第15話 聖剣を光らせた大人
王都へ続く街道の要衝にある、分厚い石壁に囲まれた教会の地方支部。その広大な礼拝堂は今日、臨時の「勇者選定会場」として物々しい空気に包まれていた。
私たち三人は、偽装家族として群衆に紛れ込み、高い円柱の陰から堂内の様子を窺っていた。
祭壇の中央に置かれているのは、王都の大神殿から運ばれてきたという『試験用聖剣』だ。実戦用のものより一回り小さいが、柄には複雑な術式が刻まれ、適格者の魔力に反応する仕組みになっている。
その周囲を武装した神官兵が取り囲み、堂内には数十人の子どもたちが、親から引き離されて一列に並ばされていた。皆、怯えた顔でうつむき、自分の順番が来るのを待っている。
「次、三十四番。前へ」
書記官の無機質な声が響く。
番号で呼ばれた十歳ほどの少年が、震える足で祭壇へ進み出た。
「大いなる光の導きのもと、神に選ばれし子よ。祈りを捧げ、刃に触れなさい」
選定官であるベネディクトが、抑揚のない声で定型祈祷を促す。少年は涙声で祈りの言葉を紡ぎ、試験用聖剣の柄に小さな手を伸ばした。
何も起きない。
「適性なし。次、三十五番」
少年は安堵のあまりその場にへたり込みそうになったが、すぐに兵士によって乱暴に脇へ追いやられた。命を差し出す覚悟を強いられ、何も起きなければ不用品のように扱われる。それが選定の日常だった。
「待ってくれ! 俺にやらせてくれ!」
三十五番の子どもが前に出ようとした瞬間、堂内の後方からくぐもった怒声が響き渡った。
見張りとして立っていた数人の兵士を突き飛ばし、祭壇の前へ進み出たのは、大柄な大人の男だった。煤に汚れ、あちこちに小さな火傷の痕がある厚い前掛け。太い腕の先にあるのは、長年ハンマーを握り続けた者特有の、分厚く節くれた手だった。
「大人が何をしている! ここは聖なる選定の場だ、下がれ!」
神官兵たちが槍を突きつけるが、鍛冶師の男は一歩も引かなかった。
「俺の息子を……いや、どこの村の子どもでもいい! あんな小さな子どもたちを死地に送るくらいなら、大人の俺を連れて行け! 俺が剣を振るう、俺の命を代わりに使え!」
男の叫びには、英雄になりたいという野心や功名心は欠片もなかった。ただ純粋に、これから失われるかもしれない子どもの命を守るためだけに、彼は前へ出たのだ。
祭壇の上から、選定官ベネディクトが冷ややかな視線を下ろした。
「無知なる迷える者よ。聖剣は、純粋な魂を持つ器にしか応じない。世の垢にまみれた大人の肉体では、大いなる使命に耐えられないのだ」
ベネディクトは露骨な悪意や怒りを見せることはなかった。あくまで教会の公式な制度を守る、慈悲深き官僚としての顔を崩さない。
「神聖な儀式の妨げだ。その者を外へつまみ出せ」
ベネディクトが手を軽く振るうと、三人の神官兵が鍛冶師へ飛びかかった。
「離せ! 俺にもやらせろ、触らせてみろ!」
大柄な鍛冶師は猛烈に抵抗した。三人がかりで押さえつけられながらも、彼は渾身の力を振り絞って祭壇へと身を乗り出し、その節くれた右手を、台座の上の試験用聖剣の柄へと叩きつけた。
――その瞬間。
堂内の空気が、微かに震えた。
鍛冶師の分厚い手が触れた聖剣の刀身から、青白い光が走ったのだ。
決して眩いほどの輝きではない。しかし、薄暗い礼拝堂の中で、それは誰もが見間違えようのない明確な微光だった。
「光った……!」
「大人が、聖剣を光らせたぞ!」
群衆の中からどよめきが沸き起こった。教会の「子どもしか選ばれない」という絶対の前提が、今、大勢の目の前で物理的に覆されたのだ。
私は柱の陰で、その光を冷徹に観察していた。魔王城の崖下で、クラウスが聖剣に触れた時に発生した光と同じだ。しかし、私はこの微光を見ただけで「大人であれば誰でも聖剣の完全な適格者になれる」と断定することはしなかった。光の発生という事実と、それが意味する完全な起動条件の仮説は、分けて思考しなければならない。
私の隣で、クラウスの身体が微かに強張るのを感じた。
彼の視線は、祭壇の上で青白い光を放つ聖剣に釘付けになっていた。彼の手が、無意識に腰の剣の柄へと向かいかける。
自分が崖下で触れた時も、確かにあのような光が生じた。もし今ここで自分が飛び出し、もう一度あの剣を握ってより強い光を引き出すことができれば、教会の嘘を完全に証明できるのではないか。
