第22話 王女の条件
王都の外れ、貴族の別邸を装った古い屋敷の奥深く。
私たちは今、極めて危険で、かつ不可欠な会談の席についていた。
円卓を挟んで対峙するのは、白陽王国の第一王位継承者であり、現在の摂政代行権限を持つ第一王女イレーネだ。彼女は豪奢なドレスではなく、実務的な濃紺の軍服を身に纏い、冷たく理知的な瞳で私たちを見据えている。
私たちの手元にあるのは、若手記録係が作った年齢改変記録の写しと、年齢欄が『四十』で途切れた古い羊皮紙、そして結果欄を失った成人検査票の焼け焦げた紙片だけだ。成人適性と制度改変の決定的な証拠となるはずだった原本の大半は、すでに焼却溝の灰と化している。
交渉の材料としては、あまりにも弱い。
「……なるほど。教会の勇者選定に不正があり、本来なら適性を持つ大人を意図的に排除しているという主張は分かりました」
イレーネ王女は、私たちが提示した不完全な証拠を一瞥した後、手元の書類へ視線を落とした。
「しかし、それだけで私が摂政の権限を発動し、教会の実権を剥奪する政変に協力することはできません」
彼女は、机の上に数枚の報告書を滑らせた。
「灰獣の脅威は、お伽話ではなく現実のものです。過去にも境界の防壁が弱まった際、国境付近の村がいくつも消滅しています。教会が非道な手段を使っていようと、現在、王都とこの国を守る防壁の魔力を供給しているのは、彼らが管理する『聖灯炉』です」
イレーネの言葉は、理想論に逃げない為政者としての冷徹な重みを持っていた。
「もし私があなたの言葉を信じて聖灯炉を止め、その後、代替となる防御手段が機能しなかった場合。……王都は灰獣に蹂躙され、何十万という民が死にます。私は王族として、そのリスクを引き受けるわけにはいかない」
彼女は教会の罪を疑いながらも、結果として生じる被害の全責任を見据え、証拠と代替案なしに動くことを明確に拒絶したのだ。
私は王女の懸念を、自分の正義感だけで押し切ることはできない。人間側の政治的判断と民の命の重さは、彼女が背負うべきものだからだ。
「では、あなたに協力していただくための『条件』を伺いましょう」
私が問うと、イレーネは一枚の勅書を机の中央に置いた。
「私が国内防衛や王家契約に関する権限を行使するには、条件があります。大人による聖剣起動の実証。歴代勇者本人の証言。改変前の『薄暮盟約』と、教会との代理契約を無効化する法的根拠。候補者と一般市民を巻き込まない避難計画。そして、聖灯炉を停止しても防御の空白を生じさせない代替手段です」
「随分と要求が多いな、王女殿下」
クラウスが低い声で口を挟んだ。
「王家はこれまで、教会の選定に権限を委任し、勇者税の徴収を承認してきた。その結果として多くの子どもたちが死んだ責任を、すべて教会に押し付け、自分たちは安全な場所で証拠を待つつもりか」
「いいえ」
イレーネはクラウスの視線を真っ向から受け止めた。
「王家が承認を与え、死の検証を怠ってきた責任は、紛れもなく我々にあります。……しかし、だからといって『知らなかったから仕方ない』と無能を装い、無策のまま政変を起こして民を危険に晒すような、無責任な贖罪を選ぶつもりはありません」
その毅然とした態度に、クラウスは一瞬言葉を失った。
彼は焦っていた。証拠の原本を失い、時間だけが過ぎていく現状への苛立ち。そして何より、父親として娘の安全を早く確保したいという焦燥が、彼から冷静さを奪っていた。
「……ならば、第一の条件。大人が聖剣を使えるという証明は、今ここで果たす」
クラウスはそう言うと、フィアが背負っていた布包みへ歩み寄り、中から王国の正規の聖剣を引き抜いた。
「お父さん……?」
フィアが不安げに見上げる中、クラウスはイレーネの目の前で、聖剣の柄を強く握りしめた。
彼は、かつて魔王城の崖下で、そして先日の選定会場で大人の鍛冶師が引き起こした『青白い光』を、自分自身の力で再現しようとしていた。自分が適格者であることを証明できれば、少なくとも王女の一つの条件は満たせる。
だが。
クラウスがどれほど強く柄を握り込んでも、聖剣は沈黙したままだった。
以前、崖下で触れた時に生じたような微光すら、今の彼からは起こらない。
「なぜだ……」
クラウスの額に汗が滲む。彼は何度も握り直し、魔力を込めようとしたが、聖剣はただの重い鉄の塊としてそこにあるだけだった。
「証明は、失敗のようですね、エルデン卿」
イレーネが冷ややかに告げた。
クラウスは唇を噛み、屈辱とともに聖剣を机の上に置いた。
私は、光を失った刀身を静かに見つめた。
なぜ、崖下では光り、今は光らないのか。
聖剣の応答条件は、単なる年齢や血統ではないのだろう。崖下でクラウスが剣に触れた時、彼は極限の状態で娘を守ろうとしていた。しかし今は、王女に自分の適性を認めさせたいという『証明欲』に駆られて剣を握った。聖剣は、その目的の違いに反応しているのではないか。
私はその仮説に思い至ったが、今はまだ確証がないため、言葉にしてクラウスを慰めることはしなかった。
フィアは、落胆する父親と、冷徹な王女を交互に見つめていた。
彼女は王女を「味方」か「敵」かという単純な二元論では判断していない。ただ、もし交渉が決裂した場合、この部屋のどこから逃げ出せるか、窓の鍵と扉の位置を油断なく確認し続けていた。
「証拠も証明も不十分な現状では、私が動くことはできません」
イレーネは立ち上がり、会談の終わりを告げようとした。
しかし、彼女は部屋を出る直前、机の上に一通の豪奢な封筒を滑らせた。
「数日後、王宮で教会主催の夜会が開かれます」
それは、高位神官たちと貴族が集う舞踏会の招待状だった。
「この招待状があれば、あなた方は正式な身分で王宮内部へ入ることができる。……本当に教会の主張が嘘であると言うのなら、ご自身の目で、国王療養区画の現状、代理契約の保管庫、そして王都防御の中枢がどうなっているのか、実地で確認してきなさい」
それは、イレーネからの最後通牒であり、同時に彼女が用意してくれた極めて危険な調査の機会だった。
クラウスは、自分の証明の失敗という政治的な失態の重さに、深くうなだれていた。
私は彼に、慰めの正解を与えない。彼は自分の焦りが招いた失敗を、自分で消化しなければならないからだ。
「……行きましょう、クラウス」
私は招待状を手に取り、静かに告げた。
イレーネは無条件の味方にはならなかった。だが、条件付きの協力者として、私たちに敵の本陣へと通じる扉の鍵を渡してくれた。
私たちは、大神官ヴァルターと直接対面することになる、その危険な舞踏会への潜入準備を始めることになった。




