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第20話 消された年齢

ノエルの母ミレーヌとの面会は、望んでいたような和解には至らなかった。


 ノエルの心には、自分の六年間の不在と、母が教会の美談に縋って生活している現実への行き場のない怒りが色濃く残されたままだ。そのヒリヒリとした感情の余韻を背負いながら、私は王都の中心部にそびえ立つ王立文書院の地下へ潜入していた。


 ヨアヒムから最初の報せを受けて三日目の夜。原本が別の保管庫へ移される前に確かめられる、最後の時間だった。


 分厚い石壁に囲まれた特別保管庫は、カビと埃、そして途方もない量の古い紙の匂いが立ち込めている。人間領での極端な魔力低下により、探知結界へ触れずに気配を消すことはできない。私は書棚の陰に身を寄せ、物音を立てずに立っていた。


 そんな私の視線の先で、第四代勇者であり記録官であるヨアヒムが、細いランプの明かりを頼りに、長机の上に広げられた古い記録簿を何冊も睨みつけていた。


「ネレイア様、ここを見てください」


 ヨアヒムが声を潜め、分厚い革表紙の台帳を指差した。それは『聖剣起動適性者記録』と呼ばれる、過去に聖剣に触れた者たちの結果を記した公的な帳簿だった。


「この年齢欄です。刃物かヤスリのようなもので表面の繊維ごと薄く削り取られ、意図的に空欄にされています」


「……私の『契約視』は、当事者同士の条件や代償という魔力の糸を追うためのものです。インクの化学的な劣化や、紙の物理的な削り跡から過去の真偽を見抜くことはできません。ヨアヒム、記録官であるあなたの専門的な見立てはどうなのですか」


 私の問いに、ヨアヒムは異なる年代の紙の束をいくつか引き寄せ、机の上に並べた。


「五十年前です。五十年前を境に、不自然な記録の断絶が起きています」


 彼は普段の温和な口調を捨て、過去の真実を追及する記録官としての冷徹な声で事実を並べた。


「五十年前より新しい記録は、すべて『十二歳』『十歳』といった子どもの年齢で統一されています。しかし、それより古い年代の帳簿には、このように削られた痕跡がある箇所や、子どもの年齢へと不自然に置換されている箇所が無数にある。さらに問題なのはここです」


 彼はルーペを別のページへと滑らせた。


「差し替えられたと思われる新しい年代の紙に、五十年前の担当者とまったく同じ署名の癖が残されている。人間が五十年も全く同じ筆圧と癖で署名し続けることは不可能です。つまり、何者かが後から意図的に模倣して書き直したということです」


 年代の違う紙に、同じ署名の癖。


 それは、教会の手によって、五十年前を境に「成人にも聖剣の適性があった」という事実を消し去るための、大規模で組織的な記録の改変が行われたことを明確に示していた。


 その時、地下書庫の重い鉄扉が、ひどく耳障りな音を立てて開かれた。


「こんな地下深くまで、熱心な仕事ぶりだな、ヨアヒム記録官」


 冷たく、しかし威圧感を持った声が響く。


 整然とした足音とともに現れたのは、文書院の最高責任者であるグレゴール院長だった。彼の背後には数人の屈強な神官兵と、証拠を押収するための大きな木箱を両手に抱えた若手職員が続いている。


 グレゴールは閲覧机に歩み寄り、広げられた無数の記録簿を感情のない目で見下ろした。


「許可なく特別保管庫の資料を持ち出し、こんな時間まで何をしている。……これは何の真似か」


「真実の保全です、グレゴール院長」


 ヨアヒムは怯むことなく、自分の手元にある改変された記録紙を両手でしっかりと押さえた。


「五十年前の記録に、明らかな改ざんの痕跡があります。大人が聖剣に適性を示した記録が組織的に隠蔽され、書き換えられている。私は記録官として、この文書の真正性を……」


「真正性、だと?」


 グレゴールが鼻で笑った。彼は怒鳴ってヨアヒムを威圧することはせず、あくまで組織の長としての合法的な保管権限を盾にして、冷ややかに言葉を遮った。


「君が今手にしているそれらが、誰かの手によって偽造された複写物や、出所不明の怪しい資料ではないと、どうして断言できる。教会の正式な保管手続を経ていない疑わしい資料は、すべて王国の秩序を損なう流言飛語の元に過ぎん」