クラウスの瞳に、ほんの一瞬だけ、自分自身の正当性を証明したいという『証明欲』が過った。
だが、彼はすぐにその手を下ろした。
今ここで前へ出ても、確かめられるのは彼自身の反応だけだ。それと引き換えに、娘の安全な退路を塞ぐことになる。クラウスは自分の過去を肯定することより、今ここにいる娘を守る護衛としての立場を選んだ。
祭壇では、予期せぬ光の発生に神官兵たちが呆然と立ち尽くしていた。
だが、選定官のベネディクトだけは一切取り乱していなかった。
「……嘆かわしいことだ」
彼は大仰なため息をつき、静かに首を振った。
「試験用聖剣の魔力回路が、粗暴な衝撃によって一時的に誤作動を起こしたようだ。器具の不良だな」
「なんだと!? 確かに俺が触って光っただろうが!」
鍛冶師が拘束されながらも必死に叫ぶ。しかし、ベネディクトは冷淡な官僚の論理でそれを塗り潰していく。
「正式な祈祷の手続を経ていない接触は、すべて手続違反として無効である。それに……」
ベネディクトは群衆へ向かって、まるで迷える子羊を諭すような声音で語りかけた。
「我々が年齢による選定を行っているのは、大人の安全を守るための厳格な『年齢別安全基準』が存在するからだ。硬直した大人の魔力経路に無理な負荷をかければ、命に関わる。これは、あなた方市民を守るための教会の大いなる慈悲なのだ」
その言葉には一切の悪意が乗っていなかった。だからこそ、恐ろしい。彼は制度を回すため、論理のすり替えと手続の盾を使って、目の前の奇跡をただの「エラー」として事務的に処理しようとしているのだ。
「記録係」
ベネディクトは、横で呆然としていた若い書記官へ冷徹に命じた。
「先程の検査票は無効だ。破棄しなさい」
書記官の手元には、大人の鍛冶師が乱入したことでイレギュラーに書き込まれた一枚の検査票があった。そこには、被検者の年齢を記す『年齢欄』がはっきりと存在している。
「は、はい……」
若い書記官は震える手で、その記録紙を真っ二つに引き裂いた。
ビリッ、という乾いた音が、微光の残滓を完全に断ち切った。
大人が聖剣に反応したという、その場の公式な記録は、こうして抹消された。
「儀式を妨害し、神聖な器具を破損させた容疑で、その男を地下の拘束室へ連行しろ。残りの候補者たちは、混乱を避けるため奥の別室で待機させるのだ」
ベネディクトの指示により、重い鉄の拘束具を手首にはめられた鍛冶師が、無理やり引き立てられていく。残された子どもたちも、神官兵たちに急かされて礼拝堂の奥深くへと姿を消していった。
私たちが今、ここで魔力を使い実力行使に出れば、鍛冶師一人を救うことはできるかもしれない。だが、奥へ連れて行かれた多数の子どもたちの安全を同時に確保することはできない。無策な介入は、人質を増やして流血を招くだけだ。
「……私が追う」
クラウスが極めて低い声で囁いた。
「男がどこへ連行されるか、地下の動線を確認しておく。あなたとフィアは、一度外の安全な場所へ退避してくれ」
彼は護衛としての役割を保ちながらも、その鍛冶師を見捨てることはできなかった。私は小さく頷き、彼が群衆の陰に溶けるようにして礼拝堂の奥へと消えていくのを見送った。
群衆が散り散りになり、祭壇の周囲に誰もいなくなった後。
フィアが、私の手をそっと引いた。
彼女の視線は、書記官が立っていた机の足元から、床の端へと向いていた。
先程、書記官が引き裂いた検査票の紙片。その半分が、堂内に吹き込んだ風に流され、床の隅にある石造りの『排水溝』の鉄格子の隙間へと滑り落ちていったのだ。
「ネレイアさま」
フィアは、その排水溝の位置と、周囲の柱からの距離を、持ち前の高い空間把握能力で正確に記憶しながら、私を見上げた。
「あの紙、大人の人が光らせたっていう証拠になる?」
「……なるかもしれません」
私は静かに答えた。
「彼らは手続と安全基準という嘘で事実を排除しました。ならば、排除される前のその記録は、教会の嘘を崩すための重要な破片です」
私は、あの青白い光が存在したという事実と、それが何を意味するかという仮説を分けて思考の底に沈めた。
拘束された大人の命を追うか、あるいは、地下へ消えた証拠の紙片を回収するか。
私たちは、その選択の帰路に立たされていた。




