第27話 裏切り者の公開裁判
王都の大神殿、その最奥に設けられた円形の神殿法廷。
天井の高いドーム状の空間には、教会の威信を示す荘厳な装飾が施されているが、今日のこの場を支配しているのは神聖さではなく、生贄を求める群衆の熱気だった。
傍聴席は、教会が意図的に広報を流したことで、熱狂的な信徒と好奇心に駆られた市民たちで埋め尽くされている。彼らの視線の先、すり鉢状の法廷の中央には、意図的に『空席』として用意された被告席があった。
検察役の高位神官が、分厚い教会の罪状書を読み上げる声が響く。
「被告人、元騎士団長クラウス・エルデン。彼は己の職務を放棄し、あろうことか第七代勇者を魔王の手へ引き渡した裏切り者である……」
教会側は、クラウスを最初から不在の罪人として処理するつもりだった。彼が魔王の洗脳を受けて判断能力を失っているという前提のもと、法廷も、記録も、傍聴人の心理も、すべて教会側の完全なコントロール下に置かれている。
私は傍聴席の最上段、目立たない柱の陰からその様子を見下ろしていた。私の隣には、深くフードを被ったフィアが息を潜めている。彼女の小さな両手は、自分の片方の手袋を、指の関節が白くなるほど強く握りしめていた。まだ彼女は、自分の生存をこの王都に公表してはいない。
検察役が「被告人不在のまま、結審を……」と宣言しようとした、その時だった。
法廷の脇にある控え室の重い扉が開き、一人の男が静かに歩み出てきた。
クラウスだった。
彼は騎士の正装ではなく、縫い直した暗い外套を羽織っていた。腹の傷はまだ塞がり切らず、わずかに足を引きずっている。それでも背筋は真っ直ぐに伸びていた。
「……被告人は、ここにいる」
クラウスが空席のはずの被告席に自ら立ち、静かに、だが法廷の隅々にまで届く声で宣言した。
法廷が大きなどよめきに包まれる。死んだ、あるいは逃亡したと思われていた裏切り者の本人が、自ら死地である法廷へ姿を現したのだ。
しかし、検察役の神官は動揺を見せなかった。
「……出廷は認めよう、クラウス・エルデン。だが、あなたの罪が消えるわけではない」
教会側はクラウスの人格を直接罵倒することはせず、極めて事務的に、手続上の罪を一つずつ積み上げていった。
「あなたは勇者誘拐の現場において教会の回収隊に抵抗し、職務を放棄した。そして現在、魔王と共謀して王都へ潜伏している。これらの事実に相違はないか」
クラウスは用意された証言台の前に立ち、そこに置かれた水の入ったグラスには一切手をつけず、真っ直ぐに検察役を見返した。
「私は娘を魔王に売ってはいない。私が抵抗したのは、教会の回収隊が、勇者である娘を一人で門へ向かわせた直後、護衛である私を包囲したからだ」
彼は父親としての感情論を一切交えず、事実だけを証言した。自分が代わりに決断しようとして失敗した過去を戒めるように、娘の意思や感情を勝手に代弁することはしなかった。
「日付が変わって第二鐘の後、魔王城南の岩場で、回収隊は『父親が生きて帰れば証言者になる』と言った。私は腹を刺され、崖下へ落とされた」
クラウスは外套の留め具を外し、包帯の下に残る傷の位置だけを示した。
傍聴席がざわめく。しかし、検察役は冷ややかな笑みを浮かべた。
「魔王の毒気に当てられ、記憶を歪められた可能性は否定できない」
その時、王女側の監察官が、証人の出廷を求める書面を裁判長へ差し出した。
別の扉から、一人の男が引き立てられてくる。魔王城で拘束された後、証人として王女側へ身柄を移していた回収隊長デリクだった。
「デリク隊長。この男の言う通り、あなたは彼を殺害しようとしたのか?」
デリクは青ざめた顔でクラウスを見、それから床へ視線を落とした。彼は自分の加担を隠しきれないと悟り、命令系統の事実を証言しようとした。
「……事実です。我々は上層部からの口封じの命令を受け、クラウス団長を崖から落としました」
決定的な証言。しかし、検察役の追及はそれを見越していた。
「異議あり。この男は魔王の城で拘束され、魔王側と何らかの『減刑の取引』をした上で、偽証を強要されているに過ぎない」
検察役は、回収隊詰所に保管されていたという命令書の控えを頭上に掲げた。
「見なさい。この命令書のどこにも『殺害せよ』などという記述はない。このデリクという男は、自身の任務失敗の罪を逃れるために、自己保身の嘘をついているだけだ!」
「減刑の約束など受けていない。これを認めれば、私自身の罪も重くなる」
デリクは拘束具を鳴らし、顔を上げた。
「殺害という語は書面にない。だが、帰還させるなという口頭命令を、私は受けた」