 彼はヨアヒムが指摘した改変の事実についての直接的な回答を見事に避け、「記録の混乱は秩序を脅かす」という、為政者として筋の通った立場を利用して、すべての証拠を合法的にもみ消そうとしていた。


「すべて回収しろ」


 グレゴールの冷酷な命令で、後ろに控えていた若手職員がビクッと肩を震わせ、前へ進み出た。


 彼はヨアヒムの手から記録簿を半ば強引に取り上げ、持っていた押収箱へと次々に放り込んでいく。


 しかし、その回収作業の最中、若手職員の手がふと空中で止まった。


 彼の視線が、ページに記された『年代の違う紙と、同じ署名の癖』の明らかな不一致に釘付けになったのだ。毎日インクの匂いと紙の質感に触れている彼が、その不自然さに自分で気づかないはずがなかった。


 若手職員の瞳が小さく揺れ、彼の呼吸がわずかに乱れる。だが、彼がここでグレゴールに逆らえば、職を失うだけでは済まない。異端の協力者として家族の生活や安全までもが理不尽に奪われることになる。


 彼は真実に気づきながらも、ただ下唇を強く噛み締め、震える手でその重要な書類を押収箱の底へと押し込んだ。彼が今すぐ私たちの味方になることはない。保身という重い鎖が、彼の口を塞いでいるのだ。


 押収箱の蓋が、無情にも閉められようとしたその直前。


 若手職員が乱雑に重ねた書類の束から、一枚の古い羊皮紙の破片がハラリと滑り落ち、机の端で止まった。


 グレゴールたちからは死角になる位置だ。書棚の暗がりに潜む私の目だけが、その破片の表面に記された文字を正確に捉えていた。


 削り取られ、意図的に塗り潰された年齢欄。しかし、そこにわずかに残ったインクの掠れが、一つの数字を形作っていた。


 ――『四十』


 その後ろは破れている。氏名も、性別も、一の位も分からない。だが、過去に四十代の使用者がいた可能性だけは、私の視界に焼き付いた。


「さて、ヨアヒム記録官」


 すべての証拠を箱に収めさせたグレゴールが、ヨアヒムを冷たい目で見下ろす。


「保管規則違反、および王国の重要文書を窃取しようとした疑いで、君をこの場で拘束する。神聖なる公開尋問の場へ赴き、君の背後にいる協力者の名をすべて吐いてもらおうか」


 神官兵たちがヨアヒムの細い両腕を乱暴に取り、背中へ回して重い鉄の拘束具をはめ込んだ。


 ヨアヒムは一切の抵抗をしなかった。彼がここで魔力を使って暴れれば、残された貴重な原本の数々が兵士たちの軍靴で踏みにじられ、永遠に失われてしまうからだ。彼は真正な記録を守るためなら、自分自身の安全や救出を一番最後に回す癖がある男だった。


「……記録は、決して消えません」


 ヨアヒムは連行されながら、私にだけ聞こえるよう、暗がりへ向けて静かに言い残した。


 彼が地下書庫から引き立てられていく足音が、冷たい石壁に反響して遠ざかっていく。押収箱を大事そうに抱えた若手職員も、逃げるようにその後を追った。


 重い鉄扉が閉ざされ、完全な静寂が戻った地下書庫で、私は机の端に残された小さな破片を拾い上げた。


 指先に乗るほどのその破片には、四十という年齢の書き出しだけが残っている。成人使用記録の組織的改変という私たちの仮説は、これで極めて強いものとなった。しかし、それを証明するための大半の原本は、グレゴールの保管権限という盾によって、再び教会の深い闇の中へと封じ込められてしまった。


 そして何より、ヨアヒムが敵の手に落ちた。


 彼を公開尋問の場から救出することと、これ以上の記録の破棄を防ぎ、散逸した証拠を保全すること。


 その二つの目的が王都の暗闇の中で激しく衝突する、さらに厳しい局面へと、私たちは足を踏み入れようとしていた。

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