わすれもの
案の定、寝坊した。
まず、メルディオが「ヤバい!」と言って跳ね起きて、モアネを揺さぶった。
寝ぼけ眼のモアネを部屋のドアまで押して、帰るように慌ただしく告げる。そしてすぐに自分の部屋に繋がるドアへとメルディオは戻っていった。
モアネが秘密基地から廊下に出たところで、階下に向かうカタリナの背を見つけた。
「あっ、お母さん」
「あら、モアネ。声をかけたけど返事がなかったから、まだ寝ていたのかと思ったけれど」
カタリナは振り返り、足を止める。
さっきまで眠っていたのは本当のことだ。寝ぐせがついているか気になって、髪の毛を手で撫でる。それを見て、カタリナは目元をやわらげた。
「喉が渇いたでしょう。台所にいらっしゃい」
そう言うと、カタリナは再び階下へと向かった。断る理由もなかったので、モアネはその後に続いて階段を降りて行った。
台所の入口は、珠と管を繋いだ糸飾りを複数連ねた仕切りが目印だ。
マシアンが指先のリハビリにと作った代物だった。モアネも一緒に手伝ったので、これを見るたびに自分の家だなあと感じる飾りである。数年経っても、一部が壊れても大事にカタリナが使っている。
背が伸びて頭に当たる部分を手で避け、モアネは台所の中に入った。
奥側に調理台と流し場があり、すぐ近くに長テーブルと椅子が四脚、リメイクした家具や乾燥させた薬草や野菜が窓際につるされている。
「置いてあるから座って飲みなさい」
カタリナの言う通り、テーブルの上にモアネのコップがある。湯気を立てて芳しい香りが入り口まで漂ってきていた。早速、モアネは席についてコップを手に取った。じんわりと安心するような温かさが指先に伝わる。
「いただきます」
「モアネ、あなた露蜜の花をたくさん集めていたでしょう? 蜜漬けを作ろうと思うから少しもらっていいかしら」
「えっ」
モアネはコップを置いてカタリナを見た。
(露蜜の花、秘密基地に置きっぱなし……じゃない! 全部メルディオのところだ)
あの起き抜けの慌ただしさの中で、籠ごとメルディオが持っていってしまったのだ。
どうしよう。モアネは途端落ち着かなくなった手を机の下に隠した。籠がないなんて、おかしく思われてしまわないだろうか。
「どうしたの?」
カタリナが眉をひそめて聞いてくる。モアネは顔をちょっとばかり俯けて首を振った。
「なんでもない」
「もしかして、露蜜の花じゃない危ないものでも摘んだの? お母さんに見せてごらんなさい」
「ち、ちがうよ。大丈夫、いっぱい勉強して間違いなんてないよ」
「そう?」
気まずくなってスカートのポケットに手を入れたところで、モアネは指先に何か当たったのに気づいた。掴んでそろりと出すと、メルディオの腕輪が現れた。
「ひえ」
慌ててポケットに押しこむ。けれどカタリナの目を欺くには不足だった。
「どうしたの、それ」
すかさずカタリナはモアネの前に立った。体を屈めてモアネの顔と真っ直ぐ見合う。モアネと同じ緑の目が心配を映している。
「モアネ、見せなさい」
モアネはそろそろと重たい手つきで腕輪を机に出す。どういうことだと母の視線が刺さるようだった。
「媒介具……それもこんな」
声に驚きを潜め、カタリナは腕輪を見つめている。それからモアネと見比べて、静かに息を押し殺して囁いた。
「ねえ、モアネ」
何を言われるのだろう。モアネの体が強張る。
カタリナの顔を見ることができなくて、モアネは唇を固く結んだ。メルディオとのことがバレてしまうという恐ろしさに気づいて、さあっと頭や手先から血の気が引いていくかのようだった。
「どうしたんだい」
さらにはマシアンまで台所にやってきた。モアネはいよいよ頭を下げて俯いた。こぶしを握って、膝に埋めるみたいに押し付ける。
「マシアン、モアネが媒介具を」
「こりゃあいいものじゃないか。もしかして」
「ええ、きっとそうよ」
夫婦そろって納得した風に言い合う。やがてカタリナがモアネの強張った手を取った。
「魔法の部屋で会っている人からの物でしょう? そうよね、モアネ」
「モアネ、あの部屋で誰かと会っているのは僕たちも知っているんだ」
「えっ」
