私が先程フィアの聖剣に触れた時、わずかに光が応じたのも見た。だが、死者の幻影や魔族の洗脳で私を油断させようとしているなら、無意味だ」


 彼は娘の無事を確認し、私が治療を施した事実を見てもなお、私という存在と、目の前の人間の生存への信頼を明確に切り離して考えていた。それは騎士として、そして理不尽に命を狙われた父親として極めて正常な判断だった。


 エルナはため息をつかず、感情的な反論もしなかった。彼女は食卓の上に、古びた羊皮紙の束と、真新しい教会の小冊子を並べた。


「これは私が王都を出る直前に書かれた、私の死亡証明書の控えです。そしてこちらは、現在教会で配られている『勇者エルナの最期』の小冊子」


 エルナは自分の首元に手をかけ、衣類の襟を少しだけ下げた。鎖骨のすぐ下、皮膚に焼け焦げたような古い傷痕が見える。


「小冊子には、私が魔王の炎に焼かれながらも聖剣を突き立てたとありますね。ですが、私のこの傷は、選定試験の際に『勇者刻印』を刻まれた時の火傷の痕です。当時の記録官の署名入り診断書にも、刻印の手技による皮膚の欠損が記されています。教会は、この傷を魔王との戦闘の証拠として流用し、戦死の物語を作りました。私の遺体を見た者は一人もいません。王都の棺の中身は、ただの石です」


 クラウスは目を細め、書類のインクの褪せ具合とエルナの傷跡を交互に確認した。そこに魔法的な偽装がないかを測るように。


「幻影ならば、ここまで辻褄の合わない傷を用意する必要はありません。私は英雄として死んだのではなく、ただの十歳の子どもとしてここに辿り着き、ネレイア様に保護されました。今はここで、彼らの専属医師をしています」


 慰めや情に訴えるのではなく、純粋な医療的、記録的な事実の提示。それが彼女の証明だった。


「全くだ。神官どもの作る話は、いつも装飾過多で胸焼けがする」


 厨房の奥から、分厚い革エプロンを着けた大柄な男が現れた。第二代勇者バルトだ。彼は片手で重い鉄鍋を軽々と持ち運び、食卓の中央にドンと置いた。


「俺の時は『千の剣を打ち直して魔王軍の行軍を三日遅らせた』だったか? 十一歳の子どもがどうやって千本の剣を打つ。俺がまともに鉄を叩けるようになったのは、ここに来てからだ」


 バルトの無骨な手には、長年ハンマーを握り続けた者特有の分厚い豆がいくつもあった。


 続いて、食堂の重い木扉が開いた。


 冷たい夜風と共に、人間領の仕立ての外套に身を包んだ三人の男女が入ってくる。


「予定より三日早い帰還になりましたね、ネレイア様」


 帳簿を片手に歩み寄ってきたのは、第三代のシルヴィアだ。その隣には、書類鞄を抱えた第四代のヨアヒム、神聖な印が刻まれた飾り気のない杖を持つ第五代のリーゼが続く。


「三人とも。人間領での調査は無事に切り上げられましたか」


 私が問うと、シルヴィアが首元を押さえた。


「ええ。ですが、数日前に全員の『勇者刻印』が異常な痛みを放ち始めましたので」


「新しい勇者が選定され、大本の契約が大きく動いた証拠です。今回は痛みが強すぎた。あの痛みを抱えたまま王都で活動するのは危険でしたから、急遽、人間領での流通契約の確認を中断して戻った次第です」


 ヨアヒムが書類鞄を食卓の上にそっと置きながら言葉を継ぐ。


 彼らは、普段は人間領に潜伏し、商人、記録官、下級聖職者として、それぞれ勇者制度の裏側を調査している。大人の姿で王都を歩いても、幼くして死んだとされる勇者の成長した姿だとは誰も気づかない。


