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第26話 誰も殺さない反乱

地下水路跡の拠点。薄暗いランプの光の下、私たちは長机を囲んで重い沈黙に沈んでいた。


 教会が王都の防壁を維持するために作った聖灯炉。それが子どもたちの生命力を吸い上げているというおぞましい構造と、大祭までの十二日という期限が確定した。これ以上の犠牲を防ぐには、一刻も早く教会の指揮系統を崩さなければならない。


「だから、俺が殺すと言っているんだ」


 沈黙を破ったのは第二代のバルトだった。彼は机の上に、精緻に描かれた一枚の図面を広げた。


「教会の金属探知にも引っかからず、音もなくヴァルターの寝首を掻ける暗殺具だ。俺ならこれが作れる。大祭の前にあの大神官を物理的に排除すれば、選定も移送も一時的に凍結するはずだ。これが最も現実的な最短策だ」


 バルトの手は、その図面を押さえながらも微かに震えていた。彼は、自分が命を奪うための冷酷な道具を作れるという事実を恐れ、ひどく嫌悪している。それでもなお、それしか方法がないと思い詰め、自らその手を汚そうとしていた。


「俺も賛成だ」


 壁際からノエルが進み出た。


「あいつが死ねば、少なくともこれ以上犠牲は増えない。ネレイア、あんたの『誰も殺さない』なんてきれいごとは、もう通用しねえんだよ」


 ノエルの目には、復讐への渇望と、綺麗事への苛立ちが混じっていた。


 私は彼らの提案を、ただの倫理や正義感で否定するつもりはなかった。


「……エルナ、リーゼ。あなた方はどうですか」


 私が水を向けると、エルナは静かに目を伏せ、リーゼは小さく息を吐いた。


「私は医療者です。暗殺には賛成できません。……ですが、このまま子どもたちが聖灯炉に繋がれるのを見過ごすくらいなら、明確に反対することもできません」


「私も同じよ」とリーゼが引き継いだ。「ただ、ヴァルターを今殺せば、彼は教会の教義の中で『大義のために斃れた殉教者』として永遠に祭り上げられる。強硬派が実権を握り、彼を神格化する危険があるわ」


 リーゼの指摘は政治的に極めて正確だった。だが、彼女は「だから復讐はやめなさい」と、信仰の言葉を使ってノエルたちの怒りを丸め込もうとはしなかった。


 元勇者たちの足並みは完全に割れていた。


 クラウスもまた、娘と子どもたちを守るためであれば、暗殺という手段を否定しきれずに黙り込んでいる。


 私は机の上に散らばった資料――破られた証拠の紙片、死亡者の名簿、そして王都の導管図を見渡し、静かに口を開いた。


「バルトの暗殺案は、確かに指揮系統を一時的に混乱させるでしょう。しかし、最大の欠陥があります」


 私は導管図の、聖灯炉の中心部を指で叩いた。


「王家と教会との間に結ばれた『代理契約』。そして、すでに子どもたちと繋がっている『勇者刻印』。……ヴァルター一人を殺したところで、この二つの契約と、聖灯炉という物理的な設備は自動的に継続して稼働し続けます」


 その事実に、バルトが顔を険しくした。


「後継者が現れ、炉の運用を引き継ぐだけです。さらにリーゼが指摘した通り、彼の死が殉教の物語となれば、制度の改革は完全に息の根を止められる」


 私は彼らを見回した。


「誰も殺さないというのは、私の個人的な理念やきれいごとではありません。この制度を根本から、法的・契約的・設備的に再発不能な状態へ解体するための、最も現実的な作戦判断です」


「だが……!」


 クラウスが食い下がる。


「誰も殺さずに、どうやってこの巨大な組織を止める。敵は武装し、権力を持っている。非殺傷を貫けば、必ずこちらの味方に犠牲が出るぞ」


「ええ。無傷で済むとは保証しません」


 私はクラウスの懸念を真正面から肯定した。


「味方に犠牲が出る可能性も、作戦が失敗する危険もあります。ヨアヒム、今日の日付、暗殺案と反対意見、そして非殺傷方針を最終決定した者の名を記録してください」


 ヨアヒムが新しい紙へ議論の要点を書き、最後の一行だけを空けて私へ渡した。


 私はそこへ『決定者 ネレイア・ヴァルグレン』と記した。


「この署名で損失が消えるわけではありません。それでも、後から全員の総意だったことにはさせません」


 沈黙が落ちた。


 食事のために厨房の精霊が運んできた温かいスープは、誰にも手を出されないまま、卓の端で冷えようとしている。


 ノエルはギリッと奥歯を鳴らし、私から目を逸らした。彼は私の判断に納得してはいないし、従うとも言わなかった。作戦には参加するだろうが、彼の内側にある復讐の炎は消えておらず、私たちとの間に明確な亀裂を残したままだった。


 バルトは小さく舌打ちをすると、机の上に広げていた暗殺具の図面を無造作に破り捨てた。


「……クソが。だったら、別のものを作るだけだ」


 彼は図面を破いた紙片を払い退け、すぐさま別の革袋から真鍮の部品や革紐を取り出し始めた。彼が作り始めたのは、子どもたちが着るための防御力の高い革鎧、崩落から身を守るための頭部保護具、そして、一時的に魔力の感知を鈍らせる小型の遮断器だった。


 彼は自分の心情を完全に解決したわけではない。ただ、殺す道具を作るよりはマシだという消極的な理由で、手を動かし始めただけだ。


 私は四枚の木札を取り出し、机の中央に並べた。


「作戦の四つの中核を定めます」


 私は一つずつ札を指差した。


「第一に、王都地下に囚われているすべての勇者候補者の『救出』。第二に、教会の嘘を白日に晒す、歴代勇者たちによる『証拠公開』。第三に、イレーネ王女と国王による『代理契約の停止』。そして第四に、薄暮盟約に基づく『代替防御の確保と、聖灯炉の破壊』。……大祭までの十二日間で、これらを同時に進行させます」


 その時、拠点の中央にある地下への通気口から、王都の地上に響く教会の甲高い触れ太鼓の音が聞こえてきた。


 拡声魔術を通じた、宣教司教の人工的な声。


『王都の迷える子羊たちよ! 二日後の正午、大神殿の公開法廷において、魔王に魂を売り渡した大罪人、元騎士団長クラウス・エルデンの裁判を執り行う!』


 私とクラウスは、同時に顔を見合わせた。


 本人不在のまま空席の被告席を用意し、彼を法的に完全に社会から抹殺するための布告だ。


「……好都合だ」


 クラウスが、低く唸るように言った。


「空席のままにはさせない。私が自らその法廷に出向き、あの回収隊に殺されかけた事実を証言する」


 それは、教会の物語を根底から揺るがすための、極めて危険な第一歩だった。


 味方内の反対と不信を抱えたまま、私たちの『誰も殺さない反乱』が、今、静かに幕を開けた。

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