マシアンの言葉に、モアネはハッと顔を上げた。
「あなたがあまりに楽しそうで、悪い影響じゃないからと思って見守っていたの」
「モアネが明るくなって、勉強も頑張っているのも、その相手のおかげじゃないか?」
両親にすっかりばれていた。モアネは黙ったまま視線を下ろした。カタリナの荒れた手がモアネの手を包んでいる。
「モアネ、もう一度聞くわ。どうしたの?」
「……間違って持ってきちゃったの。持ってくるつもりはなかったの、本当だよ」
「ええ、そうね。ねえモアネ、相手のことを聞いてもいいかしら」
「……でも、秘密の約束だから」
「約束を守るのは偉いわ。でも、どういう相手なのかわからないのが心配なの。その人は悪い相手なの? 大人の人? きっとそうじゃないでしょう?」
「うん、絶対違う。悪い大人じゃないよ」
ほ、とカタリナが息を吐いた。マシアンが椅子を引いて座る。そしてモアネに穏やかにたずねてきた。
「間違って持ってきたことを怒る相手かな」
「ううん。メ……その子は文句も言うけど優しいから。体が強くてね、私にいっぱい教えてくれて。だから早く返さないと」
首を振って答えるモアネに、カタリナはじいっと目線を合わせた。
「男の子ね。それも同じ年頃かしら」
「えっ!?」
「わかったわ。今は深く聞かない。でも、媒介具と魔法を子どもだけで学ぶのは許可できないわ」
そんな。モアネはカタリナを見返した。撤回をしてくれないかと思ったが、カタリナはモアネの前で首を横にしっかりと振った。
「僕の知り合いに頼もうか。魔法については学ぶ頃合いだろう」
「マシアン、でも」
「大丈夫さ。この間、ちょうどモアネの右手の刻印について話がついたばかりだったんだよ」
「まあ、そうなの?」
カタリナを優しく説得したマシアンがモアネのほうへ体を寄せる。
(魔法? 私も教えてもらえる?)
予期せぬ情報に、モアネはマシアンを縋るように見た。同じ蝋燭の火のように温かい橙色の髪を掻いて、マシアンはくしゃっと笑った。
「モアネ、取ったりしないさ。大事な物だろう。媒介具はそれまで使わないようにして、腕輪はその子に返しておくんだよ」
「うん、勿論。すぐに返す」
こくりと頷くと、カタリナが立ち上がった。
「それなら、お詫びに何かあったほうがいいかしら。モアネ、一緒にお菓子でも作りましょうか」
「お菓子? 私も?」
「露蜜の花もきっとその子にあげたのでしょう? モアネが張り切っていたのがわかったし、お母さんもその子に感謝を伝えたいの」
「感謝……」
呟いて、モアネはメルディオの顔を思い浮かべた。
メルディオがモアネに遠まわしの世話を焼いていると、モアネも感じている。本人はきっと意識をしていなくても、されている側はわかるものだ。
借りを作りっぱなしは、気持ち的にあまり嬉しいものではない。メルディオにはきちんと向き合っていたいとモアネは思っている。
それに、モアネが手掛けた物をメルディオに渡せるというのもなんだかいい気分がした。
(美味しいって言ってくれるかな)
まだ作りもしていないのに、露蜜の花を口に放りこんでいたメルディオの姿が浮かんだ。ああいう風に褒めてくれるかもしれない。モアネはカタリナに自分もやると伝えた。
「やってみる。何を作るの?」
「蜜漬けするにも露蜜の花が足りないから……」
立ち上がり、台所のあたりへと顔を向けたカタリナにマシアンが声をかけた。
「ああ、それなら僕が採った分がある。それを使うといい」
「ありがとうマシアン」
「お父さん、ありがとう」
モアネもお礼を口にすれば、マシアンはにこりと微笑んだ。
「お父さんにも作ってくれるかい」
「うん、がんばる」
「さあ、モアネ。一緒に頑張りましょうか」
「うん!」
モアネは椅子から跳ね下りて、カタリナの後に続いた。
***
一方その頃。
メルディオは愕然と片手に引っかけていた籠を見下ろしていた。
「やっべ」
そして運悪く顔を覗かせた二番目の兄、クレイガンに目撃された。
クレイガンは十四で、メルディオよりも四つも上なのに落ち着きがなくてうるさい。嫌いではないが面倒というのが、一番に思うことだった。