「じゃあ、この子が現役の七人目ってことね」


 リーゼが、クラウスの背後に隠れるフィアを見て、少しだけ目元を緩めた。


「……ほらよ、食え」


 不意に、フィアの目の前に焼きたての丸パンが放り投げられた。


 壁際に寄りかかっていた十七歳の少年、第六代のノエルだ。彼の口調には刺があり、視線はクラウスを威嚇するように鋭い。だが、彼の手から離れたパンは、フィアの皿の上に正確に着地した。


「お前らも腹減ってんだろ。食わねえと、魔王城の寒さじゃ凍え死ぬぞ」


 フィアはおとなしく父親の背後に隠れながらも、その高い観察力で食堂の構造、窓の位置、そして大人たちとの距離を静かに測っていた。


 そして彼女は、皿の上のパンと、食卓を囲む六人の大人たちを交互に見つめた。


 彼らの前には、聴診器、煤けた鉄鋏、数字のびっしり書き込まれた帳簿、インクの染みがついた羽ペンが置かれている。


「……戦って、ないの?」


 フィアの小さな声に、エルナが頷いた。


「ええ。私たちは誰一人、ネレイア様と戦っていません。ここは、私たちが生きて、自分の仕事をする場所ですから」


 教会から教え込まれた『伝説の勇者たち』は、一人残らず戦死し、王都の広場に冷たい石像として飾られているはずだった。


 しかし今、フィアの目の前にいるのは、鉄の匂いをさせ、帳簿をめくり、パンを分け合う生身の人間たちだ。魔王を倒さなければ帰れない、役に立たなければ生きられないという呪縛の向こう側に、確かに続く『生活』の実例がそこにあった。


 クラウスはゆっくりと剣の柄から手を離した。


「……書類の年代、インクの劣化、そして六人それぞれの異なる職業の熟練度。これらを幻影や一夜の偽装で作り上げることは不可能だ」


 彼は小さく息を吐き、私を見た。


「歴代の勇者が生きているという事実は、受け入れよう。だが、あなたが彼らをここに留め置いている目的が完全に善意であると信じたわけではない」


「それで構いません。あなたはあなたの判断で、娘を守りなさい」


 私はフィアに向き直った。


「フィア。少しだけ、あなたの胸元の刻印を見せてもらえますか。彼ら三人を人間領から呼び戻すほどの痛みを発生させた原因を確認しておきたいのです」


 フィアはクラウスを見上げ、彼が静かに頷くのを見てから、白い外套の襟を少しだけ緩めた。


 鎖骨のやや下。そこに、教会が子どもの身体に強制的に刻み込む『献身刻印』がある。


 私は契約の当事者、条件、代償を視覚化する『契約視』の魔力を薄く目に集め、彼女の肌を見た。


「……これは」


 思わず、声がわずかに硬くなった。


 過去六人の刻印とは、形も、そこから伸びる魔力の糸の数も全く違う。


 魔王への攻撃を強制し、秘密を話す声を封じ、大まかな位置を追跡する基本構造は同じだ。しかし、フィアの刻印からは、さらに太く禍々しい別の契約の糸が、城のずっと外、人間領の遥か彼方へと伸びていた。


「ネレイア様、どうしました?」


 エルナが医師の顔つきになり、一歩近づく。


「過去の六人とは仕様が異なります。彼女の刻印には……極めて強力な『副契約』が編み込まれています」


「副契約?」


 クラウスが眉をひそめる。


「ええ。おそらくは、遠く離れた別の命、あるいは土地と紐付いている。もし彼女が任務を放棄し、あるいはこの刻印を強引に引き剥がそうとすれば……その代償は、彼女自身ではなく、紐付けられた者たちへ向かう」


 その瞬間、フィアの小さな両手が、自分の襟を強く握りしめた。


 教会が彼女に教え込んだ言葉を、ただの脅しとして退けることはできなくなった。


 ――逃げれば、父と村が罰せられる。


 彼らは、十一歳の子どもの逃げ道を物理的な鎖ではなく、見えない家族や故郷という人質で完全に塞いで、この最前線へと送り出していたのだ。

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