検察役は、命令者の名も書面の裏付けもない証言だと切り返した。デリクの利害と過去の加担は消えず、法廷の空気を覆すには届かなかった。
「待ってください! 隊長の言葉は嘘ではありません!」
その時、傍聴席の一部を警備していた神官兵の列から、一人の若い兵士が自発的に証言台の前へと進み出た。
アベルだった。魔王城の門前で、理不尽な命令と刻印の痛みに苦しむフィアを見て、盲目的な加担を拒み、武器を下ろしたあの若兵だ。
「私は回収隊の一員として、あの場にいました! 命令書に文字として書かれていなくとも、確実に口封じの指示は下されていました! 我々は、勇者を救いに行ったのではない。事実を隠すために、この人を殺そうとしたのです!」
アベルの叫びは、法廷の空気を一瞬だけ震わせた。彼がこの場で証言することは、自らの軍籍と、王都での今後の生活のすべてを捨てることを意味していた。
だが、教会という巨大な機構は、一人の若者の勇気すらも冷酷にすり潰す。
「……哀れなことだ」
検察役は、まるで迷える子羊を見るような憐れみの目でアベルを見た。
「経験不足の若い兵士が、極限の緊張の中で魔王の幻術に当てられ、規律を見失ったのだろう。軍の規則を破り、魔王側と接触した者の証言など、この神聖な法廷で採用できるはずがない」
裁判長は、軍規違反者の証言として採用を留保した。アベルの言葉は記録から消されなかったが、判決を止める証拠にもならない。
「これで明白になったはずだ」
検察役は、法廷全体を見回して結論を叩きつけた。
「被告人クラウス・エルデンは、娘の死という受け入れがたい現実から逃避するため、魔王に魂を売り渡し、教会の救出を妨害した裏切り者である。……本人の娘である第七代勇者フィアがすでに死亡している以上、彼が主張する『救出の正当性』など、どこにも存在しないのだ!」
その言葉が引き金となり、傍聴席から一斉にクラウスを罵る声が上がった。
「そうだ! 娘を売った裏切り者め!」
「死刑にしろ! 火あぶりにしろ!」
罵声に加わる者は多かった。一方で、デリクとアベルの証言を聞いて口を閉ざす者や、隣同士で命令書について囁き合う者もいる。法廷の優勢は教会側にあったが、傍聴席まで一枚岩ではなくなっていた。
私の隣で、フィアが短く息を呑んだ。
彼女が握りしめていた片方の手袋が、震える指先からぽろりと滑り落ちた。
彼女は、自分が姿を見せることの恐怖と、父親がたった一人で世界中の悪意を一身に浴び、裏切り者として処刑されようとしている苦痛の間で、激しく揺れ動いていた。
自分がここで出て行けば、ほかの百人の候補者たちの移送が早まり、彼らを危険に晒してしまうかもしれない。生きている子の葬式の日に、彼女自身が下した重い決断だった。
しかし。
「……お父さんは、嘘つきじゃない」
フィアは、落ちた手袋を拾うこともせず、ゆっくりと立ち上がった。
抽象的な大義や、顔も知らない百人のためではない。彼女はただ、自分を守るために一人で立ち続ける父親を、これ以上孤立させないという、たった一つの具体的な理由のために、自分の足で前へ踏み出した。
フィアは柱の陰から通路へ出た。
傍聴席の警備兵が制止しようとしたが、彼女は灰色のフードを自分で外し、すり鉢状の階段を一段ずつ下りていく。
追悼祭の肖像とは似ていない。それでも、クラウスと同じ色の瞳と、鎖骨の下に覗く第七代の刻印に気づいた者から、罵声が途切れていった。
青ざめた顔のまま、フィアは証言台の前まで歩いた。
「……フィア」
証言台に立っていたクラウスが、信じられないものを見るように目を見開いた。
「第七代勇者、フィア・エルデンは……ここにいます。わたしは、死んでいません」
静かな、だが決してかき消されることのない少女の声が、円形の法廷に響き渡った。
群衆が息を呑み、検察役の神官が手元の罪状書を取り落とした。
彼女が登場したというただその一つの事実だけで、教会が築き上げてきた『本人が死亡している以上、確認できない』という前提が完全に覆されたのだ。
しかし、彼女が生きていると公になったからといって、教会の権力構造が今すぐ崩壊するわけではない。法廷は極度の混乱に陥り、裁判長が慌てて木槌を打ち鳴らして審理の継続と一時休廷を叫んでいる。
クラウスの即時処刑という最悪の事態は止まった。だが、フィアの生存が公衆の面前に晒されたことで、教会の百人選定は後戻りできない最終段階へと引き上げられることになるだろう。
そして、この法廷の混乱の裏で、抑え込まれていた第六代勇者の復讐の導火線に、決定的な火が点こうとしていた。