「メルが花持ってら。どうしたんだよ、どこから摘んできたんだ?」
「俺のだ、触るな」
「いい香りじゃん。摘みたて? これ、ちょっとした値段になるんだよな。生薬だけどおやつになるんだよ」
「うるさ……おい、取るなって」
うんざりとクレイガンの追及を避けようにも、メルディオより体格のいい兄を遠ざけるのには不十分だ。絡みつく蔓草みたいに腕を回してにやにやと顔を近づけてくる。
メルディオがどちらかというと母似なら、クレイガンは父似だ。というより、メルディオ以外の兄弟はみんな父似だった。
「いいじゃんいっぱいあるんだから。お、うまい」
「ふざっけんな馬鹿兄!」
ひょいと取られた一輪の露蜜の花は、あっけなくクレイガンの口に消えた。愕然としたメルディオが掴みかかろうにも、片手に籠を持っていてはうまくいかない。ひょいと簡単に避けられてしまった。
「くそ、勝手に取るなよ」
「何をしている」
今度は長兄のトーリスまで現れた。
(なんで今日に限って)
内心で舌打ちしつつも、まだクレイガンよりマシかと結論付ける。六つ上のトーリスは、父のいるガヴェ傭兵団に入ったばかりだ。武骨で真面目な長兄ならメルディオの味方になるのはわかっていた。
「馬鹿兄が俺のもん盗った」
「味見した」
「なるほど。クレイ、お前が悪い」
端的に言うトーリスは、メルディオの持つ籠を見止めると続けた。
「メル、それはどうする」
「はあ? どうするって」
「見たところ状態のいい生薬は貴重だぞ。お前の戦果か?」
「いや、俺はもらっただけで」
「そうか」
それだけ言うと、トーリスはメルディオに絡むクレイガンを引っ掴んで離した。
「家に渡すものでないならしまっておけ。クレイは親父のところだ」
「俺だけ? メルは? 十分休んだじゃーん。兄弟仲良く一緒に特訓しようぜ」
「来い」
クレイガンの言葉に眉一つ動かさず、トーリスはずんずん歩いて連れて行く。クレイガンは不満そうにしたのも一瞬で、憮然と見送るメルディオに投げキッスをすると隣を自ら歩いて行った。
目の前に不快なものが現れた気分だ。メルディオは咄嗟に空いた手で前方を掃ってやった。
拍子に腕に下げたままの籠が揺れる。中の花がふわりと動くたびに甘い匂いが香った。
(……高いもんなのか、これ)
モアネと読んだ図鑑にあったものを記憶から探る。
クレイガンが言った通り、清い土地で育つほど効能が良いという生薬だった。甘味として嗜好品扱いもされるとも記されていた。
(これ、モアネは俺のためって出してくれた……よな。そうだよな)
メルディオに惜しげもなく渡してきたモアネの姿が浮かんだ。
初めての外出で、嬉しそうに報告してきたモアネの土産。メルディオが食べると鮮やかな木の芽みたいな目を瞬かせて細める。灯火のような明るい橙の髪を指先でいじって、誇らしそうにしていた。
(そんなすごいものだったのか。じゃあ、何か贈り返したほうがいいのか? でも、媒介具も貸すし勉強だって)
考えながら左手で、出てきた部屋のドアをもう一度開ける。
秘密基地ではないメルディオのいつもの部屋だ。
右手を使って秘密基地に向かうより、何か渡すものがないか気になって、つい自室に戻ってしまった。
(でも、やっぱ、もらいすぎになるのか)
部屋の机まで向かって、籠を置く。花はだいぶん減ってしまったが、まだまだある。よほど張り切って摘んだのだと思わせた。
少しの間を置いて、メルディオは引き出しの中を探ることにした。
「これならいいか」
メルディオは散々探して、やっと自分の中での価値観にあうものを引っ張り出して握る。
向きを変えると色が鮮やかに変わる風切り羽根。化粧鳥の羽根だった。初めてメルディオが狩った大きな獲物。父も珍しく口角が上がっていたので上出来だった戦果だ。
「あ。腕輪」
羽根をポケットに入れたところで、ないことに気づいた。
ないということは、部屋かモアネが持っているに違いない。
メルディオはそこまで考えて、まあ後でどのみち行くからいいかと部屋の扉へと視線を向けた。
心なしか落ち着かない呼吸を整えて、よし、と一言声を出し、メルディオは机から離れた。




